美の基準

「美しいということは、その分だけ神に近いということだ」

これは10年以上前に読んだ司馬遼太郎著「竜馬がゆく」の中の一文です。〔(一)「寅の大変」の章で出てきます〕

名言!と思ったことを思い出します。

私は20代のとき、ある方の「本物を見なさい。本物を見続けていたらだんだんわかってくる」という話を聞き、ホントかなと思いながらなるべく展覧会などへ行き、“本物”と思われるものを見たり聴いたりしてきました。

その頃は香川県に住んでいたので例えば金刀比羅宮(表書院、奥書院)、直島家プロジェクト、香川県立ミュージアム(円空展、創建1200年記念「空海誕生の地 善通寺」展、流政之展)、東儀秀樹コンサート、玉藻能公演、猪熊弦一郎現代美術館(各種特別展)、東山魁夷せとうち美術館(開館記念展他)、ジャーパンファンライブ、東京国立博物館(土偶展、阿修羅展)、「神代音絵巻~むすひ~」コンサートなど行きました。

最初はよくわかりませんでしたが、そのうちこれいいなとか、これ好きと思うものが出てきたように思います。そうすると、次コレ行きたいとかなってきて、、

それが何年かぶりにMIHO MUSEUM(滋賀県)を訪れた際、それが同館の20周年記念展(2017年)で、自分が本物と思って見てきたものが古美術とか古代美術といわれるものが多いことに気づいたんです。

僕は「美しいものは自然物に近い」とも思っています。

これは『美術手帖』2019年4月号、特集「100年後の民藝」の月森俊文氏(日本民藝館職員)と青柳龍太氏(現代美術家)の対談での青柳氏の言葉。

この対談で、現代のものより古いものの方がすごいという話が出ています。前から私もそうだと薄々思っていました。

焼き物でも、桃山より室町のほうが美しいし、室町は鎌倉に太刀打ちできない。古い時代のものほど優れている場合が多い。ある時代には醜いものが一切ない場面も見られます。でもそれは言葉では伝わらない。まず「上代の作はすごいなあ」と体験することが大切。(月森氏)

さらに月森氏は、上代の作物が美しい理由のひとつはつくった人間が我々より自然に近いからでしょうと指摘しています。

そうかもしれません。

彼らは風の匂いで天候を察知し、五感を超えた感覚や気配で危機を回避するような力を持っていたと思います。そういう人たちがつくり手だった。つくられたものを見ると、自然が人間を使って生ませた、と言いたいくらいです。(月森氏)

「形の素」赤木明登・内田鋼一・長谷川竹次郎著の3者の対談で赤木氏(輪島塗塗師)はこう語っています。

でも竹次郎さんの言うとおりで、形って連続性があると思います。そのDNAみたいなものがずっと繋がっていて、その流れの中に自分がいるということが重要。その道筋みたいなものが見えてくるのが、古いものを見ている上では大事なんじゃないかと思うのです。

ただ、こうしてぼくらが選んだものを改めて見てみると、生活工芸ではなく、呪術工芸と言えるかもしれないですね。祭祀や呪いのほうに向かっている(笑)。この20年くらい「生活工芸の時代」なんて言われて、鋼一ちゃんとぼくは、その代表格みたいに思われているけどね。おそらく2人ともにその場所にも違和感を抱えてきた。生活工芸と言われているものもそろそろ衰退期に入っているし。新しい何かがもう始まっているんだよ。

近年、民藝や伝統工芸が見直されてきているのも上記の指摘のように本質を求める“原点回帰”の流れで当然のことなのかもしれないです。

人によって美しいと思うものは違う。それはもちろんそうだと思います。今回は美の基準ということで思っていることをまとめてみました。

参考文献:

「竜馬がゆく」司馬遼太郎著(文春文庫)

「美術手帖」2019年4月号(美術出版社)

「形の素」赤木明登・内田鋼一・長谷川竹次郎著(美術出版社)

なぜ神棚をお祀りする?神棚の真の意味

神棚と精麻のしめ縄

伯家神道・十種神宝御法の修行座を何回か受け、数年経って、あるとき神職の方が私に言いました。「神棚を祀った方がいいよ」

神社へ行くと「お伊勢さまと氏神さま・鎮守さまのお神札をおまつりしましょう」(神宮司庁、神社本庁・全国神社総代会編)というお神礼のお祀りのしかたを書いた紙を見たことがあって、その知識を元に、真ん中に天照大御神(お神礼)、右に氏神神社、、ですよね?と聞くと、「そうそう」と。

日本の祭典は在来、神の古来、神の形式を取っていたのはご存じですか?後に仏教が入ってきましたが、その前までは神の形式でした。

家に神棚はありますか?なぜお祀りするんでしょうか?

