今年も1年間ありがとうございました~年末感謝祭2019

年末感謝祭2019

来年のエネルギーが世の中に入ってきて予兆を感じる頃になってきた感があります。

今年も年末感謝祭を1年間の感謝を込めてさせていただきます。

お買い上げいただいたお客様全員に、日本各地をひらいた阿波忌部についてのカラーパンフレットをプレゼント中です(お一人様1部限り、2019年12月31日まで)。

今年は元号が令和となり、ご存じの通り、新天皇即位にともなう大嘗祭(11月14~15日)に大麻の織物、麁服(あらたえ)が阿波忌部の直系である三木家(当主・三木信夫さん)より調進、愛知県豊田市で作られた絹織物「繪服(にぎたえ)」とともに供えられました。

阿波忌部のことがわかりやすくまとめられたA4全10ページのカラーパンフレットです。日本の原点を見つめ未来を創る、そういう時期にふさわしい内容と思います。(個人的にはP8の忌部の精神がおすすめ、これは2013年に今治市であった三木さんの講演の際にも拝聴した覚え)

ぜひ楽しみにお待ちください。(^^)/

出雲の台頭。忌部と共に注目!

2017年2月、徳島・大麻比古神社の正式参拝(日本麻振興会主催)へ行ったときのこと(この時のレポートはこちら)。

上記レポートでは触れていないことですが、映画「つ・む・ぐ 〜織り人は風の道をゆく〜」、「麻てらす」の吉岡敏朗監督も来られていたので、名刺交換させていただきました。私の名刺(さぬきいんべ)を見るなり、「俺は出雲忌部だ」と。

吉岡監督は出雲出身だったんですね(知らなかった)。

出雲にご縁を感じることはこの時に限りません。

創業を目指していた2009年秋に神縁の皆様とたまたまタイミングが合い、出雲大社と物部神社へ正式参拝した他、神魂神社、八重垣神社、日御碕神社など11ヶ所ほど巡りました。

またその後にご縁をいただいた玉造りをされている青舟さんは、しょっちゅう出雲と新潟・糸魚川を行ったり来たりされていて状況報告をよくいただきます。

それから備前と讃岐忌部の関係は?でご紹介した備前市伊部・天津神社の神職に電話した際、たまたまそういう話になったのでお聞きすると「(忌部は)出雲と関係があると思う」とのことでした。

讃岐忌部氏の祖神、手置帆負命(たおきほおひのみこと)は文献によると後年、大国主命の笠縫として仕えたとされていて、出雲と関係があるのか程度に思っていましたが、次々ご縁のある方がそういうことを言われるのでやはり忌部と出雲は関係あるんだろうなと思っています。

伊勢神宮の式年遷宮、出雲大社の平成の大遷宮が重なった2013年以降、徐々に光が当たっていなかったところに光が当たっていき、時代が令和となって、いま国つ神(土着の神)に光が当たっていっているように感じます。

松山・道後温泉の大国主命と少彦名命が登場する「玉の石伝説」が道後REBORNプロジェクトのアニメ「火の鳥”道後温泉編”」で紹介されているのも1つ。

声優が火の鳥役・水樹奈々、大国主命役・つるの剛士、少彦名命役・三森すずことなっています。

そして、ここまで記事を書いてきて2020年に東京国立博物館平成館(上野公園)にて下記の特別展が開催されることがわかりました。

日本書紀成立1300年 特別展「出雲と大和」

2020年は古事記編纂1300年を迎えた2012年から8年。さぬきいんべにとっても大事な年になりそうです。2020年1月で10周年ですし。

さらに、ここまで書いて「出雲の國」というチョコクッキーをおみやげでおすそ分けいただきました。きてますね!出雲。

出雲は見えない世界を司っているといわれます。いよいよ、ワクワクします。

私たちにとっては、見えるものより見えないものの方が重要です、見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。(新約聖書:コリントの信徒への手紙)

備前と讃岐忌部の関係は?

