奈良・天川村の古社、天河大弁財天社の国産精麻の鈴緒で鳴らす「五十鈴」

天河大弁財天社(天河神社)は、吉野国立公園山岳地帯の中央、大峰山系を源流とする天の川のほとりに鎮座します。

天武天皇のころに開山、日本三弁天の1つに数えられる古社です。

ご神殿の中央に取り付けられた「五十鈴(いすず)」は、天照大神(あまてらすおおかみ)がお隠れになった岩戸の前で天宇受売命(あめのうずめのみこと)が舞を舞う際に振った矛についたお鈴とされています。

その中央から6メートルあまりの七宝編みの網がついた国産精麻の鈴緒がつり下がっています。(鈴緒を持ち上げ、円を描くように回転させると「五十鈴」が美しく響き渡るそう)

「五十鈴」と、国産精麻の鈴緒
「五十鈴」と、国産精麻の鈴緒

 

天河大弁財天社といえば、龍村仁監督のドキュメンタリー映画、「地球交響曲 第八番」のはじめに紹介されていた同社で600年間眠り続けてきた能面「阿古父尉(あこぶじょう)」を復元させるお話を思い出す人も多いのではないでしょうか。

樹に宿る精霊と向き合いながら能面をよみがえらせていく過程や、代々受け継がれてきた自然をおそれ敬うご神事を通して日本人が古来、目に見えない大切なものと、どのように対話を重ねてきたかが描かれていました。

天皇に代わり伊勢神宮の祭祀に仕える「斎王」、豊鍬入姫命と倭姫命

伊勢神宮のご祭神である皇祖・天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、もとは大和朝廷の宮中に祀られていました。

日本書紀によると、第10代崇神天皇の御代、そのご神体は皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託され、皇居を出て倭・三輪山西麓の笠縫邑(かさぬいむら)に遷し祀られました。

つづく第11代垂仁天皇の御代には、ご神体は皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)に託され、よりふさわしい鎮座地を求めて諸国を遷幸した末、伊勢国の五十鈴川の川上に奉斎されました。

これが皇大神宮の創祀で、約2000年前のこととされます。

豊鍬入姫命、倭姫命は天照大御神の寄りかかる御杖代わりとの意味合いから「御杖代(みつえしろ)」と称されました。

古くは斎王を御杖代と称し、豊鍬入姫命はその初代、倭姫命は2代目ともみなされています。

ただし、御代代わりごとに未婚の女性皇族が選定され、伊勢神宮の祭祀に奉仕する斎官制度が整備されたのは、律令制が確立されていった飛鳥~奈良時代にかけてのことです。

実在を確認できる最初の斎王は、第40代天武天皇が即位した673年に就任した大来皇女(おおくひめみこ)です。

以後、斎王の制は約660年にわたってつづき、南北朝時代の第96代後醍醐天皇の御代の祥子(さちこ)内親王を最後に廃絶しました。

史上60人あまりの斎王が存在したと考えられています。

なお、斎王(さいおう/いつきのひめみこ)の名称が定着したのは9世紀ごろとされます。

 

額に木綿鬘をつけた斎王の姿(肖像等)をどこかで見たことがあるのではないでしょうか。

斎王は忌み籠もり、神に祈りを捧げる日々を送って、彼女たちは天皇と伊勢神宮との結び目として存在しました。

 

 

 

・参考文献

「皇室」令和8年春110号(公益財団法人 日本文化興隆財団)

「図解巫女」朱鷺田祐介著(新紀元社)

心身のケガレ、諸々の罪・過ちを祓い清める6月の夏越の祓と、12月の年越の祓

大祓(おおはらい)は、常に清らかな気持ちで日々の生活にいそしむよう、心身のケガレ、災厄の原因となる諸々の罪・過ちを祓い清めることを目的とする行事です。

起源は、ここで何度も触れていますが伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらい)で、宮中においても古くから大祓がおこなわれてきました。(宮中では、6月30日に大祓のお祓い式、12月31日に大祓の儀)

