神事行事の勉強3回目(基本所作の復習、家庭での月次祭など)

神事行事の心と神様に向かう姿勢を学ぶ、神事行事の勉強3回目に参加させていただきました。

まず先生のお話があり、目的が基本所作〔叉手(さしゅ)、立礼、座礼、足の運びなど〕ではなく、きれいな作法で神様にお出ましいただくというのが目的と教わりました。

それには、そのときだけというより、ふだんが大事のように思います。

次に、今回もバレエの先生が前に立ち柔軟体操をしました。

毎回イタタと言いながらこの柔軟体操しています。

そして、今回も復習(叉手、座礼、立礼、足の運び方など)をしました。これらは毎回復習していますのでとても大事なことだということですね?ベテランの方がそれぞれ見てくださっていて言ってくださる一言がすごく勉強になります。

私の場合は今回例えば、「“前へならえ”して手を少し上に向けて、わきを締める。それが基本の形」と三方を持つ姿勢を教えていただきました。

その後、家庭での月次祭の例を見せていただきました。

お供えの並べ方、順番などここにも礼節があります。

最後に質疑応答、皆さんふだんいろいろ思っていることがあるようで質問が次々出ていました。

次回は9月の予定、これで4回目、最後になります。

 

話はぜんぜんちがいますが、明日28日は西条市の神社にて精麻のワークショップを開催します。後日報告できればと思います。「感じる」がテーマのワークショップ、どんな感想を参加者はもたれるでしょうか。

神事行事の勉強2回目(基本所作の復習、三方の持ち方など)

神事行事の心と神様に向かう姿勢を学ぶ、神事行事の勉強2回目に参加させていただきました。

まず先生のお話があり、精一杯の誠でさせていただくことが大事だということでした。

神事行事は一回限りのものではありませんので言い換えると、一時だけではなく、同じことが続けられるレベルでというのがポイントのようです。

次に、前回と同じバレエの先生が前に立ち柔軟体操をしました。

なかには前回教えていただいた柔軟体操を毎日されていた方もいらっしゃいました。(姿勢をきちんとすることに役立つと思われます)

そして実習に移り、前回の復習〔叉手(さしゅ)、座礼、立礼、足の運び方など〕をし、先達したり、ペアで交互に作法をチェックしあったりしました。

また、三方の持ち方や、お日供のお供えの仕方を教わりました。

三方は重い物の時は脇を締めて持つ(基本は捧げ持ちます)とよいとのことでした。

次回は7月の予定です。

目に見えないものを大切にする方が増えますように。

 

神事行事について勉強(祝詞とお経のちがい、基本所作など)

昨年から学びたいと思っていた神事行事の勉強ができるようになり3月に参加させていただきました。(昨年はコロナ禍で中止)

これは、神事行事の心と神様に向かう姿勢を学ぶというものです。第1回目は、基本所作について。

最初、先生から、まず祝詞とお経のちがいは何だと思いますか?と質問がありました。

祝詞は日本語で大和言葉、お経はインド語+中国語でサンスクリット語であること、祝詞は正確に発音すること、母音をはっきり言うように、また日本語は子音+母音で言霊が一番強いとお話がありました。これらのことは他でも見たり聞いたりしたことがあります。(お経の方はここでの本題ではないのでお詳しい方にお譲りします)

さらに先生は、「はらい」という言葉について、本来の意味は新しい生命力・霊力を与えること、(幣を振ることにより)光を入れることで、けがれとは気涸れ(けかれ)で生命力・霊力がなくなった状態のことだとおっしゃって、これも前に聞いたことがあると思いました。(現代の感覚の「はらい」とちがいます)

そして次に、姿勢をきちんとすることが大事だということで、バレエの先生が前に立ち、柔軟体操を十分してから基本所作の実習に入りました。

叉手(さしゅ)、座礼、立礼、足の運び方、これらはすでに習ったことはありますが、何度も繰り返し実習しました。

この神事行事の勉強、次回は5月の予定です。

私は一昨年から神事に関する御用をするようになり、先輩から「これでええか、ではなく、これでいい、というように。誰が見てもきれいなように」と心構えを教えていただいております。

 

なぜ、日本の麻文化を守る、次世代へつなぎたいと思うか?

