忌部氏と中臣氏の和合と封印を解く、安房~上総~常陸の祈りの旅

3月、天之御中主(あめのみなかぬし)様を代々お祀りしている巫女の家系とおっしゃる方より、お問合せがありました。

春分の前後に安房~上総~常陸の祈りの旅をする予定で、下記の神社をまわります、と。

千葉神社→洲崎神社→安房神社→天之御中主神社→玉前神社(神洗神社)→白子神社→猿田神社→香取神宮→息栖神社→鹿島神宮

目的は、忌部氏と中臣氏の和合と封印を解くこと。

「ある依り代を包む麻布か、麻紐でもいいので、何かよいものがありますか?」

後日お電話をいただき、麻紐、麻縄を数種ご提案し、麻布は手元にあった生地見本としていただいたものと一緒にお送りさせていただきました。

 

その後どうなったのかと思っていましたら、メールで今回の祈りの旅がうまくいったとご報告をいただきました。

この旅の途中、全国でこの方がまわっているところだけ悪天候だったそうですが、それは浄化のサインだったとのこと。

今回の旅に出た理由、経緯もすこし添えられていました。

 

このような活動をされている方が他にもいらっしゃるのでは?と思い、シェアさせていただきます。

4/5京都の水火天満宮、4/18出雲大神宮にて「みろく涼香舞」を奉納

今年も謡曲仕舞奉納家・一扇様が4月5日(日)の水火天満宮(京都市)の櫻花祭にてみろく涼香舞を奉納されました。

 
 
 
 
 
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前日の雨に清められた清々しい境内には、美しい桜が静かに待っていてくれたそう。

世界平和への祈りを込めてみろく涼香舞「草子洗」を舞われた一扇様は、「真善美」に「愛」を加えた「真善美愛」を大切にされているとのことです。

21世紀は国際化が進んで広い教養が必要になってくる。最近あまり言われなくなりましたが「真善美」の言葉を取り上げます。

これからの社会においては真だけでは不十分であり、善を実践する努力をしなければなりません。ただ何が善であるかを判断する基準は簡単でなく、究極的に何によって判断するかと問われれば、それはその人の持つ美に対する鋭い感覚によると言わざるを得ないのであります。そして美的感覚を磨いている人の判断はまず間違わず、その実践は正しく、また社会に対して善をもたらすことになるでしょう。

したがって、これからますます複雑化し、何が正しいかが明確化しない21世紀社会において、この美的感覚は欠くことのできないものであると思います。そういった意味で、私は「真善美」の中で美が最も高位に位置するものと考えております。(平成11年4月、長尾真・元京都大学総長による入学式式辞より抜粋)

同日、観世流(梅若派)緑幸会主宰の能楽師・井上貴美子氏、井上須美子氏、井上裕美子氏、緑幸会会員による仕舞も奉納されました。

 

4月18日(土)には、出雲大神宮(京都府亀岡市)で鎮花祭(はなしずめのまつり)が斎行され、そこでも「みろく涼香舞」を奉納されるそうです。

鎮花祭は、疫病と干ばつを鎮め病気平癒と雨乞いの神事で、平安時代より千年余り続いているそうです。

けがれたら浄めればいいという考え方。日本の浄めの儀式、水と塩と麻

日本人の清浄感であり、罪悪感でもあるケガレと浄めについてです。

心身が汚れてしまった、悪いことをしてしまった、と感じるのがケガレという感覚です。逆に心身ともに清浄潔白であると感じるのが浄めです。

多くの日本人は、ケガレはあらゆるところに散らばっていると考えています。

街を歩いていても、どんなケガレを拾ってしまうかもわからない。たまたまケガレを拾って、体にくっついてしまったように感じるのです。

洗ってしまえばまたすぐにきれいになるというのが、日本人のケガレの感覚です。

キリスト教のような罪というものが体の奥深く入っている、という原罪という考え方は日本人にはないです。

ですので、けがれたら浄めればいいというのが、日本人の考え方です。

そのために浄めの儀式、または仕草というものが日本人の生活のいたるところにあります。

浄めのために一番有効なものが、水と塩と麻(精麻)です。

一番手近なのは、水で洗う。そしてもっと強力なのは、塩で浄める。さらにその上が麻で祓う、ひき撫でるという方法です。

麻については、天皇の即位後の践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)で、麻織物・麁服(あらたえ)が調進され、斎行される他、神社において神主さんが大麻(祓串)を用いてお祓いしたり、参拝の際に拝殿前の鈴緒を振って鈴を鳴らしたり、巫女が髪を精麻で結んだりします。

