命が大事か、経済が優先か。命を大事にする文化の中心にあるのは

こちらで書いたように、私は伯家神道・十種神宝御法の修行座を受け、学ぶうちに日本の文化はすばらしいと思うようになった1人です。

一番感嘆したのが、目の前のものすべてが命ということです。稲は稲が作る。トマトを作るのはトマトなんです。ものを大切にする、もったいない精神。礼をするということ。

そして、すべてつながっている。すべて縁であること。和を大切にする。

さらに、古神道で最重要視されている祓いといえば、おお麻(ヘンプ)だと思い、それを伝えようと今日のさぬきいんべがあります。

 

ここで、山形県のレストラン「アルケッチャーノ」のシェフ、奥田政行さんの著書「地方再生のレシピ」の中で、日本人にはない視点で日本の魅力を世界に発信してくださっているマンリオ・カデロさん(駐日外交団長、サンマリノ共和国特命全権大使)と奥田さんの対談を抜粋してご紹介させていただきます。

~日本人は世界で一番自然に近い民族~

カデロ大使 『日本は紀元前660年の神武天皇の即位によって創建されたのが始まりです。古事記や日本書紀をひも解くとちゃんと書いてある。神話というのは国にとってとても大切です。ギリシャもギリシャ神話があるからヨーロッパで歴史を重んじられているでしょう。日本も神話があるから世界から尊ばれるのです。
日本という国は2675年もの間ずっと天皇制という同じシステムを貫いています。こんな長きにわたって続いている国はほかにありません。世界の歴史を大きな視野で眺めると、日本は世界最古の君主国と言えるのです。最初から同じシステムを貫いている日本とサンマリノは似ている国だなと私は思っています。』

奥田 『なるほど。そんなふうに日本が見られているとは知りませんでした。』

カデロ大使 『もう1つ、日本が世界から尊ばれているのは神道が国家精神の背景にあるということです。日本には「八百万の神」という言葉がありますね。山や川にも神さまが宿るという考え方はとても神聖で神秘的です。日本人は世界で一番自然に近い民族だと私は思います。
食べ物に関してもそうですね。「もったいない」「いただきます」の心は、食べ物の命に対する敬いの気持ちです。食堂などで見ていても、日本人の多くは1人で食事をするときでもいただきますと言います。中には胸の前で両手を合わせる人もいます。そして食べ終わると「ごちそうさま」と言う。
日本以外の民族ではそういうことはありません。店員に「サンキュー、グラッチェ」を言う人はいますが、敬虔なクリスチャンでなければ黙って食事を始めて黙って終えていきます。
日本人にとって当たり前過ぎて気にしたことはないでしょうけれど、私は日本にやって来た時になんて素晴らしい習慣なのだろうと思いました。日本人は礼儀正しく、環境に優しく、平和的な民族なのです。』

奥田 『確かに日本人の中で日常の生活で神道という言葉そのものを意識している人は多くないでしょうね。でも田舎のお祭りはどこも、五穀豊穣を山の神さまに感謝したり大地に感謝したりするところから始まっているのがほとんどです。そうした意味をもう一度考えてみることは意義深いかもしれません。そういうことをきっかけに、サンマリノのように住民の1人1人が地域の自治を支えるという意識を持てたら理想的ですね。地方の誇りはもしかすると、そうした自然の恵みへの感謝というところから回復できるのかもしれない。』(『地方再生のレシピ』奥田政行著(共同通信社)P.160~161より抜粋、一部編集)

 

カデロ大使は、今後の日本についてもっと国際的になるべきと提言されています。これは外国のまねをするという意味でなく、日本のものを(ラベルに英語も表記など)外国人にわかるようにするという意味だそうです。

そうすれば売上げも上がるし、日本の文化をより広めることにもつながると。

もっと国際的にとは、つまり「世界人」になるということなのではないかと思います。

見えるものと見えないものをつなぐ

令和2本目。見えないもの、、霊の話をしようとしているのではありません。

伯家神道・十種神宝御法の修行座には食べること、食事も含まれています。

どうやって食べるか。

・食前感謝のことば

たなつもの(食物)百々(もも)の木草も天照らす日の太神(おおかみ)の恵み得てこそ

・食後感謝のことば

天地(あめつち)の神の恵みを見に受けて満ちたる生命(いのち)うけひ励まん

天地の恩、社会の恩、親・先祖の恩。いただく時このことを思いながらご飯をまず三口かみしめるのです。教わってすごくいいことだと思い、それからこの「三口かみしめる」のを毎食事時にしています。このおかげで一粒の米、一滴の汁まで尊いと思えるようになりました。