タイトルの答え、結論からいいますと、「日本の麻文化がなくなると、日本が日本でなくなってしまうから」と思うからです。

神道では、おお麻が使われています。何のために使われるか、清浄にするため、清浄を保つために、祓串で祓ったり、麻ヒモを結んだり、麻のしめ縄を掛けたりします。

この清浄にする、きれいにする、きれいになるというのが神道の根本にあり、これが日本人の価値観で、それに使われるのが、おお麻であると。

地域の祭りも神社、氏子があってこそです。

それから、日本人の名前として、麻里、麻央、麻理恵など、麻は成長が早くスクスク育つことからそれにあやかってつけられていると思いますし、名字に大麻(おおあさ)さんとか、麻植(おえ)さんがいらっしゃるのも麻にまつわるものと思います。

地名に、麻生、朝(麻)生田町、大麻町、麻、麻植などあるのもその地域が昔、麻に関わった痕跡と思われます。その歴史は古く、1万2千年前に麻の繊維が見つかっているところがあります。歴史がとにかく古いです。これらがそのままなくなってしまうとそれは日本ではなくなってしまうと私は思います。

2万軒以上あった麻農家が戦後、大麻取締法制定されてからしだいに減って、現在30軒あまりになり、栽培面積は10ヘクタール以下になっているのはそのまま日本の文化が縮小していっていることだと思います。

近年、伝統工芸、民藝、手仕事などが再評価されるなか、日本の麻文化、おお麻文化も需要がさらに高まっています。日本の麻文化を取り戻し、発展させ、後世に受け継ぐそれができればと思います。(特に、私は四国に生まれ麻に縁の深い四国にお世話になりましたので、四国の麻栽培を再生させることに注力したいです)

こんな時こそ、祈ること

祈ること。皆さまはされていますか?

神棚や仏壇がある方は祈ることを日々されていらっしゃるのではないでしょうか。

辞書をみると、祈り=「神仏に加護・救済などを請い願うこと。祈願。祈祷。祈念。」とあります。(大辞林第三版より)

では、祈るってどうすればいいの?と問われて説明できるでしょうか?

私は小さいときから家に神棚、仏壇がありましたし神道系の信仰のおかげで誰に教えられるまでもなく気がついたら祈っておりましたので、そう問われると「え?」となります。

目をつむって、あるいは頭を垂れて祈る、、??

私事ですが2013年に、白鳥哲監督の映画「祈り~サムシンググレートとの対話」をみました。これは人間の生命のあるべき姿に迫る内容、四国における初上映会でした。そのときに柳瀬宏秀さんが祈りの定義を以下のように表しているのを知り、よく言葉にしたなと思ったのを覚えております。

「祈り」とは(意+乗り)

自分のためだけの願いを、多くの人が賛成できる(乗れる)願い、思いに。神様も(乗れる)願いに。つまり、それが「祈り」であると。

私も祈るときは自然に自分のことではなく他人のことを祈っておりましたので、この説明は合点がいきます。(例:○○さんが幸せになりますように)

先日神道のある方は、祈りとは「神様と強い思いでずっとお話すること」とおしゃっていました。これはクリスチャンの友人から教わったそうです。

これなら神社やお寺、神棚または仏壇の前でなくても祈ることができそうですね。(ご自分でやりやすい方法でお祈りくださいませ)

映画「祈り」で紹介されていますように祈りの研究が進んでおり検証されているようですが、結論から言いますと、

「正しい祈りは叶う」ようです。

また、質問と答えが1つであるのと同じように「祈りと答えは1つ」であるのも言えると思います。

自身でも引きつづいて検証中でございます。また、神主が祓いに用いる道具、大麻(おおぬさ)、しめ縄、御札、御幣、鈴緒、狩衣、祭りの山車の引き綱、上棟式など、昔から大麻(ヘンプ)と祈りは密接に結びついていることを思うのです。

こんな時こそ、祈る。祈りませんか?あらたに気づいたことがありましらご報告させていただきます。

日本の文化、大切に!

