知らず知らず日本人の心に根付いてきたものを大切に

口々にいろいろな方が「日本における新型コロナウイルス起因の死亡者数は少ない」「世界中で日本だけ感染のグラフがおかしい」とか言われています。知人がそれについてブログで書いていて興味深かったため私も書いてみます。

なぜか?という真偽のほどはわかりませんが、何か理由があるのではと誰もが思っているのではないでしょうか。(たとえば、ノーベル賞受賞者の山中伸弥氏は、その理由を仮にファクターXと表しているようです)

理由の1つに、生活習慣によるものという指摘があります。

日本には世界に誇る発酵文化がありますね。

もったない精神が強いのも、ものを単にモノではなく、命と見ているからだと思います。
 
他にも日本人は、きれいきたないを大切にし、「きれい好き」「生活圏は土足厳禁」、「毎日お風呂に入って衛生的かつ免疫向上」といった特長があるように思います。
 
マスク着用にしても、世界保健機関(WHO)は予防効果を認めていないにも関わらず、日本では一定の効果はあるとし率先して行っていますし、宣言が解除されても着用している人は多いと思います。(※2020年6月に入りWHOは人との距離が取りにくい状況での着用を推奨するなど方針を変更)

また、「間」や「間合い」という概念が浸透しているからかボディタッチやスキンシップは最低限です(ハグや握手よりお辞儀、礼をしますね)。
 
母音言語を話すから飛沫も起きにくいのではないかと。それは言い過ぎでしょうか。

当然、医療関係・福祉関係の方々の力もあると思いますが、挙げればまだまだあると思います。灯台もと暗し、そこに世界が注目すべき宝が隠れているかもしれません。しだいにはっきりしてくるでしょう。

私は、日本の人たちのその根っこにあるのは古神道ではないかと思い、要は、知らず知らずに日本人の心に根付いてきているものがあると思うのです。(参考:前に書いた古神道的な視点からみた日本と西洋の文化のちがい

世界が激動の今こそ、日本の心、文化を受け継いでいきたい。そう思います。

旧暦と行事、日本は二本立てでできている

東京オリンピック・パラリンピックの観戦チケットに日本の「伝統色をあしらう」という新聞記事がありました。

(参考)五輪チケット、デザイン公表 藍や紅…大会カラー彩る(日本経済新聞)

さて、日本の行事は本来は旧暦(太陰太陽暦)でおこなわれていました。旧暦とは明治6年まで使われていた太陰太陽暦のことで、月を基準にした暦で太陽暦の春夏秋冬とのズレを調整しているため、早い話、自然のリズムに合っています。農業をされている方などは現在も参考にしているのではないかと思います。

毎月1日は新月で、三日月は3日の月、十五夜は15日の夜の月を表し、そのままです。旧暦を知っていたらその日の月の形がだいたいわかりますね。また、五節句、例えば桃の節句(3月3日)は桃の花、端午の節句(5月5日)は菖蒲の花が咲いているころですし(新暦だとちょっと時期が早い)、七夕(7月7日)は南の空に天の川がきれいに見られる可能性が高いです(新暦では梅雨にあたる)。1~3月は春、4~6月は夏、7~9月は秋、10~12月は冬と、なぜ年賀状に「新春」とか、梅の花が描かれているかというと旧暦では1月1日は文字通り春のはじまりだからです。疑問に思ったことありませんか?冬なのに春とは、、

さらに、私の氏神さまの夏越祭(なごせ)は毎年旧暦6月16日におこなわれます。「水無月の 夏越しの祓ひ する人は 千歳のいのち 延ぶといふなり」という歌がありますが水無月は6月のこと。愛媛県の伊豫豆比古命神社(椿神社)では毎年旧暦の1月7・8・9日に伊予路に春を呼ぶ、椿まつりがおこなわれにぎわいます(2020年は1月31~2月3日)。

例はまだまだありますがこのように旧暦は日本の四季、日本人の暮らしと密接に結びついてまいりました。そんな生活から、和の伝統色、もちろんそれだけではないでしょう日本の文化が生まれています。色だけをみても種類、呼び名が何種類もあることに驚かれるでしょう。

(参考)日本の伝統色 和色大辞典

現代は四季の変化がわかりづらくなっていませんか?

