命が大事か、経済が優先か。命を大事にする文化の中心にあるのは

こちらで書いたように、私は伯家神道・十種神宝御法の修行座を受け、学ぶうちに日本の文化はすばらしいと思うようになった1人です。

一番感嘆したのが、目の前のものすべてが命ということです。稲は稲が作る。トマトを作るのはトマトなんです。ものを大切にする、もったいない精神。礼をするということ。

そして、すべてつながっている。すべて縁であること。和を大切にする。

さらに、古神道で最重要視されている祓いといえば、おお麻(ヘンプ)だと思い、それを伝えようと今日のさぬきいんべがあります。

 

ここで、山形県のレストラン「アルケッチャーノ」のシェフ、奥田政行さんの著書「地方再生のレシピ」の中で、日本人にはない視点で日本の魅力を世界に発信してくださっているマンリオ・カデロさん(駐日外交団長、サンマリノ共和国特命全権大使)と奥田さんの対談を抜粋してご紹介させていただきます。

~日本人は世界で一番自然に近い民族~

カデロ大使 『日本は紀元前660年の神武天皇の即位によって創建されたのが始まりです。古事記や日本書紀をひも解くとちゃんと書いてある。神話というのは国にとってとても大切です。ギリシャもギリシャ神話があるからヨーロッパで歴史を重んじられているでしょう。日本も神話があるから世界から尊ばれるのです。
日本という国は2675年もの間ずっと天皇制という同じシステムを貫いています。こんな長きにわたって続いている国はほかにありません。世界の歴史を大きな視野で眺めると、日本は世界最古の君主国と言えるのです。最初から同じシステムを貫いている日本とサンマリノは似ている国だなと私は思っています。』

奥田 『なるほど。そんなふうに日本が見られているとは知りませんでした。』

カデロ大使 『もう1つ、日本が世界から尊ばれているのは神道が国家精神の背景にあるということです。日本には「八百万の神」という言葉がありますね。山や川にも神さまが宿るという考え方はとても神聖で神秘的です。日本人は世界で一番自然に近い民族だと私は思います。
食べ物に関してもそうですね。「もったいない」「いただきます」の心は、食べ物の命に対する敬いの気持ちです。食堂などで見ていても、日本人の多くは1人で食事をするときでもいただきますと言います。中には胸の前で両手を合わせる人もいます。そして食べ終わると「ごちそうさま」と言う。
日本以外の民族ではそういうことはありません。店員に「サンキュー、グラッチェ」を言う人はいますが、敬虔なクリスチャンでなければ黙って食事を始めて黙って終えていきます。
日本人にとって当たり前過ぎて気にしたことはないでしょうけれど、私は日本にやって来た時になんて素晴らしい習慣なのだろうと思いました。日本人は礼儀正しく、環境に優しく、平和的な民族なのです。』

奥田 『確かに日本人の中で日常の生活で神道という言葉そのものを意識している人は多くないでしょうね。でも田舎のお祭りはどこも、五穀豊穣を山の神さまに感謝したり大地に感謝したりするところから始まっているのがほとんどです。そうした意味をもう一度考えてみることは意義深いかもしれません。そういうことをきっかけに、サンマリノのように住民の1人1人が地域の自治を支えるという意識を持てたら理想的ですね。地方の誇りはもしかすると、そうした自然の恵みへの感謝というところから回復できるのかもしれない。』(『地方再生のレシピ』奥田政行著(共同通信社)P.160~161より抜粋、一部編集)

 

カデロ大使は、今後の日本についてもっと国際的になるべきと提言されています。これは外国のまねをするという意味でなく、日本のものを(ラベルに英語も表記など)外国人にわかるようにするという意味だそうです。

そうすれば売上げも上がるし、日本の文化をより広めることにもつながると。

もっと国際的にとは、つまり「世界人」になるということなのではないかと思います。

10周年を迎えて新たなスタートを

2020年1月4日で、さぬきいんべは10周年を迎えました。

10年か、、1月はその余韻にひたっていたようなところがあります。10年前に思いをはせたり、これまでにあったこと、人との出会いなどを思ったり、その中で新しいことを考えたり、、