鎌倉~室町時代以降、各神社で年中行事の1つとして普及し、現在では多くの神社の恒例式となっています。

年に2度おこなわれ、6月の大祓を夏越(なごし)の祓といい、人形(ひとがた・人の形に切った紙)などを用いて、身についた半年間のケガレを祓い、無病息災を祈るため、茅の輪(ちのわ)をご神前に立てて、これをくぐります。

茅の輪の例(氏神神社にて)
茅の輪の例(氏神神社にて)

また、12月の大祓は年越の祓といい、清々しい気持ちで新たな年を迎えるために心身を祓い清めます。

それぞれの日時は神社によって異なりますのでご確認ください。(例:氏神神社では夏越の祓は毎年旧暦6月16日におこなわれます)

水無月の 夏越しの祓ひ する人は 千歳のいのち 延ぶといふなり

 

 

・参考文献

「神道いろは」神社本庁教学研究所監修(神社新報社)

「皇室の祭祀と生きて」髙谷朝子著(河出書房新社)

奈良の神社にご縁があり、年に数回お参りしているという方の神棚

お客様からしめ縄を「このように飾らせていただきました。」と写真をお送りいただきました。(※写真は許可を得てご紹介しております)

一社づくりの宮形で、橿原神宮と天河大辨財天社(天河神社)のお神札もお祀りされています。据えられているのはスチールラックの上でしょうか。

お客様からいただいた写真(一社づくりの宮形に、牛蒡型の麻のしめ縄)
お客様からいただいた写真(一社づくりの宮形に、牛蒡型の麻のしめ縄)

お客様は、奈良の神社にご縁があり、年に数回お参りしているそうです。(奈良県の神社で真っ先に思い浮かぶのは大神神社で、三輪山に登拝したことがあります)

「やはり実物は、精麻のエネルギーが素晴らしいです。丁寧に作っていただきありがとうございました。」とお言葉が添えられていました。

清楚な雰囲気が伝わってきませんか?

忌部氏と中臣氏の和合と封印を解く、安房~上総~常陸の祈りの旅

3月、天之御中主(あめのみなかぬし)様を代々お祀りしている巫女の家系とおっしゃる方より、お問合せがありました。

春分の前後に安房~上総~常陸の祈りの旅をする予定で、下記の神社をまわります、と。

千葉神社→洲崎神社→安房神社→天之御中主神社→玉前神社(神洗神社)→白子神社→猿田神社→香取神宮→息栖神社→鹿島神宮

目的は、忌部氏と中臣氏の和合と封印を解くこと。

「ある依り代を包む麻布か、麻紐でもいいので、何かよいものがありますか?」

後日お電話をいただき、麻紐、麻縄を数種ご提案し、麻布は手元にあった生地見本としていただいたものと一緒にお送りさせていただきました。

 

その後どうなったのかと思っていましたら、メールで今回の祈りの旅がうまくいったとご報告をいただきました。

この旅の途中、全国でこの方がまわっているところだけ悪天候だったそうですが、それは浄化のサインだったとのこと。

今回の旅に出た理由、経緯もすこし添えられていました。

 

このような活動をされている方が他にもいらっしゃるのでは?と思い、シェアさせていただきます。

4/5京都の水火天満宮、4/18出雲大神宮にて「みろく涼香舞」を奉納

今年も謡曲仕舞奉納家・一扇様が4月5日(日)の水火天満宮(京都市)の櫻花祭にてみろく涼香舞を奉納されました。

 
 
 
 
 
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前日の雨に清められた清々しい境内には、美しい桜が静かに待っていてくれたそう。

世界平和への祈りを込めてみろく涼香舞「草子洗」を舞われた一扇様は、「真善美」に「愛」を加えた「真善美愛」を大切にされているとのことです。(真善美が整うと、愛が自然に集まってくるということでしょうか)