香川県には昔の人が大切にしたと思われる巨石祭祀遺跡が多くあります。それ(方角)をみると冬至、春分、夏至、秋分(四至二分)を大事にしていたことがわかります。農耕祭祀、すなわち生きることと密接に関わっていたのだと思います。

自然とともに生きていく、共存していく。そのために暦は大事なものです。

日本は“二本”、新暦(太陽暦)と旧暦、神道と仏教、元号と西暦などが共に存在しています。西洋のように1つだとわかりやすいですが、片寄りやすい(極端になる)。この二本立てのおかげで「あいまい」になり、色彩豊かな文化が継承されているのではないかと思います。その以前に日本神話(多神教)があってのことだと思いますが。。

美しい日本とその文化を後の世代に継承していきたいです。

 

 

・参考文献

「旧暦カレンダー」(南太平洋協会)

【復習】神棚のまつり方

愛媛民芸館で開催中の「子の干支展と正月飾り展」を見てきました。2020年の干支、ねずみの郷土玩具のほか、しめ飾り、紙垂、お神楽に使われる切り絵、ミキノクチ(神酒口)など新年らしい神様を感じる展示でした(この展示は2020年1月31日まで)。

さて、新しい神棚で新しい年を迎える方もいらっしゃるのではないかと思います。暮れまでには新しいお神礼を受けて輝かしい新年を迎えましょう。

復習がてら下記に書きました。

○神棚の場所

南または東向きの明るい所で、目線より上の位置に取り付けます。(ただ、単に条件に合った場所に設置すればよいというわけでなく、一番大切なのは神様を大切に思う心、日々の暮らしに感謝する心ではないかと思います)

神棚は、社殿の造りをした伝統的な宮形の他、壁掛け式や洋室向けなど種類がありますので環境に合ったものをお選びください。

○お神札のまつり方

中央に神宮大麻、向かって右側に氏神様、左側に崇敬神社(地元の氏神様以外に信仰する神社)のお神札を、重ねておまつりする場合は、神宮大麻を一番手前に、そのうしろに氏神様、次に崇敬神社のお神札をおまつりします。

もし神棚がなければ、タンスや戸棚の上をきれいにしてまつってもいいです。

○お供えするもの

毎日お供えするものは米、塩、水が一般的です。氏神様のお祭りなどの時にはお酒や尾頭付きの魚、野菜、果物、また四季の初物やいただきものなどをお供えします。

ちなみに、神棚と外を隔てるためにしめ縄を一番手前の上方に設置するのがおすすめです。

○神拝のしかた

神社の参拝と同じように、二拝二拍手一拝(神前で二度拝礼して二度拍手を打ち、さらに一度拝礼)をおこないます。

 

絶対にこうでなければならないというものではありません。例えば、ある家ではお神札が氏神様だけとか、お供えは水だけの場合もあると思います。人によっては鈴緒を設置したり、祓串でお祓いする方もいらっしゃると思います。ただ、神棚は家の中でもっとも神聖な場所ですから、清潔にし心をこめておまつりします。

ご家庭によっては恵比須様、大黒様、荒神様、田の神様、歳徳神様などもおまつりする方もいらっしゃると思いますが上述に準じます。

自分んちの神棚が普通と思っているかもしれませんが、他の家の神棚を見るとこんなおまつりのしかた方が!という風になるかと思います(今までいろいろみてきた中での想像)。あるお客様にたずねてみると、小さな鳥居に国産精麻のしめ縄をつけて神棚風に祭壇をおまつりしているとのことです。奉斎の際に神社の神主さんをお呼びするからと、それに間に合うようにしめ縄をと注文いただいたこともあります。