国産精麻でできた祓串(はらえぐし)(写真は高さ約30センチのもの)
国産精麻でできた祓串(はらえぐし)(写真は高さ約30センチのもの)

大相撲では、関取が土俵に上がるときに塩をまきます。浄めのために塩をつかっているのです。

この塩よりやさしいのが水。

茶の湯では手水鉢の水で心身を浄めて、にじり口を通って、茶室に入る許しが得られるのです。

 

 

・参考文献

「楽苑94号」熊倉功夫氏”茶の湯について”(SHUMEI PRESS)

「日本の建国と忌部」林博章著

 

大和朝廷で神事を担当した氏族、中臣氏と忌部(斎部)氏について

かつて、大和朝廷で神事を担当した氏族が中臣(なかとみ)氏と忌部(いんべ)氏でした。

忌部氏は中臣氏の祖である天児屋命(あめのこやねのみこと)とともに天岩戸の前で奉仕した太玉命(あめのふとだまのみこと)を祖とし、祭祀具をつくりととのえる一族です。

平安時代中期の律令(りつりょう)の運営マニュアル、「延喜式」(神祇)には「践祚(せんそ)の日は中臣が天神の寿詞(よごと)を奏し、忌部が神璽(しんじ)の鏡剣を上げる」とあり、分業体制でした。

しかし、中臣氏と幣帛使(へいはくし)就任をめぐって大同元(806)年8月に「両氏相訴」の論争が生じたことが「日本後紀」に載ります。

このときは「両氏を取って用い、必ず相半し当てる」とされましたが、現実的には中臣氏の勢力は増す一方でした。

 

先日、いくつかの神社を参拝して、忌部氏と中臣氏の和合などをこれからお祈りする予定と代々、巫女の家系というお客様がいらっしゃいましたので、すでにご存じの方にはアレですが、中臣氏と忌部氏についてご紹介させていただきました。

 

 

・参考文献

「呪術と科学の有職故実図鑑」八條忠基著(平凡社)

大麻(祓串)の役割に代表される「祓い」とは何をどうすることか

禊ぎと祓いはその働きが似ていることから密接な関係をもち、「禊ぎ祓い」や「祓い禊ぎ」というように、両者は複合語としてつかわれてきました。

「古事記」で伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が禊ぎをするために「御身をすすぎたまう」とあるのが禊ぎにあたります。

「祓い」とは本来は「祓え」で、古語では「祓へ」、「祓い」は古語では「祓ひ」です。

現在では「祓い」と「祓え」は同じ意味でつかわれています。

厳密には両者は異なり、「祓い」は「罪、けがれ、災いを自力で祓い清めること」で、一方の「祓え」は「罪、けがれ、災いを祓えの神様に祈り、神様が祓え清めてくださる」という意味です。

 

神社へ行くと、神主さんが大麻(祓串)を振って私たちの罪・けがれ・災いを祓え清めてくださいます。

大麻(おおぬさ)とは、神社でお祓いを受けるとき、神主さんが私たちの罪・けがれ・災いを祓え清めてくれる、それにつかう道具(祭具)の1つです。形は、サカキの枝、あるいは白木の棒の先に紙垂ないし精麻(麻苧)をつけたものです。

神社の拝殿のなかには祓戸(祓所、祓殿)が設けられていて、そこにお祓いの神様がまつられています。

お祓いの神様とはどのような神様か?