4年前、玉造りをされている青舟さんから紹介いただいた方で、岡山・備前市伊部に鎮座する天津神社の神職がいます。〔私事、神職の知り合い(すぐ連絡取れる)はこの方含めて4人います〕

青舟さんらしく?封書で紹介いただいたので、すぐ電話をかけその神職と少しお話をさせていただきました。

天津神社の近くに忌部神社があること、自身備前焼をされていることなどをお聞きし、忌部っぽいつながり、ご縁を感じました。

以後一度訪れたいところの1つです。

 

それから、香川県在住時代の職場の後輩で、後に結婚され長船(おさふね)という姓になった人がいます。

年賀状で結婚を知った際、(讃岐にしては)変わった姓と思っていました。

それが、1年半前に岡山へ行った際、備前長船という道路標識を見たので、帰ってからその長船さんに関係あるかとたずねました。

刀剣には詳しくはありませんが(青舟さんは詳しいです)、瀬戸内市に備前長船刀剣博物館というのがあるんですね。

長船さんいわく、先祖が刀を作る人みたいなことを聞いたことがあるのと、旦那さんが小さい頃、祖父と一緒にその刀剣博物館へ行ったことがあるとも。

そして、香川県の観音寺市一角に長船さんが数軒固まっているそうです。

 

前々からSNSで投稿をしていると知らず知らず香川、徳島だけでなく岡山の方々ともつながり、ご縁ができたので何か讃岐忌部と関係があると思っていました。

最近、知人と岡山の話になり、吉備津彦とか、温羅(うら)、備前焼の話になったので、上記のことを思い出しました。岡山には笠岡とか気になる地名もあります。

2005年だったと思いますけど、私は吉備津神社へお参り、その際に鳴釜神事を体験しました。

「温羅」という日本酒を作っている方もSNSで知り合い、その後西条市へ来られた際お会いしたことがあります。他にも縁を感じる方がいます。

三ツ木八幡神社神麻しめ縄奉納レポート

天皇即位にともない2019年11月14~15日に予定されている践祚大嘗祭では、新穀とともに阿波の麻織物・麁服(あらたえ)と三河の絹織物・繪服(にぎたえ)が神座にまつられ、五穀豊穣を祈ります。

3月31日、徳島県木屋平の三ツ木八幡神社にてNPO法人神麻注連縄奉納有志の会(安間信裕代表)による神麻しめ縄奉納が行われました。

阿波忌部氏の直系、御殿人(みあらかんど)である三木家において麁服の調進準備があるのでこの日が選ばれた由。

安間さんによると、平成の大嘗祭に際し抜麻を安置して糸績みの初紡ぎ式までをこちらの神社で行ったそう。

今回奉納したのは神麻しめ縄4本と鈴緒1本。しめ縄は本殿1本、拝殿に3本です。

地元徳島県はじめ全国各地から集まった約15名で、忌部神社宮司や三木家当主、三木信夫さん、また氏子の皆さんのご協力を得て奉納させていただきました。

紙垂を取り付け中
奉納前にしめ縄に紙垂を取り付け中

私自身は安間さんの主催する神麻しめ縄奉納神事に参加するのは今回で3回目。(NPO法人になってから剣山本宮宝蔵石神社、忌部神社、富岡八幡宮につづきこれで4回目の奉納)

私の知る限りこれまでの奉納の時とくらべずいぶん人数が少なく、最初1人当たりのすることが多いと聞いていましたがそんなことはまったく感じず、分担して各自手際よく作業奉仕できたと思います。

奉納報告祭後、三木家住宅へ移動し直会。食事を皆でいっしょにいただきました。私的にはお座敷に上がらせていただくのはこの時以来2回目で前きたときはとても緊張していましたが今回はリラックスしてのぞめました。

三木家住宅で直会
築400年の三木家住宅で直会

三木家住宅、神社西側の貢公園のしだれ桜も見頃。例年、桜の時期に三木家住宅前で催事をしているのは知っていて、ちょっと早いかと思っていましたが、到着するなり“桜の歓迎”を受け心もさらに軽やかになりました。うれしい誤算!でした。