出向いていろいろな神棚を見てみてみたいです。(^^)

 

 

・参考文献

「家庭の祭祀事典」西牟田崇生著(国書刊行会)

「氏神さまと神宮大麻」(神社本庁発行)

日本人のアイデンティティー、日本文化を再認識させる最近の映画

ここ数年、日本の文化に触れた映画が目につくようになってきました(思いません?)。

少し前なら、おくり人(滝田洋二郎監督、2008年公開)が第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞したのを思い出します。

しかし、2011年の3.11以降でしょうか。だんだん様相が変わってきたことを感じます。

ここ数年で気になった映画を箇条書き(順不同、リンク先はそれぞれの映画の公式サイト)にしてみると、

麻てらす~よりひめ 岩戸開き物語~(2017年) 監督:吉岡敏朗

日本古来の大麻文化とその心を麻績みをする女性、“よりひめ”を軸に紹介するドキュメンタリー映画。ロンドンインディペンデント映画賞ドキュメンタリー部門にて佳作を受賞。2017年2月、大麻比古神社正式参拝(日本麻振興会主催)の際吉岡監督とお会いしたときもカメラを回されておりました。

神楽鈴の鳴るとき(2018年) 監督:小沼雄一 キャスト:濱田ここね他

国の重要無形民俗文化財「河口の稚児舞」を題材にした映画。 第7回富士山河口湖映画祭シナリオコンクール準グランプリ受賞。2017年半ばより精麻五色緒付き神楽鈴を販売しはじめた後でこの映画のことを知りましたので思わず注目。

紅い襷~富岡製糸場物語~(2017年) 監督:足立内仁章 キャスト:水島優他

富岡製糸場が世界遺産に登録されて3周年を記念した映画。絹に再び光が当たりました。同製糸場を設立したのが渋沢栄一と知り、それから主演が私の母校出身の女優、水島優さんなので◎。(^_-)

君の名は。(2016年) 監督:新海誠 

長編アニメーション映画。映画を見た人の感想を聞きまして、日本文化が映画の中にたくさんちりばめられていると思いました。

一礼して、キス(2017年) 監督:古澤健 キャスト:池田エライザ他

映画の中で弓道が登場します。弓道は礼に始まり礼に終わる!公式サイトのファビコンが弓道の的(まと)なのも乙。

先生!、、、好きになってもいいですか?(2017年) 監督:三木孝浩 キャスト:生田斗真他

こちらも弓道が登場します。私は弓道弐段ですので、2つのうちどちらの映画だったか忘れましたが、たまたま見ていたTVで紹介されていたことがあり思わず見入ってしまいました。

映画刀剣乱舞(2019年) 監督:耶雲哉治 キャスト:鈴木拡樹他

刀剣ブームの火付け役、「刀剣乱舞(とうらぶ)」の実写版。玉造りをされている青舟さんが刀剣がお好きで、よく刀剣のお話を聞くのでご紹介しておきます。^^

 

これらの映画たちは近年、外国人観光客の増加する中で、日本国内で日本の伝統文化、地場産業、伝統工芸、手仕事や民藝などが再認識されているのとシンクロしているかなと思います。

かくして時代は令和です。映画中で紹介されているもの、ことがもっとはっきり現実に現れてくるんではないでしょうか。

他にもあるんでは?もしご存じなら教えてください。

 

 

精麻についておさらい

精麻とは、アサの茎から表皮をはぎ、そこから表皮など余分なカスを取り除いたものをいいます。

極上の国産精麻
極上の国産精麻(1本)

黄金色でツヤがあり、新聞の文字が見えるぐらいに薄くひかれたものが上質とされます。(「色・ツヤ・薄さ」と私は覚えています(^_-))

なお、ちょっと古いですが福山雅治主演のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で岩崎弥太郎宅の納屋に干している黄金色のは精麻と思われます(同ドラマでは栃木県鹿沼市の麻農家、大森由久さんが麻縄づくりを指導)。