いまの思いを書いてみます。

さぬきいんべは10年前の2010年1月4日にこちらに書いていますような経緯で大麻文化の復興にお役に立ちたいと思い、いわゆる“お金なしコネなし経験なし”から香川県商工会の創業塾、下記のH社でのインターンシップを経て香川県高松市で創業いたしました。創業前から注文をいただきいいスタートに見えましたが半年余りで活動中止へ。同年8月に実家のある愛媛県西条市にUターンしそのまま辞めてしまうことも考えました。しかし周りの後押しもあって翌年6月に活動再開、現在に至っております。

最初は今は製造中止になっていますがH社が開発した工房織座(今治市)製のヘンプ衣料をOEM供給を受け、さぬきいんべ(TM)ブランドでの販売を中心にしておりました。

H社は2014年に事業停止、それと前後して京都の麻縄職人(株式会社山川)を紹介いただき、神社の鈴緒をミニチュア化したミニ鈴緒を皮切りに今までさまざまな製品を取扱い好評を得てまいりました。

一番うれしかったのは、2016年に山川の製品を結婚式の引き出物等に選んでいただいたことです。引き出物の1つとして叶結びアクセサリーが贈られたり、披露宴にてプリザーブドフラワーでおめかししたしめ縄(神居和かざり《朱》)が飾られたりご両家に記念品として神居和かざり《朱》が贈られたとのことでとても感動しました。(お客様より式の模様の写真をあとで見せていただき、和にこだわられている様子にとても感激いたしました)

結婚式で使われた神居和かざり《朱》
結婚式で使われた神居和かざり《朱》
(同)結婚式で使われた神居和かざり《朱》、ご両親に記念品として
(同)結婚式で使われた神居和かざり《朱》、両親に記念品として

最初は意識していませんでしたが年々手仕事、職人と縁が増えていき、株式会社山川との出会いで自分のルーツが職人なんだと思いました。それがはっきりわかった後、建具職人だった父が2015年春に亡くなったのも不思議なめぐり合わせだったと思います。

今後もより一層研鑽を積み世に無い製品、特に手仕事のものを出していきたい、さらなるサービス向上に努めたいと思っております。そして、ある時気づくと「初心」が叶っていたが理想です。〔目標としては1939(昭和14)年の栽培面積、特に四国。「大麻という農作物」(大麻博物館著)によると四国は愛媛7.5ha、高知7.1ha、香川0.1ha(徳島はデータなし)、他の地域では例えば、栃木4158.2ha、長野1013.3ha、広島688.5ha、北海道112.9haなど〕

よろしくお願いいたします。

PS 2020年庚子(かのえね)の年は、アップデート、更新といった意味があるのをあとで知りました。

 

 

・参考文献

「大麻という農作物」大麻博物館著(大麻博物館)

なぜ手仕事、手作業にこだわるか?

ほとんど語ったことはありませんが、祖母の名前はアサコと言います。カタカナなのであまり意識していませんでしたが、麻、朝に通じる名前なのは一目瞭然。

一方、母の名前はアヤコで、あやとりとか綾織りを思い、糸、織物に関する名前かと感じます。

これに気づいたのは創業して6~7年経ってからです。

 

さて、webショップを通じてお買い上げのお客様にはいつも手書きのメッセージを同封してお届けしています。

今までご利用されたお客様はご存じですね!

なぜ手書きメッセージかと言うと、、

創業前にあるメーカーに勉強のためインターンシップで2週間行ったのですが、その会社がwebショップで買われたお客様に一筆せんに手書きのメッセージを書いていていいと思ったからです。そこではこだわって阿波和紙の一筆せんを使用していました。

さぬきいんべは大企業でもなく知名度もないので一筆せんを添えて心を届けていこうと思い、はじめました。

つまり、同封している手書きメッセージは猿まねからはじまっています。

最初は上記に習って同じように阿波和紙の一筆せんを使っていましたが一時ヘンプペーパーの一筆せんに変えた後、2012年の末から地元、愛媛県西条市の石鎚神社の一筆せんに変え今日に至っています。

石鎚神社の一筆せんを使用

同神社は日本七霊山の一つで西日本最高峰の石鎚山をご神体山としています。

この石鎚神社の一筆せんはある方が西条市へ旅行の際、見つけ教えていただいたもので、こんなのがあるとは知りませんでした(灯台もと暗しです)。

写真のように春・夏・秋・冬のデザインがあり、せっかくなので季節感を大切に使用しています。

 

手書きというと、最近は宅配便の送り状も手書きです。お気づきでしたか?