ちなみに前回一緒に来た方は毎年三木家の桜を見に来ています。見ないと春を過ごした気がしないと聞いていましたが、その気持ちがわかった気がします。この地は「空地(そらち)」と呼ばれ聖地ですから。

三木家住宅前の斎畑。
三木家住宅前の斎畑。

 

三ツ木八幡神社のしだれ桜
三ツ木小学校・中学校跡を整備した貢公園のしだれ桜。後方に三ツ木八幡神社

直会の際、代表の安間さんが「大嘗祭が無事執り行われますよう、また麁服が無事調進されますように」とあいさつされていました。

これが今回関わられた人たちの共通の願いと思いますので、そのことをお祈りします。

 

もっと詳しい報告を「精麻の注連縄を探して」のコーナーにてさせていただいてます。

やっぱり気になる四国に大麻山が3つあること

善通寺・大麻山へ向かう登山道より丸亀平野を望む

-四国には3つ大麻山がある。

20年以上前のこと。私は香川県民でした。当時勤めていた会社の人から香川・善通寺市の大麻山(おおさやま、標高616.3m)山頂に「GW頃見ごろになる桜(ボタンザクラ)がある」と聞き、それを見ようと大麻山に登りました。

この頃はまったく意識していませんでした。

その後十数年して、その標高約405mにある野田院古墳へ行くとはつゆ知らず。

国道32号線から見た琴平山~大麻山方面
国道32号線から見た琴平山~大麻山方面の夕景

山の名は、この周辺が古代に麻の生産地であったことに由来しています。(善通寺市デジタルミュージアム 大麻山より)

この大麻山の東麓に忌部氏の祖神、天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀った大麻神社が鎮座しています。

その後、神社含む古神道に関心を持ち始めた2005年に徳島・大麻比古神社の背部に形造られる大麻山へ(標高538m)登りました。頂上には奥宮・峯神社が鎮座しています。2008年頃、大麻比古神社へ立ち寄った際もう1回登ったと思います。

古くはこの大麻山は船舶航行の目印とされ、頂上に猿田彦大神が祀られていました。後に大麻比古神社に合祀されましたが、その信仰は今も息づいています。

2014年、金刀比羅宮ならびに奥社・巖魂神社にお参りしたその足で、善通寺・大麻山の龍王社へ。ある方から「最近、龍王社あたりが明るくなっている」と聞いたのでした。周辺には「上代噴気孔遺址 龍王池」の石碑があります。

善通寺・大麻山に鎮座する龍王社
善通寺・大麻山に鎮座する龍王社

 

善通寺・大麻山へ向かう登山道より丸亀平野を望む
善通寺・大麻山へ向かう登山道より丸亀平野を望む

そのすぐ後、小豆島の磐座を紅雲亭一葉さんのご案内で巡った際に、地区名の由来となっている大石「黒岩さん」のある黒岩地区から大麻山(太麻山、標高427.2m)を遙拝しました。小豆島の大麻山の山容は鷲が羽を広げたように見えませんか?

小豆島黒岩地区より見た大麻山
小豆島黒岩地区より見た大麻山(太麻山)

紅雲亭さんによると、小豆島の大麻山は応神天皇が麻布を振ったとの伝承があるとのことでした。

四国の3つの大麻山。地図上で線を引いて“トライアングル”と表現している方もいますね。

四国は始国(しこく)。そう聞いたのが確か2006年でした。日本神話の「国生み」において、四国は淡路島に次いで2番目に伊予二名島(いよのふたなじま)として生まれました。

神世とはふるきむかしの事ならず今を神世としる人ぞかみ(井上正鐵)

 

その通りそうなっている気がしてなりません。

 

 

参考文献:

「週間日本の神社No.67忌部神社・大麻比古神社」(デアゴスティーニ)

「阿波一宮大麻比古神社御由緒畧記」パンフレット