今日では、神仏具や縁起物としての利用が多いです。

神道では麻は「神様のしるし」あるいは「神様の宿る神聖な繊維」とされ、神官がつける狩衣なども麻で作られています。また、お祓いの時に使用する幣や鈴緒などにも麻は欠かせません。

縁起物としては、結納で取り交わす友白髪があります。そして、魔をはらうなど呪術力があると考えられていて、ほかにもヘソの緒を縛る糸や死に装束、地域の祭礼など人生の節目や季節の節目に使用されてきました。

 

日本最大の生産地である栃木県で生産されたアサは、生産農家によって精麻、皮麻、苧幹などに加工され、野州麻の名称で全国に流通しています。

かつて、同県では生産地によって引田麻、把麻、岡地束、引束、板束、長束、岡束、永野束などの銘柄があり、結束の方法が異なっていましたが、栃木県では1933(昭和8)年に「麻検査規則」(昭和8年7月11日栃木縣令第46号)を定め、その統一を図りました。

同時に品質の統一を図るため、同年10月より等級検査が実施され、規格の統一が図られました。その結果、精麻は極上、特等、1等、2等、3等、4等、5等、等外の8つに区分されました。

検査は肉眼で行い、品質、長短、強力、色沢、乾燥、調製、結束の各観点より等級を定めました。例えば精麻の極上は「最も光沢に富み、清澄なる黄色か黄金色。手さわり、調製、乾燥すべてに最もすぐれ、繊維が強力なもの」、特等は「光沢に富み、清澄なる黄色か黄金色ないし銀白色。手さわり、調製、乾燥に最もすぐれるもの」などとし、それぞれの基準が設けられました。

野州麻(精麻)の利用 大正時代と現在
大正時代 現在
主な用途 出荷地 主な用途 出荷地
下駄の鼻緒の芯縄 栃木・東京・大阪など 神事・祭礼・縁起物用 全国各地
軍需用(綱・縄) 東京・神奈川など すさ(寸莎、建築用、壁のつなぎ材) 全国各地
綱の原料 東京・神奈川・愛知など 下駄の鼻緒の芯縄 東京・栃木など
魚網 茨城・千葉・神奈川など 綱(凧糸・山車綱等) 静岡・新潟など
衣類・蚊帳地 滋賀・奈良・福井など 衣類 滋賀・奈良など

 

 

 

 

(主な用途および出荷地の配列は出荷量の多さとは対応していない)

なお、栃木県でニハギ(煮剥)、精麻と呼ばれるものが、麻生産の歴史が古い広島県近辺ではそれぞれ、アラソ(荒苧・粗苧)、コギソと呼ばれます。

麻の茎の皮を剥いで精麻にするまでの工程は、地域によって多少のちがいがあります。

収穫後、麻の茎を折らずに蒸すところもあり、その場合は高さが2~3mにおよぶ桶が使用されました。こうした桶は、青森県立郷土館(青森市)、宮古市北上山地民俗資料館(岩手県宮古市)、朽木郷土資料館(滋賀県高島市)、石川県立白山ろく民俗資料館(石川県白山市)、広島市郷土資料館(広島市)、四国村(高松市)、宮崎県総合博物館(宮崎市)など全国各地の博物館施設で見ることができます。(その多くは麻だけではなく、楮や三椏などを蒸す時にも使用されたそうです)

 

 

参考文献

・「地域資源を活かす 生活工芸双書 大麻あさ」倉井耕一・赤星栄志・篠﨑茂雄平野哲也・大森芳紀・橋本智著(農山漁村文化協会)

・「日本の建国と阿波忌部」林博章著

神棚の起源の謎

以前、なぜ神棚をお祀りする?神棚の真の意味という記事を紹介させていただきました。ここでは神棚そのものの起源について紹介させていただきます。

その前に自身の体験話から。(^_-)

