徳島・阿波踊りでつかわれる鳴り物、大鼓、締め太鼓で麻紐が活躍

四国・徳島の阿波踊りは、諸説ありますが400年以上の歴史があることはほぼ間違いないといわれています。

毎年8月12日から15日までおこなわれる徳島市の阿波踊りは、徳島県内で開催される阿波踊りの中でも最大規模を誇り、日本最大級の夏祭りの一つです。(期間中4日間で、国内外から100万人を越える観光客が集まるそう)

阿波踊りの魂は、「阿波よしこの」です。以下の鳴り物(楽器)を駆使して、踊り手を熱狂させます。

・笛(竹笛)

笛は主旋律を奏でます。

・大鼓(おおつづみ、おおかわ。大きな砂時計型の太鼓)

より小さい小鼓(こつづみ)に似ていますが、阿波踊りでは大きい大鼓が使われます。

・締め太鼓(甲高い音の太鼓)

締め太鼓がリズミカルな音で音楽を奏でます。

・三味線

三味線は阿波踊りの独特の旋律に魅力を添えます。

・大太鼓

大太鼓は音楽の土台として、よりダイナミックな踊りを生み出します。

・鉦(かね)

音楽のテンポとリズムを指揮するために使用されます。

 

これらのうち、大鼓と締め太鼓の表革と裏革を締め合わせる精麻の麻紐が調べ緒(「調べ」ともいう)です。大鼓と締め太鼓の調べ緒は非常に固く締め上げるので、そうした使用に耐えるように綯(な)うときも固めに仕上げます。

4月13日に開幕した大阪・関西万博では、ゴールデンウィーク期間中の5月2、3日に阿波踊りが出展、約700人が参加し「輪踊り」するそうで楽しみです。

 

 

・参考文献

「Tourism Guide Book of Tokushima City」 (徳島市観光課発行)

「日本の芸能を支える技V調べ緒」パンフレット(東京文化財研究所)

 

坂東玉三郎さん特別舞踊公演「羽衣」に囃子方で使われている麻を思う

GWが終わりました。

坂東玉三郎さん(重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝)の特別舞踊公演を見る機会に恵まれました。

能、狂言は見たことがありますが、歌舞伎ははじめて。(歌舞伎は江戸時代に京都で生まれました)

「口上」からはじまり、演目の最後が「羽衣」でした。

羽衣伝説を題材にした能の「羽衣」をもとにして、明治31(1898)年に東京の歌舞伎座で初演された能の幽玄味と幻想的な雰囲気を漂わせる、雅やかな歌舞伎舞踊の名作だそう。

装束姿に天冠をつけた天女(坂東玉三郎さん)と、伯竜(花柳壽輔さん)の舞。そして、囃子方の三味線や笛、大鼓、小鼓、締め太鼓。

【※能「羽衣」について】「羽衣」は、昔話でもおなじみの羽衣伝説をもとにした曲です。舞台になった場所は遠く富士山を臨む静岡県の三保の松原。穏やかな春の海、白砂と青松という色彩。そこで美しい天女と漁師伯竜が展開する物語なのです。

「これは素敵な落とし物だ!」と大喜びの伯竜。

家宝にするため持ち帰ろうとした時、どこからか天女が現れて声をかけ、涙ながらに「その羽衣をどうか返してほしい」と頼みます。

衣を手にした伯竜は、「いや。これは私が拾った羽衣だ」と主張して、天女の願いを聞き入れず返そうとしませんでした。

でも天女は「その衣がないと、私は天に帰れない」と嘆き悲しみます。伯竜はその姿にいたく心を動かされ、天女に「それでは舞を見せてもらう代わりに、衣を返す」と提案します。

しかし、天女は「羽衣がなくては舞を舞えません。まずは羽衣を返してください」と訴えます。

この言葉に伯竜は、「羽衣を返したら、舞を舞わずに天に帰ってしまうだろう」と疑いの言葉を向けるのです。たぶん、多くの人が、このように考えるかもしれません。

しかし、天女は、「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」と答えます。

昔話や伝説などでは、天女は羽衣を隠されてしまった後、泣く泣く人妻になるという設定が多いのですが、さすが能では異なります。

伯竜は天女の言葉に「ハッ」とわが疑いの心を恥じ、即座に衣を返すのです。これもまた能ならではの素晴らしい展開です。

天女は喜び、羽衣を着し、月宮の様子を表す舞などを見せ、さらには春の三保の松原を賛美しながら舞い続け、やがて彼方の富士山に舞い上がり、霞にまぎれて消えていくというストーリーです。〔「謡曲仕舞奉納家 一扇」宮西ナオ子著(シンシキ出版)PP23~25より〕

大鼓、小鼓、締め太鼓の調べ緒は、幾度もご紹介しているとおり、麻でできています。

日本の古典芸能、能楽も歌舞伎もユネスコの世界無形文化遺産です。それを支えている数少ない職人、伝統技術に思いをはせました。