夏越の祓 特集!7月21~8月18日までのひと月間(旧暦の6月=水無月)

水無月の夏越しの祓ひする人は 千歳のいのち延ぶといふなり

 

 

・参考文献

「願いを、祈りに」パンフレット(環境意識コミュニケーション研究所)

「日本の建国と阿波忌部」林博章著

なぜ日本人はよく働くか?日本と西洋のちがい

日本には仕事の神様がいらっしゃいます。

たとえば、手置帆負命(たおきほおいのみこと)と彦狭知命(ひこさしりのみこと)、この2神は建物の上棟祭で祭神となる建設の祖神、建設の神様です。また、大物主神(おおものぬしのかみ)は海の守護神と信仰される漁業の神様、大山咋神(おおやまくいのかみ)は秦氏が信仰した酒造の神様です。

日本の神々は世界の多くの宗教のように唯一絶対的な存在ではありません。八百万(やおよろず)と形容され、これは「数が非常に多い」ことを表し、それぞれ個性があり得意分野があるのです。(職業ごとに神様がいらっしゃる感じ)

春、農作業がはじまる前に豊作を祈る祭り、祈年祭(きねんさい、としごいのまつり)が神社でとりおこなわれますが、この祈年祭の祝詞のなかに「依(よ)さす」という言葉があります。依さすは、委任する、お任せするという意味で、本来働くというのは神様がおやりになることで、神様はとてもお忙しいので神様の代わりにあなたがた人間にお任せしますと書いてある、すなわち、人間は本来神様がする神聖な営みを神様に代わってできるというのです。たしかに日本神話で神様が休息しているというのは聞いたことがありません(あります?)。

西洋とまったくちがう考えです。西洋では労働はネガティブなイメージが一般的で、西洋人の考え方は、アダムとイブが禁断の実を食べてしまった為に労働を課せられたのです。つまり苦しみとして労働させられているのです。(旧約聖書では神自身も世界を6日間で創造すると7日目には休息したとあり、1週間に一度の安息日を設けることが定められています)

日本人はそうではなく、神様がおやりになることをできるのですから、それは喜びです。そう、働く喜びです。日本人はよく働く、そう言われてきました。外国人の多くは日本人に「真面目で勤勉」というイメージを持っているそうですが、そういうことだったんですね。

また、キリスト教会などでは、安息日である日曜日に教会を訪れ、オフィス(労働)と教会(祈り)が明確に分けられています。しかし、日本の会社に神棚があることは珍しくありません。(神棚にお祀りするお神札には神社の祭神の分霊が宿っています)

祈りの場所と仕事の場所が同じですから、日本では仕事は神に通じる行為であるのがわかる気がします。

先だって「仕事の神様大辞典」という本を手に取り、この記事を書いています。副題が「儲かっている社長はなぜ神社に行くのか?」とあります。

これは本を手に取ってもらうため目を引くようにしている工夫ではと思いますが、この本の中には“仕事の神様”の紹介のあとに『日本で一流と呼ばれる企業の多くは、その企業を守護するオリジナルの神社である「企業内神社」を持っている。』とあり、その「企業内神社」がいくつも紹介されていて、なぜ一流企業は神社を祀るかの理由(たとえば、企業内神社や神棚の前に立つことで自らの判断を振りかえり、心の安定を保つ等)も挙げられています。

なお、さぬきいんべ通信の記事のタイトルはなるべく地味にしています。同じように、日本の文化は一見地味に思えるものが多いように思います。しかし、そこには真に役立つ普遍の真理が内在しているのではないかと思うのです。

 

 

・参考文献

「アナウンサーが神職になって」宮田修(伊勢神宮崇敬会)2009年

「仕事の神様大辞典」瀧音能之著(宝島社)

神様にピントを合わせる。家庭における月次祭の一例

2年半前から家で月1回、月次祭(つきなみさい)をおこなっています。

新型コロナウイルスに関する報道の裏で、自然を大事にし、日々をより丁寧に生きることが重要になってきている気がします。

参考までに、我が家の月次祭のことを書いてみます。

月次祭のときは、日々のお供え(日供)の米、塩、水のほか、お酒、お餅、乾物、野菜、果物、お菓子などをお供えしています。

そして、祝詞を奏上し礼拝、仏壇へもお茶、御霊供膳、お酒などお供えしお祈りします。終わったあとに食事(直会にあたる)をし終了。

あと、月次祭の前に掃除をします。地元の神社の秋祭りではその前に地区の一斉清掃が毎年おこなわれますがそれと同じできれいにしてから月次祭をさせていただきます。

日は、神社のように毎月1日とは決めていません。都合でだいたい月末におこなっています。

神様にピントを合わせる、家族、知人などといっしょに祈る、1ヶ月の感謝とともに、世界が平和になっていくように。笑顔をイメージする、、、

神棚のない方は神棚を、神棚をおまつりしている方は日々の神拝、お日供を、お日供をしている方は月次祭をしていくのはいかがでしょう?子どもの信仰心を養うことができたり、家庭内が平和になったり、神様のこととか伝統とか作法ともども義務教育から学べないことを学べたりするのではと思います。