私の家には神棚も仏壇も物心ついた時にはありました。特に祖母が毎日夕飯前に仏壇の前で般若心経をあげていたのが記憶に残っています。祖母ができなくなるとその後、母がそれをするようになりました。(お彼岸、お盆などに御霊供膳をお供えなども)

また、家の敷地内に「おつかさん」というのがあり、現在もお祀りされています。住んでいるところ一帯には、このおつかさんが所々にあります。天正の陣(1955年)の際、行き倒れになった武将を祀るものという話を聞きますが定かではありません。後にこのおつかさんが辰巳大神という名があるのがわかりました。

祖父があるとき、おつかさんに無礼をしたことがあったそうです。そうしたら足にミミズ腫れができたと聞いています。それから2001年ごろのことですが、父が夜中トイレに行こうとしたら腰が立たなくなって、母がおつかさんに何かしたのでは?と問うと父は心の中でお詫びすると立てるようになった(父がおつかさんにその日何かした覚えがあった)そうです。

たまたまでしょ?という方がいると思いますが、私はこういうことは実際あるなと思います。以来、掃除などするときは私は必ず‘’お断り”してからしています。

そして古神道(伯家神道)で学び、そのおかげでこれらのことがとっても大切なものだと後でわかりました。神様ごとが四国のお遍路文化や地域の祭り、少なくとも300年続く西条まつりと密接に結びついてることも(それまでは一イベントくらいの認識)。

 

さて、神棚そのものの起源については、古事記に次のように記されているところがあります。

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原において禊祓いをした時、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つくよみのみこと)、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が生まれます。

この時、伊邪那岐命は大変お喜びになり「自分は子をたくさん生んできたが、その果てに三柱の貴い子(三貴子)を得た」と仰せになり、自らが付けていらっしゃった首飾りを天照大御神に賜い「高天原を知らせ(治めろ)」と命ぜられました。この首飾りは、ゆらゆらと揺らすと美しい音が鳴ります。またの名を御倉板挙之神(みくらたなのかみ)といいます。御倉の棚の上に安置する神という意味です。(以上、『現代語古事記』より)

証拠は文献のみでこれまで古い遺構などは見つかっていないようですが、倉の中に棚を設けてその上に安置したことは、神棚の起源が神代に求められるのではないでしょうか。

御倉とは住居とは別棟の清浄を重んじる建物、その内部に棚を設けて神聖な首飾りを安置したこと、その場所自体を神名としたことなどが神棚に通じるように思います。

 

日本の祭典は在来、神の古来、神の形式を取っていました。1300年前、仏教が入ってきましたが、その前までは神の形式であり、本来は祝詞です。

一般的には、祖先祭祀が仏教と僧侶の手に委ねられ仏壇が成立すると、祖先以外の諸神の祭祀が必要になってきて、そこではじめは仏壇の上に板棚を設け、そこに神々の表象として諸神の神札を祀ったのです。

その神棚もしだいに形をととのえ、白木の祠殿(しでん)を奉り、場所も仏壇と離れた場所、たとえば台所や常居などの囲炉裏端や家族が集まる部屋の家長の座の背後に棚を設けて祀られるようになります。

棚は人間の起居する俗なる空間と異なって、清浄な聖なる空間を構成する装置です。

なお、ところによっては出居・座敷に祭壇を設ける例もあります。

私のように家に物心ついたときには神棚と仏壇があった人って現在では少ないんでしょうか?

