お客様からご紹介の小説「神様の御用人」のワンポイント神様講座が興味深い

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昨年5月に、お客様からご紹介いただいた「神様の御用人」のことを書きました。

本の各章末に“ワンポイント神様講座”というのがあり、興味深くかつ読みやすいのでここで少しご紹介させていただきます。

9巻では、ワンポイント神様講座1で、「荒脛巾神(あらはばきのかみ)ってどんな神様?」とあり、

荒脛巾神は古事記などには登場しない民間信仰の神で、縄文時代から続く信仰だという説もあります。作中では蝦夷(えみし)が祀る神として登場しますが、それも一説にすぎず、製鉄の神、塞(さい)の神など、様々な言い伝えがあります。荒脛巾神の名前を世の中に広めた物のひとつに『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』がありますが、こちらは現在、偽書であるという見方が強く、荒脛巾神がどのような神であったのか、今となっては知る術はありません。

この下に、狐の姿をした方位神・黄金の言葉として、「客人神としてではあるが、今でも末社などで祀られていることを思うと、当時の人々にとってはとても大事な神だったと考えられるのだぞ。」とあります。

ちなみにワンポイント神様講座2は、「蝦夷とアイヌって関係あるの?」で、

「えみし」という名称は、5世紀以前から存在しました。「毛人」とも書き、その頃は「強く、恐るべき人々」など、やや敬意を払うニュアンスがあったようです。6、7世紀頃になると、そこに朝礼の直接支配の及ばない人々という意味が強調されるようになり、斉明朝頃には「蝦夷」という漢字が使われるようになって、文化の異なる人々、異族、という語義が含まれるようになりました。

平安末期、平泉藤原氏の力が及ぶようになると、「蝦夷=朝廷の直接支配の及ばない人々」は、盛岡市と秋田市を結ぶ線以北の本州および北海道の住民を指すものとなり、この頃「えぞ」という呼び方に変化します。やがて鎌倉時代になると、本州の北端は北条氏が支配し、「えみし・えぞ」と呼ばれる人々は北海道の住民のみとなり、その後のアイヌ民族が形成されていったと考えられています。東北の一部にはアイヌ語の地名があったり、マタギ言葉の中にアイヌ語と共通の単語があったりするため、「蝦夷」と呼ばれた人々がアイヌの祖先であった可能性はありますが、未だ明確な結論は出ていないようです。

同じく下に、狐の姿をした方位神・黄金の言葉、「わしにとっては蝦夷もアイヌもヤマトの民も等しく見守るべき人の子よ」とあります。

なお、著者の浅葉なつさんは徳島県ご出身です。想像ですが日本各地に麻(大麻)をもたらした阿波忌部の系統の方かと思いました。姓の浅はアサ=麻が変化したものかもしれず、もしそうであるなら麻ともゆかりの深いお家柄と思われます(麻のつく地名を調べていて別の漢字を当てているところがあるのに気づいた経験があります)。何より、下調べをしてしっかり構築された土台の上に物語が展開されていきます。

「神様の御用人」は、いわゆる巫女体質のこのお客様のご紹介で手に取ったのがはじめです。それゆえ、意味があるように思い、再度ご紹介させていただきます。小説は現在全10巻、ワンポイント神様講座は「天津神と国津神の違いってなに?」とか、各章末にありますので、お時間のない方はそれだけでも見ていただければ参考になるのではと思います。

 

後日、さらにこのお客様から「アイヌ神謡集」をご紹介いただきました。いわく、「アイヌの神々を祀る神聖さが瑞々しくほとばしるようで、なんとも言えない美しさに心を打たれます」と。