こちらは某会社の送り状印字ソフトが使いにくくて、ならば手書きにしようというそれだけの理由です。

手間はかかりますが考えてみて、書くことそのものは好きです。手紙で文通した経験もあります。

さぬきいんべが伝えたいこととも手書き(手作業)は合致していると思いますし。

なぜ手書きにこだわるのか?(正確にはデジタルとアナログを共用)の答えは以上のごとくシンプルです。^^

なぜ手仕事、手作業、職人にこだわるのか?もその根本にあるのは、さぬきいんべだから。私だからという単純なもの、単純なことだと言えると思います。

手仕事、職人文化が栄えていくように

父は建具職人でした。

小学校の高学年くらいだったと思います。あるとき母が「建具は細かい割りに儲からないから跡は継ぐな」というようなことをぼそっと言いました。

跡を継ぎたいという強い思いがなかったのと、父は仕事に関しては何も言いませんでしたので、ときどき忙しい時に手伝ったりするくらいで、結局私はサラリーマンになりました。

晩年父は、生活様式の変化などで仕事が少なくなって、企業に就職したのは正解だったかもしれません。

しかしこちらの経緯で、おお麻(ヘンプ)に出会い、さぬきいんべを創業し、無私の心で「手仕事革命」へで書いているように、おお麻を追っているうちにだんだん手仕事、職人に縁があることがわかってきました。気がついたらそういうもの、人が目の前にいました。最初は「おお麻文化」を後世にだけしかホント考えていませんでした。

会社勤めしている時は上の人に「細かいことにこだわるな」と注意されたことがあります。(笑)

そしていろいろな作り手にお会いして話をしたり、2017年度から愛媛民芸館の評議員に就任してやっていったりする中で、特に手仕事、職人文化が栄えていくようにしていきたいと思うようになりました。

担い手の高齢化、減少が言われているように思います。伝統工芸では若い人たちもがんばっています。おお麻の農家、職人、神社を守ろうとして取り組んでいる人もいます。

残りの命をそれに傾けたいです。

 

四国唯一の民藝館、愛媛民芸館(愛媛県西条市)において下記のイベントをおこないます。

「民藝館1day meets!」

七Coffee Roaster×にじとまめ×jam room store 3店舗による1日限りのポップアップストア

開催日時:2019年6月23日(日)10~16時

場所:愛媛民芸館内1F

・七Coffee Roaster・・・テイクアウトカップにてドリップコーヒー販売

・にじとまめ・・・地域の食材を使用した天然酵母パン販売

・jam room store・・・久留米絣を使用したMONPEなど展示販売

当日は砥部焼、ひろき窯(多川ひろきさん、平成28年度および30年度日本民藝館展入選)の作品の展示即売会期間中であるのと、周桑手すき和紙の杉野陽子さんによる和紙教室も予定しています。

愛媛民芸館 1day meets!イベント(2019.6.23)フライヤー

美の基準

「美しいということは、その分だけ神に近いということだ」

これは10年以上前に読んだ司馬遼太郎著「竜馬がゆく」の中の一文です。〔(一)「寅の大変」の章で出てきます〕

名言!と思ったことを思い出します。

私は20代のとき、ある方の「本物を見なさい。本物を見続けていたらだんだんわかってくる」という話を聞き、ホントかなと思いながらなるべく展覧会などへ行き、“本物”と思われるものを見たり聴いたりしてきました。

その頃は香川県に住んでいたので例えば金刀比羅宮(表書院、奥書院)、直島家プロジェクト、香川県立ミュージアム(円空展、創建1200年記念「空海誕生の地 善通寺」展、流政之展)、東儀秀樹コンサート、玉藻能公演、猪熊弦一郎現代美術館(各種特別展)、東山魁夷せとうち美術館(開館記念展他)、ジャーパンファンライブ、東京国立博物館(土偶展、阿修羅展)、「神代音絵巻~むすひ~」コンサートなど行きました。

最初はよくわかりませんでしたが、そのうちこれいいなとか、これ好きと思うものが出てきたように思います。そうすると、次コレ行きたいとかなってきて、、

それが何年かぶりにMIHO MUSEUM(滋賀県)を訪れた際、それが同館の20周年記念展(2017年)で、自分が本物と思って見てきたものが古美術とか古代美術といわれるものが多いことに気づいたんです。