家庭の祭祀(まつり)は、地区地区の共同体の祭祀(まつり)、つまり神社の祭祀(まつり)につながるものです(神社のそれは天皇の祭祀とつながっています)。祭祀(まつり)を通して日本人は文化を守り伝えてきたと私は思います。

なお、仏教が伝来するまでの日本は、古くからの簡潔清明の心、飾らない心を持ち、飾り気のない清らかなものをよろこんでいたようです。(金色に光る仏像や複雑な建て方の寺院や、飾り立てる祭礼の道具や衣装はその後に広まった)

こんなwebページを見つけました。神棚の祀り方(あなたのお家やオフィスに「マイ神社」を持とう!)(クボデラ株式会社)

いまは現代の暮らしにフィットした神棚もあります。しめ縄は精麻のしめ縄を。(^_-)

私の場合は行きついた先が神道でしたが仏教、キリスト教等々、ご自分の信じるものでいいと思います。無理のない範囲で感謝、祈りの場を持ち清々しい毎日を送りませんか?

 

 

・参考文献

「家庭の祭祀(まつり)事典」西牟田崇生著(国書刊行会)

「少年民藝館」外村吉之介著(筑摩書房)

年末年始を迎えるにあたり心得ておきたいこと

ホームセンターで「新しい神棚で新年を」というポップとともに神棚関係の棚を見かけました。最近は今風の神棚(壁掛け式)があるんですね。

古い家だと伝統的な神棚が合うでしょうけど、洋間の多い現代の家なら今風に作られたものが合うと思います。

年末年始を迎えるにあたって、3つお伝えしておきます。

まず第一に、毎年しめ縄の注文をいただく方がいらっしゃいます。今年はご希望の方に年内にきちんと届くようにということで、国産大麻(精麻)しめ縄&鈴緒年内お届けご予約ページを開設しております。

例年ですと12月初旬までにご予約いただければ年内のお届けが可能です。(諸般の都合その他の事情によりご予約締め切りの時期が早まる場合があります。その際はご容赦ください)上記のご予約は終了しました。年内お届けできるのは在庫の数量だけです。ご了承ください。(12月11日追記)

2つ目。「しめ縄は毎年変えた方がいいですか?」とお問合せいただくこともあります。

答えは否。ご予算などに応じて新しくしたらと思います。スーパーで売られているような市販のしめ縄、しめ飾りなら躊躇ないとは思いますが、国産精麻、あるいは稲わら製の職人の手仕事でできたしめ縄は大切に使いたくなる人も多いのではないでしょうか。

氏子からしめ縄や鈴緒が奉納されている神社では毎年変えてないところも多いです〔それでもすす払い(家庭でいう大掃除)をし紙垂を新しくしたりして新年を迎えているところが多数〕。

ちなみにしめ縄、鈴緒を民芸とみるなら、使っていく中での素材の変化にも目を向けて楽しんで、あるいは使用後はお焚き上げせずに大切にしまっておくのもありかもしれません。濱田庄司氏(1894~1978年)はよく「作ったところで半分だ。そこから先は使い手が作る。だから、使うことも創作だ。」と話しておられたようです。例えば新しい青い竹かごが使っているうちにアメ色になるとかありますが、そのへんの判断は各自にお任せいたします。

もし、迷うようなことがありましたら、心の声を聞いてみるといいと思います。心がイエスと言った方、心が明るくなった方、心が軽くなった方を選ぶのをおすすめします。

 

3つ目はその根本にある理由です。

日本の神道は黄泉(よみ)の国から帰った伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の禊ぎにみられるように「きれいになる」、また「再生」を尊ぶという、言わば「新生」する精神があります。これに付随し、黄泉の国から帰ることを意味するよみがえり(黄泉がえり)という言葉もあります。

また常若(とこわか)といういつも若々しいさまをいう言葉もあります。前述のすす払いや大掃除、お神札、しめ縄などを1年毎に納めて新しくする背後にはこういう意味合いがあります。

なお、使い終わったものは、社寺の境内等で家庭の門松やしめ飾りなどを一緒にはやす(燃やす)正月の伝統行事、どんど焼き(左義長、とうどうさん、地域によって呼び名がちがう)へ。そこで1年の無病息災を祈りましょう!

