2011年3月11日、私は介護施設で介護の仕事をしていました(こちらで書いている「考えていた期間」)。
施設内のテレビに映る津波とレポーターの声に「えっ何?」というような感じで見ていました。そして、知っている東北地方に住んでいる人たちは大丈夫かなと。
震災当時、福島県に住んでいた人が以前勤めていた会社の後輩にあたり、毎年年賀状を出すだけはしていました。
翌年1月の後半くらいだったと思います、遅れて年賀状のお礼が届いたんです。
無事だったんだと読んでいくと、地元の香川に地震直後に子どもと一緒に避難、旦那さんは仕事でいわき市にいるとのこと。
さらに福島県の自宅は無事だった、、これには伏線があり、私が前に地質関係の仕事をしていたとき、家を建てるときは地盤の固いところにという話をしたようです(どんな感じで伝えたかはあまり覚えていないです)。
この時はこのことが良いことか悪いことなのかわかりませんでした。
昨年そういえばと再びこのお礼のことを思い出し、住んでいたところの当時の地震の震度を調べてみると、震度6弱。
震度6弱というと、、、
このお礼をいただいた年の6月、私は、さぬきいんべの活動を再開しました。
振りかえるとやっぱりあの震災をきっかけに共生と循環の方向に大きくシフトしたと思います。
日本の文化、伝統、手仕事、職人、民藝、麻のこともそうです、年を追うごとにメディアで見る機会が増えていませんか。
また、日本を訪れる外国人観光客は、和食がユネスコ無形文化遺産に登録された2013年に1000万人を越え年々増加、2018年には3000万人を突破しました〔日本政府観光局(JNTO)調べ〕。
あの東日本大震災からちょうど8年。あのときからガラッとさまざまなことが変わってきたと思うのです。