僕は「美しいものは自然物に近い」とも思っています。

これは『美術手帖』2019年4月号、特集「100年後の民藝」の月森俊文氏(日本民藝館職員)と青柳龍太氏(現代美術家)の対談での青柳氏の言葉。

この対談で、現代のものより古いものの方がすごいという話が出ています。前から私もそうだと薄々思っていました。

焼き物でも、桃山より室町のほうが美しいし、室町は鎌倉に太刀打ちできない。古い時代のものほど優れている場合が多い。ある時代には醜いものが一切ない場面も見られます。でもそれは言葉では伝わらない。まず「上代の作はすごいなあ」と体験することが大切。(月森氏)

さらに月森氏は、上代の作物が美しい理由のひとつはつくった人間が我々より自然に近いからでしょうと指摘しています。

そうかもしれません。

彼らは風の匂いで天候を察知し、五感を超えた感覚や気配で危機を回避するような力を持っていたと思います。そういう人たちがつくり手だった。つくられたものを見ると、自然が人間を使って生ませた、と言いたいくらいです。(月森氏)

「形の素」赤木明登・内田鋼一・長谷川竹次郎著の3者の対談で赤木氏(輪島塗塗師)はこう語っています。

でも竹次郎さんの言うとおりで、形って連続性があると思います。そのDNAみたいなものがずっと繋がっていて、その流れの中に自分がいるということが重要。その道筋みたいなものが見えてくるのが、古いものを見ている上では大事なんじゃないかと思うのです。

ただ、こうしてぼくらが選んだものを改めて見てみると、生活工芸ではなく、呪術工芸と言えるかもしれないですね。祭祀や呪いのほうに向かっている(笑)。この20年くらい「生活工芸の時代」なんて言われて、鋼一ちゃんとぼくは、その代表格みたいに思われているけどね。おそらく2人ともにその場所にも違和感を抱えてきた。生活工芸と言われているものもそろそろ衰退期に入っているし。新しい何かがもう始まっているんだよ。

近年、民藝や伝統工芸が見直されてきているのも上記の指摘のように本質を求める“原点回帰”の流れで当然のことなのかもしれないです。

人によって美しいと思うものは違う。それはもちろんそうだと思います。今回は美の基準ということで思っていることをまとめてみました。

参考文献:

「竜馬がゆく」司馬遼太郎著(文春文庫)

「美術手帖」2019年4月号(美術出版社)

「形の素」赤木明登・内田鋼一・長谷川竹次郎著(美術出版社)

古神道的な視点からみた日本と西洋の文化のちがい

日本を訪れる外国人観光客は、和食がユネスコ無形文化遺産に登録された2013年に1000万人を越え年々増加、2018年には3000万人を突破しました〔日本政府観光局(JNTO)調べ〕。

2020年には東京オリンピックが予定されており、さらに増加することが予想されます。

外国人観光客が増えると、私たち日本独自のものとは何?と考えますね。私が感じる日本と西洋のちがいをご紹介したいと思います。

・多神教⇔一神教

日本は多神教、八百万(やおよろず)の神で、水の中には水の神、木の中には木の神がいるというように、ありとあらゆる自然物に神様がいると考えます。例えば、神社のご神木にしめ縄が巻かれているのはご存じですね。

小千命お手植えの楠(樹齢2600年、大山祇神社)
小千命お手植えの楠(樹齢2600年、大山祇神社)

それに対してキリスト教は一神教です。

 

・なるようになっていく、なるべくして、なる(かむながら)⇔ナニナニすべき

日本は、「かむながら」の精神で、(神の御心のままに)なるようになっていく、なるべくして、なるという考え方です。

一方、西洋は非常に目的志向が強い、ナニナニすべきと、思想や理念に頼り相手を説得していこうという啓蒙主義的な考え方です。

 

・きれいきたない(伊邪那岐命のミソギ)⇔善悪(アダムとイブ)

日本人はきれい、きたないを大切にします。古事記において伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は黄泉の国から帰ってケガレを洗い流すためにミソギをします。それから、人をののしるとき「きたねーゾ」と言う人もいます(笑)。

西洋は前述のごとく、~すべき、~してはいけないと善悪を大切にします。

 

・型(作法、祭り、伝統行事など)⇔論理(ナニナニすべき)