 

その島に天降りまして、天の御柱を見立て八尋殿を見立てたまひき。

古事記の国生みにおいて、伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)の二神は、おのころ島の真ん中にまず「天の御柱を見立て」ます。

この御柱が暮らしの始まりの場の中心になります。この場の一番象徴的なのは神社、つまり鎮守の森です。

そして、神社の建築様式が家の建て方の思想的な基本。神社ではまず柱を象徴的に奉ります。これが伊勢神宮のご本殿の床下中央にある心の御柱です。また、いにしえの出雲大社は9本の柱で大きな社が立っています。一回り太い木を3本合わせて真ん中に心の御柱を立てる。心の御柱が中心となり、学者の推測では48メートルの高さが可能になるように工夫しました。

 

家の大黒柱という思想もそこにあります。大黒柱とは日本建築の中央部にあって家を支えている柱のこと。最近の家では見なくなっていますが他の柱より太いです。

写真は我が家の大黒柱です。

古民家の大黒柱
古民家の大黒柱

そこには先祖の魂(みたま)が宿ります。春夏秋冬、時間軸が人間として家として文化がつながっていく。自分が死んでも子どもがそれを永遠に受け継いでいきます。その根源は魂(みたま)です。魂(みたま)が働いていく。

暮らしの中で目に見えないいのちの根源の力、これを日本人は魂(みたま)と呼びます。いのちを大切にするということ、まず魂(みたま)を大切にすること。これが形ある世界では柱として表現されているのです。

人間として自分にとって大切なものはやはり、いのちではないでしょうか?

 

このように、暮らしのはじまりに柱を立て、この柱の立つ場が神社の姿になったのが、家にある神棚です。

神棚の真の意味は、天の御柱から出発をした天地自然の中に、自分が人間として健全に生きていくんだ、この天地自然のいのちの御柱から離れて生きていけないんだという目印、目標なのです。

おお麻(ヘンプ)と神棚のある生活
会社の神棚と精麻のしめ縄

 

おお麻(ヘンプ)と神棚のある生活
家庭の神棚と精麻のついた幣

 

改装した古民家の神棚と精麻のしめ縄
改装した古民家の神棚と精麻のしめ縄

その場にあったやり方でお祀りしませんか?(現代の暮らしにフィットした神棚もあります)

 

身を修め家を斉(ととの)えんと思う者は、まず、天照太神の徳を尊び、朝夕拝し奉るべし。(中略)朝夕怠りなく修め勤むるときには、必ず家斉い、身修まるべし。(『神道唯一問答書』)

 

 

参考文献

「みそぎ第十四号」(伯家神道)

「日本人の忘れもの1」中西進著(ウェッジ文庫)

古神道的な視点からみた日本と西洋の文化のちがい

日本を訪れる外国人観光客は、和食がユネスコ無形文化遺産に登録された2013年に1000万人を越え年々増加、2018年には3000万人を突破しました〔日本政府観光局(JNTO)調べ〕。

2020年には東京オリンピックが予定されており、さらに増加することが予想されます。

外国人観光客が増えると、私たち日本独自のものとは何?と考えますね。私が感じる日本と西洋のちがいをご紹介したいと思います。

・多神教⇔一神教

日本は多神教、八百万(やおよろず)の神で、水の中には水の神、木の中には木の神がいるというように、ありとあらゆる自然物に神様がいると考えます。例えば、神社のご神木にしめ縄が巻かれているのはご存じですね。

小千命お手植えの楠(樹齢2600年、大山祇神社)
小千命お手植えの楠(樹齢2600年、大山祇神社)

