打ちもの、和楽器、能の3打楽器(小鼓、大鼓、締太鼓)と日本人

「ポン」と音を出しただけで、聞いているものをうならせることができる楽器が「鼓(つづみ)」ではないでしょうか。

鼓は楽器としてまれに見るほど精巧な設計がされています。

鉄輪に張った吟味された馬の皮2枚を「調べ緒(調べ)」と呼ぶ朱の麻紐(精麻からできていて、この締め加減で音を調整)で、桜材の胴の両端に取り付けています。

 

そして圧倒されるのが掛け声。奏者は鼓を鳴らすだけでなく、「イヨー」「ホー」「イヤー」などと拍の間に声を発します。

能、歌舞伎、その他の民俗芸能で幅広く活躍する鼓は、多くの場合、小鼓と大鼓がセットでつかわれます。小鼓は、その弾力性のある音と掛け声で他の楽器をリードしていき、大鼓は乾いた高く鋭い音で小鼓とからみ合います。

胴に施された、きらびやかで、かつ、いにしえの人々の絆を感じさせる装飾は、その美術的価値も高いです。

もう1つ、忘れてはならない楽器が締太鼓(調べ緒を締めて調子を整えるため、こう呼びます)。

指揮者のいない日本の芸能において、能の3打楽器(小鼓、大鼓、締太鼓)がそれぞれの掛け声を交差させながら、音楽的なニュアンスを表現するさまは、外国人でなくても驚くでしょう。

それは、自然と融和する言語である日本語(母音言語)をつかう日本人だからこそ、できるのだと思います。

 

 

・参考文献

「和楽器の世界」西川浩平著(河出書房新社)

「能から紐解く日本史」大倉源次郞著(扶桑社)

 

 

坂東玉三郎さん特別舞踊公演「羽衣」に囃子方で使われている麻を思う

GWが終わりました。

坂東玉三郎さん(重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝)の特別舞踊公演を見る機会に恵まれました。

能、狂言は見たことがありますが、歌舞伎ははじめて。(歌舞伎は江戸時代に京都で生まれました)

「口上」からはじまり、演目の最後が「羽衣」でした。

羽衣伝説を題材にした能の「羽衣」をもとにして、明治31(1898)年に東京の歌舞伎座で初演された能の幽玄味と幻想的な雰囲気を漂わせる、雅やかな歌舞伎舞踊の名作だそう。

装束姿に天冠をつけた天女(坂東玉三郎さん)と、伯竜(花柳壽輔さん)の舞。そして、囃子方の三味線や笛、大鼓、小鼓、締め太鼓。

【※能「羽衣」について】「羽衣」は、昔話でもおなじみの羽衣伝説をもとにした曲です。舞台になった場所は遠く富士山を臨む静岡県の三保の松原。穏やかな春の海、白砂と青松という色彩。そこで美しい天女と漁師伯竜が展開する物語なのです。

「これは素敵な落とし物だ!」と大喜びの伯竜。

家宝にするため持ち帰ろうとした時、どこからか天女が現れて声をかけ、涙ながらに「その羽衣をどうか返してほしい」と頼みます。

衣を手にした伯竜は、「いや。これは私が拾った羽衣だ」と主張して、天女の願いを聞き入れず返そうとしませんでした。

でも天女は「その衣がないと、私は天に帰れない」と嘆き悲しみます。伯竜はその姿にいたく心を動かされ、天女に「それでは舞を見せてもらう代わりに、衣を返す」と提案します。

しかし、天女は「羽衣がなくては舞を舞えません。まずは羽衣を返してください」と訴えます。

この言葉に伯竜は、「羽衣を返したら、舞を舞わずに天に帰ってしまうだろう」と疑いの言葉を向けるのです。たぶん、多くの人が、このように考えるかもしれません。

しかし、天女は、「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」と答えます。

昔話や伝説などでは、天女は羽衣を隠されてしまった後、泣く泣く人妻になるという設定が多いのですが、さすが能では異なります。

伯竜は天女の言葉に「ハッ」とわが疑いの心を恥じ、即座に衣を返すのです。これもまた能ならではの素晴らしい展開です。

天女は喜び、羽衣を着し、月宮の様子を表す舞などを見せ、さらには春の三保の松原を賛美しながら舞い続け、やがて彼方の富士山に舞い上がり、霞にまぎれて消えていくというストーリーです。〔「謡曲仕舞奉納家 一扇」宮西ナオ子著(シンシキ出版)PP23~25より〕

大鼓、小鼓、締め太鼓の調べ緒は、幾度もご紹介しているとおり、麻でできています。

日本の古典芸能、能楽も歌舞伎もユネスコの世界無形文化遺産です。それを支えている数少ない職人、伝統技術に思いをはせました。