これは「祓戸四柱の大神」といい、「大祓詞(おおはらえことば)」にみえる瀬織津比売(せおりつひめ)・速開都比売(はやあきつひめ)・息吹戸主(いぶきどぬし)・速佐須良比売(はやさすらひめ)の四柱の神様のことです。

これらを「祓戸四柱」「祓戸四柱大神」「祓戸大神」などともいいます。これらの神様が私たちの罪・けがれ・災いを祓い清めてくださいます。

 

 

・参考文献

「厄除け厄祓い大辞典」三橋健著(青春出版社)

「現代語古事記」竹田恒泰著(学研)

 

なぜ、神社の境内はいつも整備され、きれいに掃き清められているか

神社(仏閣)へ行くと、境内はいつも整備され、落ち葉もきれいに掃き清められています。

このことは、奈良時代に規定があって以来のようです。

平安時代に編纂された法令集、「類聚三代格」に残る宝亀8(777)年3月の太政官符「督課諸祝掃修神社事」で、神社はいつも掃除をし、破損したら修繕せよと規定されています。

この後、命令がなし崩しになってしまわないように何回か同じような命令が出ており、弘仁3(812)年5月には風水害や火災のときは朝廷に報告せよ。それ以外で社殿の損傷を放置するなどしたら位階剥奪、無位の白丁なら杖打百回の刑に処す、と厳しいお達しがあったようです。

かつては、全国の神と神社を朝廷の管理下に置く目的で、「従五位下に叙する」など神に位階を授けることがおこなわれました。(神階は諸司諸国が申請して天皇が定める)

 

ただ、日本の麻の文化を含めた清潔にする、あるいは、きれいきたないという精神の根本は、こちらで書いた伊耶那岐命(いざなぎのみこと)の禊祓の起源にあると思います。

これからも神社もお寺もきれいであってほしいです。

 

・参考文献

「呪術と科学の有職故実図鑑」八條忠基著(平凡社)

旧暦(太陰太陽暦)と日本の文化、2026年の旧正月は2月17日

今年は旧正月は2月17日です。

旧正月とは、旧暦(太陰太陽暦)の元日、1月1日のことです。

旧暦については6年前の拙記事「旧暦と行事、日本は二本立てでできている」が参考になると思います。(季節は、旧暦のとおり動きます)

旧暦の新年に本当の2026年、“令和8丙午(ひのえうま)年”がスタートします。

旧暦は、“自然回帰暦”といえるかもしれません。日本には日本の気候風土があるのです。ちなみに、沖縄の年中行事(祭祀)は今でもすべて旧暦でおこなわれているそうです。

【方角を表す午(馬)】
江戸時代までは時間の他に方角を12に分けて十二支であらわされてました。北が「子(ねずみ)」、東が「卯(うさぎ)」、南が「午(うま)」、西が「酉(とり)」になります。
また、北極と南極をむすぶ線を「子午線」と言いますが、、言葉自体の語源的な意味においては、干支における子(ねずみ)がつかさどる方位にあたる北の方位と、干支における午(うま)がつかさどる方位にあたる南の方位とをむすぶ線のことを意味しています。

 

なお、“伊予路に春を呼ぶ”といわれる伊豫豆比古命神社(椿神社)(祭神:伊豫豆比古命、伊豫豆比売命、伊与主命、愛比売命。愛媛県松山市居相町)の「椿まつり」は毎年、旧暦1月7・8・9日の3日間にわたりおこなわれます。(今年は2月23・24・25日です)

同社は、ご鎮座2300年あまりの古社で、周辺に麻にまつわると思われる地名があります。

 

合計1万円~のお求めの方に、「えひめ麻再興プロジェクト」に協賛し、京都・山川製オリジナル国産精麻アクセサリーをプレゼント中です。

年末年始を迎えるにあたり心得ておきたいこと(2025-2026年)