21世紀は国際化が進んで広い教養が必要になってくる。最近あまり言われなくなりましたが「真善美」の言葉を取り上げます。

これからの社会においては真だけでは不十分であり、善を実践する努力をしなければなりません。ただ何が善であるかを判断する基準は簡単でなく、究極的に何によって判断するかと問われれば、それはその人の持つ美に対する鋭い感覚によると言わざるを得ないのであります。そして美的感覚を磨いている人の判断はまず間違わず、その実践は正しく、また社会に対して善をもたらすことになるでしょう。

したがって、これからますます複雑化し、何が正しいかが明確化しない21世紀社会において、この美的感覚は欠くことのできないものであると思います。そういった意味で、私は「真善美」の中で美が最も高位に位置するものと考えております。(平成11年4月、長尾真・元京都大学総長による入学式式辞より抜粋)

同日、観世流(梅若派)緑幸会主宰の能楽師・井上貴美子氏、井上須美子氏、井上裕美子氏、緑幸会会員による仕舞も奉納されました。

 

4月18日(土)には、出雲大神宮(京都府亀岡市)で鎮花祭(はなしずめのまつり)が斎行され、そこでも「みろく涼香舞」を奉納されるそうです。

鎮花祭は、疫病と干ばつを鎮め病気平癒と雨乞いの神事で、平安時代より千年余り続いているそうです。

けがれたら浄めればいいという考え方。日本の浄めの儀式、水と塩と麻

日本人の清浄感であり、罪悪感でもあるケガレと浄めについてです。

心身が汚れてしまった、悪いことをしてしまった、と感じるのがケガレという感覚です。逆に心身ともに清浄潔白であると感じるのが浄めです。

多くの日本人は、ケガレはあらゆるところに散らばっていると考えています。

街を歩いていても、どんなケガレを拾ってしまうかもわからない。たまたまケガレを拾って、体にくっついてしまったように感じるのです。

洗ってしまえばまたすぐにきれいになるというのが、日本人のケガレの感覚です。

キリスト教のような罪というものが体の奥深く入っている、という原罪という考え方は日本人にはないです。

ですので、けがれたら浄めればいいというのが、日本人の考え方です。

そのために浄めの儀式、または仕草というものが日本人の生活のいたるところにあります。

浄めのために一番有効なものが、水と塩と麻(精麻)です。

一番手近なのは、水で洗う。そしてもっと強力なのは、塩で浄める。さらにその上が麻で祓う、ひき撫でるという方法です。

麻については、天皇の即位後の践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)で、麻織物・麁服(あらたえ)が調進され、斎行される他、神社において神主さんが大麻(祓串)を用いてお祓いしたり、参拝の際に拝殿前の鈴緒を振って鈴を鳴らしたり、巫女が髪を精麻で結んだりします。

国産精麻でできた祓串(はらえぐし)(写真は高さ約30センチのもの)
国産精麻でできた祓串(はらえぐし)(写真は高さ約30センチのもの)

大相撲では、関取が土俵に上がるときに塩をまきます。浄めのために塩をつかっているのです。

この塩よりやさしいのが水。

茶の湯では手水鉢の水で心身を浄めて、にじり口を通って、茶室に入る許しが得られるのです。

 

 

・参考文献

「楽苑94号」熊倉功夫氏”茶の湯について”(SHUMEI PRESS)

「日本の建国と忌部」林博章著

 

大和朝廷で神事を担当した氏族、中臣氏と忌部(斎部)氏について

かつて、大和朝廷で神事を担当した氏族が中臣(なかとみ)氏と忌部(いんべ)氏でした。

忌部氏は中臣氏の祖である天児屋命(あめのこやねのみこと)とともに天岩戸の前で奉仕した太玉命(あめのふとだまのみこと)を祖とし、祭祀具をつくりととのえる一族です。

平安時代中期の律令(りつりょう)の運営マニュアル、「延喜式」(神祇)には「践祚(せんそ)の日は中臣が天神の寿詞(よごと)を奏し、忌部が神璽(しんじ)の鏡剣を上げる」とあり、分業体制でした。