天地の恩は、天体の運行、太陽、月、雨、風、雪、花、山、川、草、木、大地、海など自然の営み、神々に対する恩。自然の恵みがなければ、ということです。

社会の恩は、あまたの人々の働きに対する恩。米にしても農作業した人、運んだ人、売った人など自分の口に入るまでにさまざまな人の働きがあるわけです。

親・先祖の恩は、自分という存在には親がいて、親にはまたその親がいて、その親にはまた親がいてという命の連鎖に対する恩です。10代さかのぼると、、

食事の前にいただきます、終わったら、ごちそうさまと言う人がいます。

(前略)もう1つ、日本が世界から尊ばれているのは神道が国家精神の背景にあるということです。日本には「八百万の神」という言葉がありますね。山や川にも神さまが宿るという考え方はとても神聖で神秘的です。日本人は世界で一番自然に近い民族だと私は思います。
食べ物に関してもそうですね。「もったいない」「いただきます」の心は、食べ物の命に対する敬いの気持ちです。食堂などで見ていても、日本人の多くは1人で食事をするときでもいただきますと言います。中には胸の前で両手を合わせる人もいます。そして食べ終わると「ごちそうさま」と言う。
日本以外の民族ではそういうことはありません。店員に「サンキュー、グラッチェ」を言う人はいますが、敬虔なクリスチャンでなければ黙って食事を始めて黙って終えていきます。(後略)(「地方再生のレシピ」マンリオ・カデロさんの言葉より)

3.11の震災の後、「絆」という言葉がしきりに言われました。絆は目には見えません。

それと同じように天地の恩、社会の恩、親・先祖の恩は目には見えません。感じるものです。

日本人は昔から目に見えるものはもちろん、目に見えないものを大事にして生きてきたんだろうと思います。

すべてつながっています。

本当に見えないものの話は機会ありましたらまた。(^_-)

 

 

・参考文献

「地方再生のレシピ」奥田政行著(共同通信社)

古神道的な視点からみた日本と西洋の文化のちがい

日本を訪れる外国人観光客は、和食がユネスコ無形文化遺産に登録された2013年に1000万人を越え年々増加、2018年には3000万人を突破しました〔日本政府観光局(JNTO)調べ〕。

2020年には東京オリンピックが予定されており、さらに増加することが予想されます。

外国人観光客が増えると、私たち日本独自のものとは何?と考えますね。私が感じる日本と西洋のちがいをご紹介したいと思います。

・多神教⇔一神教

日本は多神教、八百万(やおよろず)の神で、水の中には水の神、木の中には木の神がいるというように、ありとあらゆる自然物に神様がいると考えます。例えば、神社のご神木にしめ縄が巻かれているのはご存じですね。

小千命お手植えの楠(樹齢2600年、大山祇神社)
小千命お手植えの楠(樹齢2600年、大山祇神社)

それに対してキリスト教は一神教です。

 

・なるようになっていく、なるべくして、なる(かむながら)⇔ナニナニすべき

日本は、「かむながら」の精神で、(神の御心のままに)なるようになっていく、なるべくして、なるという考え方です。

一方、西洋は非常に目的志向が強い、ナニナニすべきと、思想や理念に頼り相手を説得していこうという啓蒙主義的な考え方です。

 

・きれいきたない(伊邪那岐命のミソギ)⇔善悪(アダムとイブ)

日本人はきれい、きたないを大切にします。古事記において伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は黄泉の国から帰ってケガレを洗い流すためにミソギをします。それから、人をののしるとき「きたねーゾ」と言う人もいます(笑)。

西洋は前述のごとく、~すべき、~してはいけないと善悪を大切にします。

 

・型(作法、祭り、伝統行事など)⇔論理(ナニナニすべき)

日本は「型」を大切にし、型で伝承されます。芸道でもそうでしょう?その型の中に大切なものがすべて詰まっているように思います。

そういう目で見ると、地域の祭りや伝統行事は、型が伝承され子々孫々まで伝わっていきます。300年続いている地元の西条まつりを以前にも増して大切にしたいと思うようになりました。