そう、年越しの大祓も忘れずに。日々の生活の中で気づかないうちに生み出した目に見えない罪穢れをすべて祓い清めて新しい年を迎えます。

新年は1年で一番神様を感じる時ではないでしょうか。その新年を迎える前と、迎えた後。伝統行事は1年を健やかに過ごす先人の知恵です。いい年末年始を迎えるために気をつけたらと思うことを書いてみました。

精麻についておさらい

精麻とは、アサの茎から表皮をはぎ、そこから表皮など余分なカスを取り除いたものをいいます。

極上の国産精麻
極上の国産精麻(1本)

黄金色でツヤがあり、新聞の文字が見えるぐらいに薄くひかれたものが上質とされます。(「色・ツヤ・薄さ」と私は覚えています(^_-))

なお、ちょっと古いですが福山雅治主演のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で岩崎弥太郎宅の納屋に干している黄金色のは精麻と思われます(同ドラマでは栃木県鹿沼市の麻農家、大森由久さんが麻縄づくりを指導)。

今日では、神仏具や縁起物としての利用が多いです。

神道では麻は「神様のしるし」あるいは「神様の宿る神聖な繊維」とされ、神官がつける狩衣なども麻で作られています。また、お祓いの時に使用する幣や鈴緒などにも麻は欠かせません。

縁起物としては、結納で取り交わす友白髪があります。そして、魔をはらうなど呪術力があると考えられていて、ほかにもヘソの緒を縛る糸や死に装束、地域の祭礼など人生の節目や季節の節目に使用されてきました。

 

日本最大の生産地である栃木県で生産されたアサは、生産農家によって精麻、皮麻、苧幹などに加工され、野州麻の名称で全国に流通しています。

かつて、同県では生産地によって引田麻、把麻、岡地束、引束、板束、長束、岡束、永野束などの銘柄があり、結束の方法が異なっていましたが、栃木県では1933(昭和8)年に「麻検査規則」(昭和8年7月11日栃木縣令第46号)を定め、その統一を図りました。

同時に品質の統一を図るため、同年10月より等級検査が実施され、規格の統一が図られました。その結果、精麻は極上、特等、1等、2等、3等、4等、5等、等外の8つに区分されました。

検査は肉眼で行い、品質、長短、強力、色沢、乾燥、調製、結束の各観点より等級を定めました。例えば精麻の極上は「最も光沢に富み、清澄なる黄色か黄金色。手さわり、調製、乾燥すべてに最もすぐれ、繊維が強力なもの」、特等は「光沢に富み、清澄なる黄色か黄金色ないし銀白色。手さわり、調製、乾燥に最もすぐれるもの」などとし、それぞれの基準が設けられました。

野州麻(精麻)の利用 大正時代と現在
大正時代 現在
主な用途 出荷地 主な用途 出荷地
下駄の鼻緒の芯縄 栃木・東京・大阪など 神事・祭礼・縁起物用 全国各地
軍需用(綱・縄) 東京・神奈川など すさ(寸莎、建築用、壁のつなぎ材) 全国各地
綱の原料 東京・神奈川・愛知など 下駄の鼻緒の芯縄 東京・栃木など
魚網 茨城・千葉・神奈川など 綱(凧糸・山車綱等) 静岡・新潟など
衣類・蚊帳地 滋賀・奈良・福井など 衣類 滋賀・奈良など

 

 

 

 

(主な用途および出荷地の配列は出荷量の多さとは対応していない)

なお、栃木県でニハギ(煮剥)、精麻と呼ばれるものが、麻生産の歴史が古い広島県近辺ではそれぞれ、アラソ(荒苧・粗苧)、コギソと呼ばれます。

麻の茎の皮を剥いで精麻にするまでの工程は、地域によって多少のちがいがあります。

収穫後、麻の茎を折らずに蒸すところもあり、その場合は高さが2~3mにおよぶ桶が使用されました。こうした桶は、青森県立郷土館(青森市)、宮古市北上山地民俗資料館(岩手県宮古市)、朽木郷土資料館(滋賀県高島市)、石川県立白山ろく民俗資料館(石川県白山市)、広島市郷土資料館(広島市)、四国村(高松市)、宮崎県総合博物館(宮崎市)など全国各地の博物館施設で見ることができます。(その多くは麻だけではなく、楮や三椏などを蒸す時にも使用されたそうです)

 

 

参考文献

・「地域資源を活かす 生活工芸双書 大麻あさ」倉井耕一・赤星栄志・篠﨑茂雄平野哲也・大森芳紀・橋本智著(農山漁村文化協会)

・「日本の建国と阿波忌部」林博章著