天皇に代わり伊勢神宮の祭祀に仕える「斎王」、豊鍬入姫命と倭姫命

伊勢神宮のご祭神である皇祖・天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、もとは大和朝廷の宮中に祀られていました。

日本書紀によると、第10代崇神天皇の御代、そのご神体は皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託され、皇居を出て倭・三輪山西麓の笠縫邑(かさぬいむら)に遷し祀られました。

つづく第11代垂仁天皇の御代には、ご神体は皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)に託され、よりふさわしい鎮座地を求めて諸国を遷幸した末、伊勢国の五十鈴川の川上に奉斎されました。

これが皇大神宮の創祀で、約2000年前のこととされます。

豊鍬入姫命、倭姫命は天照大御神の寄りかかる御杖代わりとの意味合いから「御杖代(みつえしろ)」と称されました。

古くは斎王を御杖代と称し、豊鍬入姫命はその初代、倭姫命は2代目ともみなされています。

ただし、御代代わりごとに未婚の女性皇族が選定され、伊勢神宮の祭祀に奉仕する斎官制度が整備されたのは、律令制が確立されていった飛鳥~奈良時代にかけてのことです。

実在を確認できる最初の斎王は、第40代天武天皇が即位した673年に就任した大来皇女(おおくひめみこ)です。

以後、斎王の制は約660年にわたってつづき、南北朝時代の第96代後醍醐天皇の御代の祥子(さちこ)内親王を最後に廃絶しました。

史上60人あまりの斎王が存在したと考えられています。

なお、斎王(さいおう/いつきのひめみこ)の名称が定着したのは9世紀ごろとされます。

 

額に木綿鬘をつけた斎王の姿(肖像等)をどこかで見たことがあるのではないでしょうか。

斎王は忌み籠もり、神に祈りを捧げる日々を送って、彼女たちは天皇と伊勢神宮との結び目として存在しました。

 

 

 

・参考文献

「皇室」令和8年春110号(公益財団法人 日本文化興隆財団)

「図解巫女」朱鷺田祐介著(新紀元社)

現代の精麻活用の事例の1つ、木綿鬘(ゆうかずら)・木綿襷(ゆうだすき)

「木綿(ゆう)」とはコットンのことではなく、クワ科の楮や穀(かじ)の繊維のことです。

この木綿は古くより、大麻と同じく神聖な繊維とされ、その神性をもってケガレを祓うのに用いられました。

古事記の「天石屋戸」条には、「下枝に白和幣(しらにぎて)・青和幣(あおにぎて)を取り垂でて、この種々の物は、布刀玉命(ふとだまのみこと)・太御幣(ふとみてぐら)と取り持ちて~」とあり、この白和幣が「木綿」で、青和幣が大麻布のことです。

また、日本書記には「木綿手繦(ゆうだすき)」として登場します。(古くから神事で襷(たすき)を用いていたことは埴輪の巫女が襷を掛けていることでもわかります)

木綿は冠の鉢巻きにしたり、女性ならば頭に直接巻く「木綿鬘(ゆうかずら)」はさまざまな神事に用いられました。また、袍(ほう、束帯の上着)の上に斜めに襷掛けするのが「木綿襷(ゆうだすき)」です。

大嘗祭では役職により、木綿鬘だけであったり、木綿襷(ゆうだすき)と日陰鬘(ひかげのかずら)を組み合わせて使うなど、さまざまな形式があったようです。

その他、神社の本殿を改築するときなどに行われる「遷座祭」において、神職が衣冠の上に「明衣(みょうえ、神事の際に着る浄衣)」を重ね、冠には木綿鬘、明衣には木綿襷を掛けて神事を行います。

本来、「木綿」と「麻」は明確に区別されており、『延喜式』に「安芸木綿」とあり、木綿の主産地は安芸国(広島県)などであったと思われます。

しかしやがて本物の木綿の調達が難しくなり、江戸時代には麻の繊維や細布で代用していました。現代では「麻苧(精麻)」と呼ばれる大麻の繊維を利用することが多いです。

明衣(みょうえ)の上に木綿鬘と木綿襷をつけた姿
明衣の上に木綿鬘と木綿襷をつけた姿

 

 

・参考文献

「有職装束大全」八條忠基著(平凡社)

「呪術と科学の有職故実図鑑」八條忠基著(平凡社)

「日本の建国と阿波忌部」林博章著