2025年もあとわずかとなりました。

年末年始を迎えるにあたって、3つお伝えさせていただきます。

まず1つ目。毎年好評の大根型、牛蒡型のしめ縄、各種和かざりは、今年は諸事情により、ほぼ在庫がありません。ご予約いただいている方を優先し順次、製作し、お届けしていっている状況です。現在、年内お届けできるのは恐れいりますが、ご予約されている方の一部と、在庫のみとなります。お求めの方はwebショップよりご注文ください。(お電話、メール、FAXでのご注文も承ります)

2026年用、国産大麻(精麻)しめ縄お届けご予約ページ(特典付き)を開設、継続しております。

 

2つ目。「しめ縄は毎年変えた方がいいですか?」とお問合せいただくこともあります。

答えは否。ご予算などに応じて新しくしたらと思います。スーパーで売られているような市販のしめ縄、しめ飾りなら躊躇ないとは思いますが、国産精麻、あるいは稲わら製の職人が手仕事でつくったしめ縄は大切に使いたくなる人も多いのではないでしょうか。

氏子からしめ縄や鈴緒が奉納されている神社では毎年変えてないところも多いです〔それでもすす払い(家庭でいう大掃除)をし、紙垂を新しくしたりして新年を迎えているところが多数ですが、神職、氏子らがしめ縄を手づくりし新しくする様子を伝えるニュースや新聞記事を近年、年末に頻繁に見るようになってきております〕。

※本年もそういった方のために、紙垂の取扱いをしております。もし、自分でしめ縄をつくることができるなら、それが一番と思います。

 

3つ目はその根本にある理由です。

日本の神道は黄泉(よみ)の国から帰った伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の禊ぎにみられるように「きれいになる」、また「再生」を尊ぶという、言わば「新生」する精神があります。これに付随し、黄泉の国から帰ることを意味するよみがえり(黄泉がえり)という言葉もあります。

また常若(とこわか)といういつも若々しいさまをいう言葉もあります。前述のすす払いや大掃除、お神札、しめ縄などを1年毎に納めて新しくする背後にはこういう意味合いがあります。

なお、使い終わったものは、社寺の境内等で家庭の門松やしめ飾りなどを一緒にはやす(燃やす)正月の伝統行事、どんど焼き(左義長、とうどうさん、地域によって呼び名がちがう)へ。そこで1年の無病息災を祈りましょう。

年越しの大祓も忘れずに。日々の生活の中で気づかないうちに生み出した目に見えない罪穢れをすべて祓い清めて新しい年を迎えます。

新年は1年で一番神様を感じる時ではないでしょうか。その新年を迎える前と、迎えた後。伝統行事は1年を健やかに過ごす先人の知恵です。

 

大年神(おおとしのかみ)は、民間信仰から歳徳神(正月に家に迎えまつる神)と考えられています。

家のしめ縄を新しく掛け替えたり、年神様の依り代(神様の憑依物)としての門松を作ったり、穀物神である年神様に穀物の代表として鏡餅などを供えたりして、新年を迎えます。(もとは旧暦1月を正月とよび、31日までのひと月がお正月でした)

年々、神様をお祀りすることの重要さが増しているように思います。

皆さまがいい年末年始をお迎えいただけますようにお祈り申し上げます。

「年末の大掃除」にみる日本の文化、場をきれいにして歳神様をお迎え

年末の大掃除は、もともと伝統的行事である神社やお寺の「すす払い」が起源でした。(江戸時代では12月13日におこなわれ、正月準備をはじめる日とされました)

お堂のホコリを払ったり、大きな仏像に何人もの人がしがみつきながら布や笹竹でお清めしたりしているのをニュースで見て、年末だなぁと感じる方が多いのではないでしょうか?