京都・祇園祭の大船鉾(2014年、150年ぶりに復活)
京都・祇園祭の大船鉾(2014年、150年ぶりに復活)

対して、西洋は論理(ナニナニすべき)で伝達されます。

 

・水平的(動作、作法)⇔垂直的

弓道(弐段)の体験もありますのでわかるのですが、日本の作法は水平的ですよね。流れるような感じで動いていきます。対して、西洋の格闘技、ボクシングなどは動きが激しく、また上下(垂直的)のフットワークで相手に対しようとします。他にも例がありそうです。

 

・はらう(引き算)⇔付加・盛る(足し算)

はらうと言えば、やはりまず思い浮かぶのは神社の「お祓い」でしょう。

お祓いにつかう祓串(国産精麻がついたもの)
お祓いにつかう祓串(国産精麻がついたもの)

伯家神道も祓いを大切にします。体験者はうなずきますね。^^

他にも日本人にとって香りは、西洋の香水のように人をひきつける機能よりも、邪気をはらう方が目的です(これは別のところで紹介させていただこうと思います)。

 

・言霊(母音、子音+母音)⇔言葉

日本には言霊という思想があります。私は祝詞の中でも身曾岐祓を唱えるととても気持ちよく感じます。またはじめて聞いたとき子守歌のようだと思いました。

なんとなれば日本語はすべて母音が伴っているからなんですね。それから何気なく使っている日本語だけでなく、日本語の古語、大和言葉にも興味を持つようになりました。

対して英語は、議論、討論、そういうのに非常にいいですが、気持ちを伝えるとかニュアンスを伝えるのは不向きとされます。

 

・自然順応・尊重⇔自然克服

日本は自然を大切にします。

神というものは植物、花、いろいろなものの中にあまねく存在しているというのが日本人の自然観、目の前にあるひとつ1つが神、命とすればなおさらです。

私たちの食生活というのは実は神様と私たちの出会いなんです。

西洋は自然はものですから都合のいいように破壊していきます。

 

・和(全体、一元)⇔分離(個)

日本人が和を大切にするというのはご存じのとおりです。すべて同じ命ですしすべてがつながっているんですから。

障子や欄間は空間を完全には遮断してません。1つの空間としてみているんですね。

 

 

私は、20歳過ぎても西洋がすばらしく日本はダメと考えてきました。「ここがヘンだよ日本人」というTV番組もありました。日本の音楽よりも洋楽をよく聞いていたし、目の前のものは「もの」でした。

ところが、知人のすすめで伯家神道・十種神宝御法の修行座を受け、学ぶうちに日本の文化はすばらしいと思うようになりました。高校時代、弓道をした体験(弐段)と相まって日本を見直しました。

自分が気づいたことを伝えたい、古神道で重要視されている祓いといえば、おお麻(ヘンプ)だと思い、今日のさぬきいんべがあります。

再び、日本的なものが注目されている時代。2012年は古事記編纂1300年の節目でした。

来る2020年は東京オリンピックの年だけでなく、日本書紀が完成してから1300年の節目です。

 

 

参考文献:

「みそぎ」(伯家神道)

「ヘンプ読本」赤星栄志著(築地書館)

すべてつながっている、麻と火と神

こちらで伯家神道について書きました。いろいろなことが神様を大切にしているのは想像できると思います。

修行座の最初に「潔斎」の作法を教わりますが、まず火の神様の名を唱えるのです(その後、火打ち石を用いて潔斎、ちゃんと作法があります。特に神具・アクセサリー類は清浄であることが重要と考え、潔斎してからお客様へお届けしています)。

潔斎に用いる鎌と火打ち石
潔斎に用いる鎌と火打ち石(携帯用袋とともに)

火の神様は古事記では「神生み」条で火之夜芸速男神(ひのやぎはやおのかみ)、または火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)として登場します。

遠くはるかな昔、男の神と女の神がいらした。男の神を伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、女の神を伊邪那美命(いざなみのみこと)といった。そのころ大地は、かたまったばかりであったから、ふたりの神は、たくさんの神々を生み、国づくりをすすめていた。

ところが火の神をお生みになった時、伊邪那美命(妻神)はおおやけどをしてお亡くなりになる。

愛媛民芸館には囲炉裏(いろり)があります。実際使っているのを見ました。茶道経験者いわく茶道では炭手前というのがあるそうで、バーベキュー用の炭と違いバチバチ燃えるのではなく、品のある燃え方をしていました。(私はお相伴にあずかれませんでしたが、1月に上に網をしいて来られていた方に切り餅を焼いてふるまったそう)