日本は「型」を大切にし、型で伝承されます。芸道でもそうでしょう?その型の中に大切なものがすべて詰まっているように思います。

そういう目で見ると、地域の祭りや伝統行事は、型が伝承され子々孫々まで伝わっていきます。300年続いている地元の西条まつりを以前にも増して大切にしたいと思うようになりました。

京都・祇園祭の大船鉾(2014年、150年ぶりに復活)
京都・祇園祭の大船鉾(2014年、150年ぶりに復活)

対して、西洋は論理(ナニナニすべき)で伝達されます。

 

・水平的(動作、作法)⇔垂直的

弓道(弐段)の体験もありますのでわかるのですが、日本の作法は水平的ですよね。流れるような感じで動いていきます。対して、西洋の格闘技、ボクシングなどは動きが激しく、また上下(垂直的)のフットワークで相手に対しようとします。他にも例がありそうです。

 

・はらう(引き算)⇔付加・盛る(足し算)

はらうと言えば、やはりまず思い浮かぶのは神社の「お祓い」でしょう。

お祓いにつかう祓串(国産精麻がついたもの)
お祓いにつかう祓串(国産精麻がついたもの)

伯家神道も祓いを大切にします。体験者はうなずきますね。^^

他にも日本人にとって香りは、西洋の香水のように人をひきつける機能よりも、邪気をはらう方が目的です(これは別のところで紹介させていただこうと思います)。

 

・言霊(母音、子音+母音)⇔言葉

日本には言霊という思想があります。私は祝詞の中でも身曾岐祓を唱えるととても気持ちよく感じます。またはじめて聞いたとき子守歌のようだと思いました。

なんとなれば日本語はすべて母音が伴っているからなんですね。それから何気なく使っている日本語だけでなく、日本語の古語、大和言葉にも興味を持つようになりました。

対して英語は、議論、討論、そういうのに非常にいいですが、気持ちを伝えるとかニュアンスを伝えるのは不向きとされます。

 

・自然順応・尊重⇔自然克服

日本は自然を大切にします。

神というものは植物、花、いろいろなものの中にあまねく存在しているというのが日本人の自然観、目の前にあるひとつ1つが神、命とすればなおさらです。

私たちの食生活というのは実は神様と私たちの出会いなんです。

西洋は自然はものですから都合のいいように破壊していきます。

 

・和(全体、一元)⇔分離(個)

日本人が和を大切にするというのはご存じのとおりです。すべて同じ命ですしすべてがつながっているんですから。

障子や欄間は空間を完全には遮断してません。1つの空間としてみているんですね。

 

 

私は、20歳過ぎても西洋がすばらしく日本はダメと考えてきました。「ここがヘンだよ日本人」というTV番組もありました。日本の音楽よりも洋楽をよく聞いていたし、目の前のものは「もの」でした。

ところが、知人のすすめで伯家神道・十種神宝御法の修行座を受け、学ぶうちに日本の文化はすばらしいと思うようになりました。高校時代、弓道をした体験(弐段)と相まって日本を見直しました。

自分が気づいたことを伝えたい、古神道で重要視されている祓いといえば、おお麻(ヘンプ)だと思い、今日のさぬきいんべがあります。

再び、日本的なものが注目されている時代。2012年は古事記編纂1300年の節目でした。

来る2020年は東京オリンピックの年だけでなく、日本書紀が完成してから1300年の節目です。

 

 

参考文献:

「みそぎ」(伯家神道)

「ヘンプ読本」赤星栄志著(築地書館)

3.11後、身近に聞いた話から

2011年3月11日、私は介護施設で介護の仕事をしていました(こちらで書いている「考えていた期間」)。

施設内のテレビに映る津波とレポーターの声に「えっ何?」というような感じで見ていました。そして、知っている東北地方に住んでいる人たちは大丈夫かなと。

震災当時、福島県に住んでいた人が以前勤めていた会社の後輩にあたり、毎年年賀状を出すだけはしていました。

翌年1月の後半くらいだったと思います、遅れて年賀状のお礼が届いたんです。

無事だったんだと読んでいくと、地元の香川に地震直後に子どもと一緒に避難、旦那さんは仕事でいわき市にいるとのこと。

さらに福島県の自宅は無事だった、、これには伏線があり、私が前に地質関係の仕事をしていたとき、家を建てるときは地盤の固いところにという話をしたようです(どんな感じで伝えたかはあまり覚えていないです)。