 

掃除は大きくわけて、掃き掃除と拭き掃除があります。

掃き掃除につかわれるホウキは古来、神の依り代とされ、掃くという所作を通じて神霊をまねいたり、はらったりする呪力があると信じられていました。

ホウキに関するもっとも古い記録は「古事記」の天若日子(あめのわかひこ)の死後、妻の下照比売(したてるひめ)が喪屋(もや)を建てて鷺(さぎ)を掃(ははき)持ちとしたというものです。(日本書紀にも表現は異なりますが、ホウキが登場しています)

日本においてホウキは古く「ハハキ」とよばれていました。ハハキは後に発音しやすいように変化してホウキに転じ、室町時代には後者が優勢になったとされています。

 

清浄を貴ぶ、神道で何よりも忌むのはケガレです。ケガレをはらうために水でミソギをし、御幣で祓いをします。これは今日でも、宮参りや七五三、地鎮祭など神社の祭式としてつづいています。

神事でつかわれる大幣(祓串)はもちろんのこと、お神酒徳利のすずのくち(とっくりの口に挿す細竹でつくった飾り)や紙垂をはじめ、神に捧げるものはすべてまっ白で新しい紙や竹木、精麻をつかうのもケガレを避けることからきています。

遺物はないが、すでに縄文時代には掃除が行われていたと考えられている。縄文の環状集落は円環状に構成されていて、中央が広場になっており、ここは祭祀場だったと推定されている。周囲を集落がドーナツ状に囲んでいて、その外にごみの廃棄場がある。縄文遺跡では、ごみは一ヵ所にまとめて捨てていて、中央広場からは遺物が発見されないという。

このことから、環状集落の中央広場は常に清められていた空間だったと推定されている。掃除をしていたということである。日本人は古くから清潔を貴ぶ文化を持っていたのであろう。(「掃除道具」小泉和子・渡辺由美子著(法政大学出版局)P2より)

 

かつては家の中で囲炉裏や火鉢をつかっていたため、ススが溜まりやすく、そのススを年末に払っていました。

きれいにした家でお正月にやってくる神様、「歳神様」をお迎えしましょう。

 

 

・参考文献

「掃除道具」小泉和子・渡辺由美子著(法政大学出版局)

「季節のこよみ」平野恵理子(偕成社)

「日本のしきたり」新谷尚紀(出版芸術社)

 

 

 

 

 

 

旧暦10月は神在月。八百万の神が訪れるとき、出雲では何が行われるか

出雲地方では、旧暦10月は神在月(かみありづき)。

出雲大社から約1キロ離れた稲佐の浜。波の音が響く中、かがり火がたかれ、神迎祭の祝詞が奏上されるのが旧暦10月10日の夜です。(2025年は11月29日で土曜日となっており、より多くの参列者が予想されると思われます)

日本全国の八百万(やおよろず)の神は、稲佐の浜に参集します。

そして、稲佐の浜へ訪れた神様たちは神籬(ひもろぎ)に遷され、絹垣を取り囲む神職や氏子などとともに出雲大社へ向かいます。

その後、神楽殿にて宮司はじめ、多くの神職らが神在祭をおこないます。

神在祭では朝から夜まで神事がおこなわれ、その後神様が宿る神籬は境内にある十九社(いわば宿泊施設)へと遷されます。そして、翌日の旧暦11日から17日までの7日間、神様はそこを宿とし滞在されるのです。

 

そこで、神様は何をされるか。さまざまな取り決め、日本や私たちの繁栄や安泰、それに縁結びや五穀豊穣などについて話し合う、神はかり(=会議)がおこなわれます。

その会場は稲佐の浜にほど近い上宮(かみのみや)といわれており、上宮と十九社では毎朝お供えし、祝詞を奏上します。

本社では旧暦11日と15日、17日にお供え物をし、祝詞を奏上します。夜は神楽殿で夜神楽祈祷などがあり、多くの参拝者が訪れます。

旧暦17日の最終日には夕方、十九社に帰路につく神様をお迎えに行きます。(その際もこられたときと同じように絹垣で覆われて遷されていきます)その後、拝殿において神等去出祭(からさでさい)がおこなわれ、神様は出雲大社をお立ちになられます。

 

以前は地元の人や出雲大社の崇敬者だけが訪れるだけでしたが近年、神在祭期間中の一般の観光客が増えているようです。

 

 

 

・参考文献

「伊勢神宮と出雲大社」(エイ出版社)