 

古民家を改修した際、神棚を整え国産精麻のしめ縄を設置したお客様の言葉を紹介します。

無事お祓いしました。宮司さんに来てもらい、立派な神棚で麻しめ縄で良いですねと言われ、紙垂(シデ)をしめ縄に付けるともっと良いですと、紙垂を頂きました。自分でも良く出来たと思い、家の雰囲気が更に引き締まりました。

この方は神棚を整えた際、神社の宮司さんにきていただいた後この感想を送ってくれました。

麻の祭祀特集はコチラ

現代の暮らしにフィットした神棚もありますので、ご検討ください。

 

 

・参考文献

「家庭の祭祀辞典」西牟田崇生編著(国書刊行会)

「現代語古事記」竹田恒泰著(学研)

「イラストでわかりやすい 昔の道具百科」イラスト・中林啓治、文・岩井宏實(河出書房新社)

掃除と祓いの関係

2年前からトイレの掃除をしています(ほぼ毎日、ちなみに自宅のではありません)。

トイレ掃除の効能というか、良さはさまざまな方が言われていますね。

 

古神道では祓いが重要視されていて、「神道は祓い」といわれているのは前にもご紹介しました。

特に教わったわけではありませんが、掃除は簡単な祓いだと思います。

共通点は、するとすっきりする。気持ちがいい。

 

日本人のきれい好きというのは日本の文化とともに昔からずっと続いていることのように感じます。

これは日本人の価値観がきれい、きたないに基づいているのとも共通するからです。

ある文献によると、掃除の効能は、

周りがきれいになっていくと同時に、心の周りがきれいになっていくこと。(すなわち浄化される)

精麻のついた祓串。
精麻のついた祓串。お掃除といえばわかります?

 

「掃除を徹底すれば業績が上がる」というのもあるようですが、、

祓いは神に通じるものと思います。

掃除も神に通じるものと思います。

やってみてください。した人(続けた人)だけがわかります。(^^)

 

「まけるが勝ち」は本当か?

令和元年初日です。

新元号の「令和」が発表される10日くらい前のこと。私は中西進さんの著書「日本人の忘れもの」を手に取っていました。

以前、伯家神道・十種神宝御法の修行座で聴聞の際、中西さんのこの著書が紹介されていて名前と本のタイトルをメモしていたのですが、3年前ほど前、そのメモを再び見て、ちょっと読んでみようとはじめてこの本を手にしたんです。

パラパラッとページをめくっていくと本の最初の方に「まけるが勝ち」とあります。その時そうかもしれないとハッとし、ちょうど競争とも言える状況(争う気は一切なかったのに)に巻き込まれそうになっていた時だったので素直に負けてみることにしました。割とあっさりです。

その時はわかりませんでしたが、その選択が正しかったことが時を経るほどにわかってきた感じがしています。第一他者と争おうとしない、争わないのでカッカッすることはありません(しかし切磋琢磨していくことは変わらないです)。

 

ビジネスやスポーツなどでは勝つこと、1番になることが一般に重要視されます。

例えば、バドミントン。ラケットを使ってシャトルを打ち、競技においては相手コート内のシャトルが打ち返せないところに打つのがいいとされます。あるいは相手のミスを喜ぶこともあって、ストレート勝ちする。逆転勝ちする。それがたたえられますよね。

日本には羽根つきという遊びがあるのをご存じですか?お正月に羽子板で羽根をつき合う遊びです。いまは見かけることは少なくなっています。

羽根つきの道具
羽根つきの道具、羽子板と羽根

こちらはバドミントンと違い、「いかに2人で長くつけるか」で競争ではありません。協力するという感じ。また、バドミントンはコートの広さなどお互いの条件が平等であるに対し、羽根つきはコートなどないです。

 

羽根つきの例を挙げるまでもなく、2人でせんべいの両端を持って割ると多く取ろうと思った力が強い方が小さくなること、3.11の震災以降でしょうか年々、スポーツで以前主流だった“根性論”が薄れてきていたり、競合関係にあった会社同士が資本・業務提携するケースが多くなったりしている例が増えています。

これらはまけるが勝ちの例と思います。

「日本人の忘れもの」の中には、まけるが勝ちの他、人間を尊重する心ゆたかな社会をつくってゆくために私たちが心がけるべきことは何かが書かれています。

「令和」の元号が発表されて数日後、考案者が中西進さんではないかと報道がありました。そんなこと何も知らず「日本人の忘れもの」を手にしたのは何かあると感じます(まったく関係ないはずの他のところでも中西さんの名を拝見していたのです)。