この時はこのことが良いことか悪いことなのかわかりませんでした。

昨年そういえばと再びこのお礼のことを思い出し、住んでいたところの当時の地震の震度を調べてみると、震度6弱。

震度6弱というと、、、

3.11の翌年、当時福島県に住んでいた人から届いた年賀状
3.11の翌年、震災当時福島県に住んでいた人から届いた年賀状

このお礼をいただいた年の6月、私は、さぬきいんべの活動を再開しました。

振りかえるとやっぱりあの震災をきっかけに共生と循環の方向に大きくシフトしたと思います。

日本の文化、伝統、手仕事、職人、民藝、麻のこともそうです、年を追うごとにメディアで見る機会が増えていませんか。

また、日本を訪れる外国人観光客は、和食がユネスコ無形文化遺産に登録された2013年に1000万人を越え年々増加、2018年には3000万人を突破しました〔日本政府観光局(JNTO)調べ〕。

あの東日本大震災からちょうど8年。あのときからガラッとさまざまなことが変わってきたと思うのです。

さぬきいんべ、今までの失敗を振りかえる

これまでたくさん「失敗」してきました。そんなときは「もうダメだ」と思うんですね。その度ごとに落ち込みました。

・一番落ち込んだのが1年目。創業準備段階から注文をいただいてヨシと思ったものの一から始める難しさをとことん味わい、さらに「この商品を売りたい!」と創業のきっかけとなったヘンプ衣料の開発元の会社経営者らが逮捕。閉店を決意した。(→その後、故郷の西条市へUターン。改めて考え、やり切れてないことがあるように思ったのと偶然が重なりその1年後に活動再開、現在に至る)

・それまで世になかったヘンプのショーツの販売にこぎつけ、販売開始後すぐお客様から糸がほつれたとクレーム、回収。製作者が服飾の専門学校を出た方だったので信用していた。テストが足りなかった。

・オリジナルのヘンプの服を作りたいと、試作、販売段階まで行き、デザインもいい、売れると思った矢先、製作者が撤退し頓挫。

・ご縁いただいたのと熱意で、国産の手績み大麻糸と手挽き絹糸の手織物を販売。見受ける価値の割に1年余りで1つしか売れなかった。

・創業のきっかけとなったヘンプ衣料(経済産業省ものづくり大賞受賞の織り職人がつくっていた)がやっぱり魅力的だったので、仕入れ再開。2年余りして開発元の会社役員が2度目の逮捕。さすがに2度目はないと思っていた。〔→その時は即取引停止。販売するものがほぼ無くなりましたが、ほどなくしてこのことは何も知らないはずの玉造りしている青舟さんが京都の麻縄職人、山川正彦さん(五代目)を紹介してくださり道が開ける〕

ヘンプ布ナプキン(現在は製造中止)
ヘンプ布ナプキン(現在は製造中止)
ヘンプルームウェアー(現在は製造中止)
ヘンプルームウェアー(現在は製造中止)

 

 

 

 

 

 

 

他人の失敗談、おもしろいでしょう?(まだ他にもあります)

いま言えるのは、継続は力ということです。

すべてつながっている、麻と火と神

こちらで伯家神道について書きました。いろいろなことが神様を大切にしているのは想像できると思います。

修行座の最初に「潔斎」の作法を教わりますが、まず火の神様の名を唱えるのです(その後、火打ち石を用いて潔斎、ちゃんと作法があります。特に神具・アクセサリー類は清浄であることが重要と考え、潔斎してからお客様へお届けしています)。

潔斎に用いる鎌と火打ち石
潔斎に用いる鎌と火打ち石(携帯用袋とともに)

火の神様は古事記では「神生み」条で火之夜芸速男神(ひのやぎはやおのかみ)、または火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)として登場します。

遠くはるかな昔、男の神と女の神がいらした。男の神を伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、女の神を伊邪那美命(いざなみのみこと)といった。そのころ大地は、かたまったばかりであったから、ふたりの神は、たくさんの神々を生み、国づくりをすすめていた。

ところが火の神をお生みになった時、伊邪那美命(妻神)はおおやけどをしてお亡くなりになる。

愛媛民芸館には囲炉裏(いろり)があります。実際使っているのを見ました。茶道経験者いわく茶道では炭手前というのがあるそうで、バーベキュー用の炭と違いバチバチ燃えるのではなく、品のある燃え方をしていました。(私はお相伴にあずかれませんでしたが、1月に上に網をしいて来られていた方に切り餅を焼いてふるまったそう)