炭火
いろりの炭火(愛媛民芸館)

ところで最近、家から「火」が無くなっています。そうです。オール電化にともなうIH調理器の普及です。

そういえば火のつけ方(消し方)を知らない子どもがいるという話を聞いたことありました。

私の家では台所に荒神さん(カマドの神)を祀っていました。昔の人は火を大切にしていたんですね。

愛媛民芸館へ行くと、昔の人が何を大切にしていたかがわかります。

さぬきいんべはモノだけでなく神様を、大麻(ヘンプ)だけではなく他のものも大切にしたいと思います。なぜならすべてつながっているのですから。

 

 

参考文献:

「現代語古事記」竹田恒泰著(学研)

「日本人の忘れもの1」中西進著(ウェッジ文庫)

伯家神道について少し

こちらに伯家神道のことを書いています。正直、実際のところ字面で伝えられないことの方が多いです。

しかしここでは言葉にしないと伝わらないので書いてみます。

 伯家神道・十種神宝御法とは

宮中祭祀を司ってきた神祇伯に連綿と受け継がれ、今に継承された「みそぎ行法」のことと上記リンク先で書いてます。難しいことはわかりません。

私は知人の神職の紹介で、古神道の奥義を広く一般に相伝するための修行座をおこなっている神社の直門として縁をいただきました。

みそぎとはきれいになること。きれいにならないと道が開けていかないというとおわかりになるでしょうか?

行が進むと八種から「拍手」を授かります。それはどういう神様を迎えるかということ。つまり八種には八種の拍手、七種には七種の拍手、、があるということです。

十種神宝御法の許状
十種神宝御法の許状(八種)

何を置いても体験されるのが一番わかりが早いと思います。

命を大切にしているのが古神道

古神道とは古い神道ではなく本来のという意味ですが、私がもっとも感銘を受けたのは、命を大切にしていることです。

この世のすべては生命。そう日本人は認識しました。日本人にとって「物」は存在しません。古代においては「もの」という言葉は鬼を意味するものであったそうです。

目の前のものはすべて命。そうとすれば例えば、日本の文化が自然を大切にしているのもわかりますし、もったいない、いただきます、ありがとうといった普段私たちがよく使う言葉がより心に響きます。

息のみそぎ、大声の祓い等とともに行じることでそういうことがわかってくるのがすごいと思います。

そして、すべての命は同じ、すべての命はつながっているんですね。

古神道は日本の文化の源流

もともと先祖供養は神道ですし、ヨガのもとになったのも古神道にあります。祓いはもちろん、拍手、祓祝詞、作法、古事記などを学ぶにつれ、古神道は日本の文化の源流だと思うようになりました。

祭式作法の書籍
祭式作法の講習会に参加した際いただいた本

さぬきいんべ創業当初、おお麻(ヘンプ)文化の復興をテーマにしていましたが、それを追いかけていると知らず知らずのうちに機織り、草木染め、自然布、糸魚川ヒスイの勾玉、いわゆる手仕事、民藝などが不思議に身の回りに集まってることに気づいたのが2~3年ぐらいたってからです。

スピリチュアルなどで、「ゼロ」の状態になると必要なものが向こうからやってくるというのはそういうことと思います。

文字通り「さぬきいんべ」として

日本には言霊という考え方があり、「言葉には現実の出来事を引き起こす力がある」とされてきました。

日本の古代史の舞台で活躍したとされる忌部氏とは、「穢れを忌み嫌い、神聖な仕事に従事する集団」との意味があるそうです。人のご縁から、これしかないと名付けた「さぬきいんべ」は、類は友を呼ぶ、名は体を表すという感じで、本当に名前の通りそんな風になってき現在に至っております。

さぬきいんべでは、特に神具、アクセサリー類は清浄であることが重要と考え、上記の伯家神道の修行座で教わった潔斎の方法(火打ち石を使う)で、潔斎してお客様にお届けしております。

また、ある月次祭でお供えされる伊勢エビ、アワビ、鯛をしばる麻紐を毎月つくったり、お供え物をきれいにならべたり神事に関する準備もしております。

 

 

参考文献:

「日本の建国と阿波忌部」林博章著

「みそぎ第十号」(伯家神道)