中西さんはご存じの通り元号「令和」の典拠とした万葉集の研究で第一人者。

令和の意味は英語ではBeautiful Harmony(=美しい調和)だとのこと、令和の時代が上のような日本の文化が大切にされる世になっていくといいと思います。

香りによって邪気をはらう、日本の文化

私たちは日々の生活の中で気づかぬところで運命や健康をむしばみ、諸々の災厄をも招いていきます。

人々が知らず知らずのうちに犯し、積み重ねた罪けがれの一切をはらい清めていただく大祓(おおはらい)という神事が1年に2回、6月と12月に夏越し・年越しを恒例として昔から執り行われてきました。

大祓の人形(ひとがた)は郵送で受け付けてもらえるところもある
大祓の人形(ひとがた)は郵送で受け付けてもらえるところもある

 

さて、日本には季節の変化があって、その変わり目に元気を失うと人々は考えてきました。変化に合わせて元気を自然からいただき、1年を無病息災に過ごすには、気が弱まるときに邪気をはらい、気を充実させなければなりません。

1月7日の人日、3月3日の上巳、5月5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽の五節句の行事は、中国から渡来したものです。日本ではそれが七草がゆになり、桃の節句になり、菖蒲になり、菊の祝いになったりします。

しかし、節句には季節の変わり目にわざわざ厄払いをして元気を取り戻すという、決してめでたいばかりの日ではなくその背景に厄払いの意識があるようです。

3月3日の節句は、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、けがれをわが身になり変わって背負ってくれる人形(ひとがた)を作り、けがれといっしょに川に流してしまおうというのが雛人形のはじまりだそうです(いわゆる流し雛)。江戸時代から立派な段飾りの雛人形が生まれ女の子の祭りになりました。

また、日本人にとっての香りの文化は、西洋の香水のように人をひきつける香りばかりでなく、香りに災いをはらう役割を担わせています。

桃の節句には草餅を食べますね。草餅のヨモギの強烈な香りに邪気をはらう力があります。同じく、端午の節句には菖蒲の香り(菖蒲湯)、重陽の節句には菊の香り(着せ綿、菊酒)、〔冬至は五節句ではありませんが柚の香り(柚子湯)も同じ原理〕、節分にはイワシのにおいと、香りでもって邪気をはらうのです。

日本の神話の中に菓子の起源が語られています。

第十一代垂仁天皇の命により田道間守(たじまのもり)は常世国へ不老不死の薬を求めて旅立ちます。やがて非時香菓(ときじくのかくのみ)を得て帰りますが、すでに天皇は崩御されていました。

田道間守は非時香菓を植え、嘆きのあまり御陵(みささぎ)の前で命を絶ちました。植えた実はやがて成長し橘(たちばな)になったといいます。この橘の実が菓子の起源とされます。

田道間守の神話は和菓子の性格をよく示しています。1つは和菓子は単なる甘みではなく、不老不死の願いの表現であること、第2は和菓子の原型が果物(水菓子)であること。

元禄時代に砂糖が次第に普及し、このころから甘党、辛党の区別が生まれますが、それ以前は自然の中で手に入る甘みといえば果物がポピュラーだったようです。いずれにせよ、昔の人はやっぱり不老長寿というか、いのちを大切にしていたことがわかります。

京都など氷室(ひむろ)の節句でいただく白いういろうを三角に切って小豆あんを載せた和菓子、「水無月」もその小豆の赤い色や三角の形に魔よけの意味があるそうです。

一方、夏越祓は、夏の夕べ、人形(ひとがた)で心身をぬぐい清め、茅の輪をくぐって知らず知らずのうちに犯した罪けがれをはらって無病息災を願う神事です。

茅の輪くぐり
茅の輪くぐり(飯積神社の夏越祓)

神社の境内に露店が出てそれが楽しみだった子どものとき。人形(ひとがた)を神社前の川に流していた記憶があります。考えずにやっていたことが大事な日本の文化だったんですね。