炭火
いろりの炭火(愛媛民芸館)

ところで最近、家から「火」が無くなっています。そうです。オール電化にともなうIH調理器の普及です。

そういえば火のつけ方(消し方)を知らない子どもがいるという話を聞いたことありました。

私の家では台所に荒神さん(カマドの神)を祀っていました。昔の人は火を大切にしていたんですね。

愛媛民芸館へ行くと、昔の人が何を大切にしていたかがわかります。

さぬきいんべはモノだけでなく神様を、大麻(ヘンプ)だけではなく他のものも大切にしたいと思います。なぜならすべてつながっているのですから。

 

 

参考文献:

「現代語古事記」竹田恒泰著(学研)

「日本人の忘れもの1」中西進著(ウェッジ文庫)

美術館のミュージアムショップでヘンプの本を見つけ

MIHO MUSEUM

2018年11月、滋賀県信楽にある美術館、MIHO MUSEUMを訪れていたときのこと。

同館レセプション棟のミュージアムショップに本が並んでいたので、どんな本があるのだろう?と見ていると、赤星栄志さんの「ヘンプ読本」が目に飛び込んできました。

食や環境をテーマに取りそろえているようで、他に民藝、手仕事関係や若杉ばあちゃんの本もありました。

考えてみれば、同館は宗教家、岡田茂吉氏(1882~1955)の理想とする悩み苦しみのない世界、「地上天国」実現のために建てられたシンボル。

とりわけ美、自然尊重を重視し、同館の設計は世界的な建築家、イオ・ミン・ペイ氏(1917~2019)で、レストランと喫茶は自然農法で作られた食材のものを提供しています。

MIHO MUSEUM
滋賀・信楽にあるMIHO MUSEUM(2018年11月撮影)

MIHO MUSEUMは有名ではないかもしれませんが、2018年10月にBS11「フランス人がときめいた日本の美術館」で取り上げられたので、ご覧になった方がいらっしゃるのではないでしょうか。

私が訪れたこの日も、放送で語られていた内容を話しながら観賞している人がいました。

その美術館の中にヘンプの本があるのは意外といえば意外、当然といえば当然。〔私は最初ヘンプ(大麻)のことを知ったとき、環境にいいもの、持続可能な社会のための救世主と思ったのですから、きっと思いは同じはず〕

ヘンプ読本
赤星栄志著ヘンプ読本

この本は、最初さぬきいんべのwebページを作成するとき、大いに参考にさせていただきました。(いまも何ヶ所か引用があるでしょ?^^)

10年前、著者の赤星さんが松山市に来られ、「おお麻で地域開発inアジア」という講演をしました。その後、懇親会、二次会。翌日赤星さんが九州へフェリーで渡るということで、主催者と私の3人で八幡浜港まで送ることになりました。

この間に私の運命はヘンプと紐付けられた感じがします。私はその頃、勤めていた会社を退職し進路を考え中でしたから、赤星さんに「ヘンプで何か仕事ないですか?」とたずねました。

そうすると即座に、「インターンシップ」との返答。

そして八幡浜港に向かう途中、愛媛・小田の道の駅で麻の実をつかった郷土料理「いずみや」が販売されているのを見つけたのもこの時ですし、八幡浜港からの帰りに、ここまで来たのだからと、オガラをつかう八幡浜の五反田柱まつり保存会会長に連絡を取って会い、地元の祭りなので地元でできたものを使ってというような話をしました。文字通り、麻ざんまいだったわけです。その後、私はその頃住んでいた高松市へ帰り、創業の準備にかかることに。

しごとプラザ高松に行って起業について相談すると、「創業塾」というのが近々あり、また相談した担当者がどこかで見たと思っていたら、なんとその数年前に起業セミナーで名刺交換したことがある方でした。シンクロニシティですね。

その流れに乗り創業塾、インターンシップを経て、2010年1月に創業。半年で一旦休業(1年ぐらい)、地元愛媛県へ移転して今に至っています。2019年で10年目です。

そんなことですので、MIHO MUSEUMで「ヘンプ読本」と出会ったのは何かお知らせと思うのです。(つぎ訪れたときはヘンプ読本が2冊になっていました!)