四国・剣山の山の神々、忌部修験道と麻

6年前、徳島県の剣山(標高1955メートル)山頂直下に鎮座する剣山本宮宝蔵石神社(祭神:素戔嗚命、安徳天皇)の神麻しめ縄奉納神事に参加しました。(そのレポートはこちらをご覧ください)

剣山には修験道の行場があります。また神社の看板に「四国太郎山忌部修験 霊峰劔山頂上の宮」とあります。

かつて剣山は石立山(太郎笈・太郎山)と呼ばれ、もともとは吉野川水系の水源地をつかさどる山の神として宝蔵石を磐座に、古代より忌部氏が崇拝してきた神聖なる山でした。

しめ縄奉納神事の最後に、「御宝剣加持」があり、5~6人ずつ精麻の祓串、神楽鈴とでお祓い、御宝剣の加持を受けたのですが、この御宝剣は平安時代末期に、幼帝・安徳天皇が納めた剣で、これより以降剣山、剣山大権現と呼ぶようになったそうです。その剣に触れることで神霊と同体になり、神霊のもつ力をいただくことができるとされます。

宝蔵石神社での御宝剣加持の様子(奉納された麻のしめ縄、鈴緒)
宝蔵石神社での御宝剣加持の様子(奉納された麻のしめ縄、鈴緒)

徳島最古の忌部修験道は吉野川市山川町の高越山の高越寺で鎌倉時代に創始された由。

修験道は、霊山にこもり厳しい修行を行うことで、神秘的な力を得て、その力で自他の救済を目指そうとする日本古来の山岳信仰と密教とが集合した神仏習合の宗教です。

その実践者は修験者、山伏(やまぶし)と呼ばれ、開祖は奈良時代の大和葛城山(かつらぎやま)を行場とした役小角(役行者)とされます。

奈良県の吉野と和歌山県の熊野を結ぶ修行の道「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」はユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録遺産となって今年で20年です。(現在大峯に入り、駆け抜ける修行を「奥駈(おくがけ)」と呼びますが、平安時代頃は「奥通(おくどおり)」と呼ばれていたようです)

修験者が衣服の上に着る麻の法衣を鈴懸(すずかけ)といいます。心身の穢れを祓い清める修験道においても麻が用いられるのは当然のことと思われます。

 

 

・参考文献

「山の神々と修験道」鎌田東二監修(青春出版社)

劔山本宮劔神社例大祭と剣山忌部修験道の歴史パンフレット」(一般社団法人忌部文化研究所)