 

「はらい」を日常の中に取り入れてみませんか。おお麻(ヘンプ)は神社のおはらいの道具に使われているのと、「神道ははらいである」「はらいは大切」と教わっているので書いてみました。

 

 

 

参考文献:

「楽苑72、73号」(SHUMEI PRESS)

「現代語古事記」竹田恒泰著(学研)

なぜ神棚をお祀りする?神棚の真の意味

神棚と精麻のしめ縄

伯家神道・十種神宝御法の修行座を何回か受け、数年経って、あるとき神職の方が私に言いました。「神棚を祀った方がいいよ」

神社へ行くと「お伊勢さまと氏神さま・鎮守さまのお神札をおまつりしましょう」(神宮司庁、神社本庁・全国神社総代会編)というお神礼のお祀りのしかたを書いた紙を見たことがあって、その知識を元に、真ん中に天照大御神(お神礼)、右に氏神神社、、ですよね?と聞くと、「そうそう」と。

日本の祭典は在来、神の古来、神の形式を取っていたのはご存じですか?後に仏教が入ってきましたが、その前までは神の形式でした。

家に神棚はありますか?なぜお祀りするんでしょうか?

 

その島に天降りまして、天の御柱を見立て八尋殿を見立てたまひき。

古事記の国生みにおいて、伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)の二神は、おのころ島の真ん中にまず「天の御柱を見立て」ます。

この御柱が暮らしの始まりの場の中心になります。この場の一番象徴的なのは神社、つまり鎮守の森です。

そして、神社の建築様式が家の建て方の思想的な基本。神社ではまず柱を象徴的に奉ります。これが伊勢神宮のご本殿の床下中央にある心の御柱です。また、いにしえの出雲大社は9本の柱で大きな社が立っています。一回り太い木を3本合わせて真ん中に心の御柱を立てる。心の御柱が中心となり、学者の推測では48メートルの高さが可能になるように工夫しました。

 

家の大黒柱という思想もそこにあります。大黒柱とは日本建築の中央部にあって家を支えている柱のこと。最近の家では見なくなっていますが他の柱より太いです。

写真は我が家の大黒柱です。

古民家の大黒柱
古民家の大黒柱

そこには先祖の魂(みたま)が宿ります。春夏秋冬、時間軸が人間として家として文化がつながっていく。自分が死んでも子どもがそれを永遠に受け継いでいきます。その根源は魂(みたま)です。魂(みたま)が働いていく。

暮らしの中で目に見えないいのちの根源の力、これを日本人は魂(みたま)と呼びます。いのちを大切にするということ、まず魂(みたま)を大切にすること。これが形ある世界では柱として表現されているのです。

人間として自分にとって大切なものはやはり、いのちではないでしょうか?

 

このように、暮らしのはじまりに柱を立て、この柱の立つ場が神社の姿になったのが、家にある神棚です。

神棚の真の意味は、天の御柱から出発をした天地自然の中に、自分が人間として健全に生きていくんだ、この天地自然のいのちの御柱から離れて生きていけないんだという目印、目標なのです。

おお麻(ヘンプ)と神棚のある生活
会社の神棚と精麻のしめ縄

 

おお麻(ヘンプ)と神棚のある生活
家庭の神棚と精麻のついた幣

 

改装した古民家の神棚と精麻のしめ縄
改装した古民家の神棚と精麻のしめ縄

その場にあったやり方でお祀りしませんか?(現代の暮らしにフィットした神棚もあります)

 

身を修め家を斉(ととの)えんと思う者は、まず、天照太神の徳を尊び、朝夕拝し奉るべし。(中略)朝夕怠りなく修め勤むるときには、必ず家斉い、身修まるべし。(『神道唯一問答書』)

 

 

参考文献

「みそぎ第十四号」(伯家神道)

「日本人の忘れもの1」中西進著(ウェッジ文庫)