それに対してキリスト教は一神教です。

 

・なるようになっていく、なるべくして、なる(かむながら)⇔ナニナニすべき

日本は、「かむながら」の精神で、(神の御心のままに)なるようになっていく、なるべくして、なるという考え方です。

一方、西洋は非常に目的志向が強い、ナニナニすべきと、思想や理念に頼り相手を説得していこうという啓蒙主義的な考え方です。

 

・きれいきたない(伊邪那岐命のミソギ)⇔善悪(アダムとイブ)

日本人はきれい、きたないを大切にします。古事記において伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は黄泉の国から帰ってケガレを洗い流すためにミソギをします。それから、人をののしるとき「きたねーゾ」と言う人もいます(笑)。

西洋は前述のごとく、~すべき、~してはいけないと善悪を大切にします。

 

・型(作法、祭り、伝統行事など)⇔論理(ナニナニすべき)

日本は「型」を大切にし、型で伝承されます。芸道でもそうでしょう?その型の中に大切なものがすべて詰まっているように思います。

そういう目で見ると、地域の祭りや伝統行事は、型が伝承され子々孫々まで伝わっていきます。300年続いている地元の西条まつりを以前にも増して大切にしたいと思うようになりました。

京都・祇園祭の大船鉾(2014年、150年ぶりに復活)
京都・祇園祭の大船鉾(2014年、150年ぶりに復活)

対して、西洋は論理(ナニナニすべき)で伝達されます。

 

・水平的(動作、作法)⇔垂直的

弓道(弐段)の体験もありますのでわかるのですが、日本の作法は水平的ですよね。流れるような感じで動いていきます。対して、西洋の格闘技、ボクシングなどは動きが激しく、また上下(垂直的)のフットワークで相手に対しようとします。他にも例がありそうです。

 

・はらう(引き算)⇔付加・盛る(足し算)

はらうと言えば、やはりまず思い浮かぶのは神社の「お祓い」でしょう。

お祓いにつかう祓串(国産精麻がついたもの)
お祓いにつかう祓串(国産精麻がついたもの)

伯家神道も祓いを大切にします。体験者はうなずきますね。^^

他にも日本人にとって香りは、西洋の香水のように人をひきつける機能よりも、邪気をはらう方が目的です(これは別のところで紹介させていただこうと思います)。

 

・言霊(母音、子音+母音)⇔言葉

日本には言霊という思想があります。私は祝詞の中でも身曾岐祓を唱えるととても気持ちよく感じます。またはじめて聞いたとき子守歌のようだと思いました。

なんとなれば日本語はすべて母音が伴っているからなんですね。それから何気なく使っている日本語だけでなく、日本語の古語、大和言葉にも興味を持つようになりました。

対して英語は、議論、討論、そういうのに非常にいいですが、気持ちを伝えるとかニュアンスを伝えるのは不向きとされます。

 

・自然順応・尊重⇔自然克服

日本は自然を大切にします。

神というものは植物、花、いろいろなものの中にあまねく存在しているというのが日本人の自然観、目の前にあるひとつ1つが神、命とすればなおさらです。

私たちの食生活というのは実は神様と私たちの出会いなんです。

西洋は自然はものですから都合のいいように破壊していきます。

 

・和(全体、一元)⇔分離(個)

日本人が和を大切にするというのはご存じのとおりです。すべて同じ命ですしすべてがつながっているんですから。

障子や欄間は空間を完全には遮断してません。1つの空間としてみているんですね。

 

 

私は、20歳過ぎても西洋がすばらしく日本はダメと考えてきました。「ここがヘンだよ日本人」というTV番組もありました。日本の音楽よりも洋楽をよく聞いていたし、目の前のものは「もの」でした。

ところが、知人のすすめで伯家神道・十種神宝御法の修行座を受け、学ぶうちに日本の文化はすばらしいと思うようになりました。高校時代、弓道をした体験(弐段)と相まって日本を見直しました。

自分が気づいたことを伝えたい、古神道で重要視されている祓いといえば、おお麻(ヘンプ)だと思い、今日のさぬきいんべがあります。

再び、日本的なものが注目されている時代。2012年は古事記編纂1300年の節目でした。

来る2020年は東京オリンピックの年だけでなく、日本書紀が完成してから1300年の節目です。

 