しかし、中臣氏と幣帛使(へいはくし)就任をめぐって大同元(806)年8月に「両氏相訴」の論争が生じたことが「日本後紀」に載ります。

このときは「両氏を取って用い、必ず相半し当てる」とされましたが、現実的には中臣氏の勢力は増す一方でした。

 

先日、いくつかの神社を参拝して、忌部氏と中臣氏の和合などをこれからお祈りする予定と代々、巫女の家系というお客様がいらっしゃいましたので、すでにご存じの方にはアレですが、中臣氏と忌部氏についてご紹介させていただきました。

 

 

・参考文献

「呪術と科学の有職故実図鑑」八條忠基著(平凡社)

大麻(祓串)の役割に代表される「祓い」とは何をどうすることか

禊ぎと祓いはその働きが似ていることから密接な関係をもち、「禊ぎ祓い」や「祓い禊ぎ」というように、両者は複合語としてつかわれてきました。

「古事記」で伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が禊ぎをするために「御身をすすぎたまう」とあるのが禊ぎにあたります。

「祓い」とは本来は「祓え」で、古語では「祓へ」、「祓い」は古語では「祓ひ」です。

現在では「祓い」と「祓え」は同じ意味でつかわれています。

厳密には両者は異なり、「祓い」は「罪、けがれ、災いを自力で祓い清めること」で、一方の「祓え」は「罪、けがれ、災いを祓えの神様に祈り、神様が祓え清めてくださる」という意味です。

 

神社へ行くと、神主さんが大麻(祓串)を振って私たちの罪・けがれ・災いを祓え清めてくださいます。

大麻(おおぬさ)とは、神社でお祓いを受けるとき、神主さんが私たちの罪・けがれ・災いを祓え清めてくれる、それにつかう道具(祭具)の1つです。形は、サカキの枝、あるいは白木の棒の先に紙垂ないし精麻(麻苧)をつけたものです。

神社の拝殿のなかには祓戸(祓所、祓殿)が設けられていて、そこにお祓いの神様がまつられています。

お祓いの神様とはどのような神様か?

これは「祓戸四柱の大神」といい、「大祓詞(おおはらえことば)」にみえる瀬織津比売(せおりつひめ)・速開都比売(はやあきつひめ)・息吹戸主(いぶきどぬし)・速佐須良比売(はやさすらひめ)の四柱の神様のことです。

これらを「祓戸四柱」「祓戸四柱大神」「祓戸大神」などともいいます。これらの神様が私たちの罪・けがれ・災いを祓い清めてくださいます。

 

 

・参考文献

「厄除け厄祓い大辞典」三橋健著(青春出版社)

「現代語古事記」竹田恒泰著(学研)

 

なぜ、神社の境内はいつも整備され、きれいに掃き清められているか

神社(仏閣)へ行くと、境内はいつも整備され、落ち葉もきれいに掃き清められています。

このことは、奈良時代に規定があって以来のようです。

平安時代に編纂された法令集、「類聚三代格」に残る宝亀8(777)年3月の太政官符「督課諸祝掃修神社事」で、神社はいつも掃除をし、破損したら修繕せよと規定されています。

この後、命令がなし崩しになってしまわないように何回か同じような命令が出ており、弘仁3(812)年5月には風水害や火災のときは朝廷に報告せよ。それ以外で社殿の損傷を放置するなどしたら位階剥奪、無位の白丁なら杖打百回の刑に処す、と厳しいお達しがあったようです。

かつては、全国の神と神社を朝廷の管理下に置く目的で、「従五位下に叙する」など神に位階を授けることがおこなわれました。(神階は諸司諸国が申請して天皇が定める)

 

ただ、日本の麻の文化を含めた清潔にする、あるいは、きれいきたないという精神の根本は、こちらで書いた伊耶那岐命(いざなぎのみこと)の禊祓の起源にあると思います。

これからも神社もお寺もきれいであってほしいです。

 

・参考文献

「呪術と科学の有職故実図鑑」八條忠基著(平凡社)