 

参考文献:

「みそぎ」(伯家神道)

「ヘンプ読本」赤星栄志著(築地書館)

京都の木工職人と麻縄職人による国産精麻がついた祓串(大麻)にて祓う術

神主が祓いに用いる道具は「大麻(おおぬさ)」と呼ばれ、神事には必ず用いられます。

「大麻」は「祓(はらえ)の幣(ぬさ)」であり、今日一般的には榊の枝に麻苧(麻の茎の繊維を平らに熨したもの)と紙垂を添えて取り付け(麻苧のみの場合もある)、祭事の際は修祓行事に使用し、あるいは檜の角棒(幣串・幣棒などと称する角棒)や丸棒を串として、これに麻苧と紙垂を添えて取り付けて(麻苧のみの場合もある)筒の中に納め置いて、日常の神拝などの際に、筒から取り出して修祓に使用するものである。『家庭の祭祀事典』西牟田崇生著(国書刊行会)P108より

大麻(たいま)は神道では罪や穢れを祓う神聖な植物とされてきました。

なぜ縄文~弥生期に使用されたか

「ものを縛る」「束ねる」「吊す」「土器に縄文をつける」「釣り糸にする」「弓の弦にする」「袋の口をしめるヒモにする」「鏡や首飾り、腰飾りなどの孔に通すヒモにする」「縄帯」「衣服の腰ヒモ」「縫い糸」「編み物の材料」「舟のもやい綱」「海人の命綱」「はえ縄」「墨縄」「結縄」など、大麻は縄文~弥生期に頻繁に使用されました。なぜか?

1.繊維が強靱であること。

2.種蒔きから約90日の短期間で人間の背以上に高くまっすぐ育ち、栽培しやすいこと。

3.大麻には神々と交信し、自然のメッセージを受けるシャーマンに必要な一定の覚醒作用があると思われていること、など。大麻そのものがもつ縄文時代以来の日本人の体験による不可思議な神聖さとその呪術性ゆえです。

私たちが知るところでは、しめ縄、御札、御幣、鈴緒、狩衣、祭りの山車の引き綱、上棟式などで使用されてきた大麻。現在、神社で大麻が最重要視されているのは「神が宿る神聖な繊維」とみなされているからです。

国産大麻(精麻)の祓串

大麻(おおぬさ)は、白木の棒で作ったものは祓串(はらえぐし)とも言います。

この祓串は、紙垂と精麻がついたもの、紙垂だけのもの、精麻だけのものがありますが、さぬきいんべでは国産極上精麻だけがついた祓串をご用意。

白木の棒と置き台に木曽桧(樹齢150年以上)の柾目材を用いた京都の木工職人と麻縄職人からなる伝統工芸の粋を集めた神具です。※高さ約30センチと約75センチのものがございます。

写真は高さ約30センチのもの。

国産大麻(精麻)・祓串
国産大麻(精麻)・祓串【たまきよら】

 

こちらは紙垂付き。
こちらは紙垂付き。

随所に示された職人の心と技、国産精麻の黄金色、木曽桧の木目の細かさ、美しさ、香りなども併せてご観賞いただければ幸いです。罪穢れや病気、災厄などを祓い清める祓具として、朝夕の神拝など、自己祓いにお使いください。(2022年、東京・戸越八幡神社様より外祭用ということで高さ約60センチの祓串をご注文、納品させていただきました)

 

阿波国一宮・大麻比古神社の祓串

徳島県の阿波国一宮・大麻比古神社には上の祓串、高さ約75センチ(紙垂付き)が2017年に日本麻振興会により大麻比古神社に奉納されました。(奉納時にそこにおり、拝させていただきました)

なお、同神社では拝殿に向かって右側に自己祓い用の祓串があります。(神社によってあるところ、ないところあり)

大麻比古神社の祓串
大麻比古神社の紙垂と精麻からなる祓串

説明書きがあって、「自己祓いの作法」とあります。

1.両手で祓串を持ちます。

2.唱詞を奏上しながら自身の肩の辺りを左・右・左の順序で祓います。

3.祓串を戻し、お賽銭を納めます。

4.二礼二拍手一礼の作法で拝礼します。

唱詞「祓(はら)へ給(たま)へ 清(きよ)め給(たま)へ 守(まも)り給(たま)へ 幸(さきは)へ給(たま)へ」

文字通り、祓い清めてお参りするんですね。

 

 

参考文献:

「日本の建国と阿波忌部」林博章著

「大麻という農作物」大麻博物館著

「檜(ひのき)」有岡利幸著(法政大学出版局)

「家庭の祭祀事典」西牟田崇生著(国書刊行会)

国産大麻(精麻)しめ縄に牛蒡型が仲間入り!しめ縄はなぜ左綯いなのか

このたび、国産大麻(精麻)・しめ縄に牛蒡(ごぼう)型が仲間入りしました。

従来の取扱いは中央部が太くなった「大根型」、縄を丸めたわかざり(神居 和かざり)だけでした。牛蒡型は一方がだんだん細くなる形状です。

しめ縄の種類

しめ縄の種類
種類 形状・用途
大根型 中央部が太くなったしめ縄。両端が細くなっている。
牛蒡型 しめ縄の一方が細くなってだんだん太くなっている。
わかざり 綯った縄を丸めたもの。水回りや勝手口に飾ることが多いが、汎用性が高いため屋内外のさまざまな場所に用いる。

 

国産大麻(精麻)・しめ縄【大根型】
大根型

国産大麻(精麻)・しめ縄【牛蒡型】

牛蒡型

国産大麻(精麻)・しめ縄【神居 和かざり】
わかざり

どれも国産精麻を材料に、神社仏閣用の麻製品を調製する京都の職人が綯った美しいしめ縄。明治19年創業の老舗、株式会社山川の製品です。

しめ縄の起源

日本におけるしめ縄の古語は「尻久米縄(しりくめなわ)」で、天照大御神が岩屋から出てきたさいに、布刀玉命(ふとだまのみこと)が入口に尻久米縄を張って、天照大御神が再び岩屋に戻ることのないようにしたと『古事記』の神話にみられます。

しめ縄は精麻、稲わら、マコモなど天然素材から作られます。

しめ縄を七五三縄と表記するのは、七五三という言葉が昔から縁起のよい数字とされていたからです。また、しめ縄のことを、ほかに一五三、棒縄、〆縄、締縄、標縄などとも表記します。

しめ縄はなぜ左綯いか

縄を綯(な)う方法には「右綯い」と「左綯い」があります。※繊維をより合わせることを綯うといいます。

昔は一般に、普段の生活で使用する日用品の縄は右綯い、神事に用いるしめ縄は左綯いとされました。しめ縄は神聖なものであるため、日常に使う縄とは区別する意図があったようです。

もともと日本では「左=聖、右=俗」とする考え方があります。伯家神道では右手を神様の手(左手)でしっかり握りおさえて印を組むこと(唯一の印といいます)や、神道祭式において祭祀を行う祭場(斎場)の上位下位が神座を最上位に正中・左(神座から見て)・右の順となること、拍手の作法は両手を合わせた後、右手をやや左手より引いて手を拍つことなど。

国産大麻(精麻)・しめ縄【牛蒡型】紙垂付き
牛蒡型(紙垂付き)
国産大麻(精麻)・しめ縄【鼓胴型】紙垂付き
鼓胴型(紙垂付き)

わがくには神のすゑなり神まつる昔のてぶりわするなよゆめ(明治天皇御製)

また精霊を迎える盆踊りが左回りであること、死者の着物を左前にすることはご存じと思います。能楽にも「左右」という型があり、まず左を祓って、次に右を祓うようです。

飾り方について

一般的に牛蒡型や大根型を飾るときは神棚に向かって右側にモト(太い方)がくるように取り付けます。

それは神様から見たときに向かって左にモトがくるようにするためです。

 

 

参考文献:

「神道祭式の基礎作法」沼部春友著(みそぎ文化会)
「決定版 知れば知るほど面白い!神道の本」三橋健著(西東社)
「しめ飾り」森須磨子著(工作舎)