美の基準

「美しいということは、その分だけ神に近いということだ」

これは10年以上前に読んだ司馬遼太郎著「竜馬がゆく」の中の一文です。〔(一)「寅の大変」の章で出てきます〕

名言!と思ったことを思い出します。

私は20代のとき、ある方の「本物を見なさい。本物を見続けていたらだんだんわかってくる」という話を聞き、ホントかなと思いながらなるべく展覧会などへ行き、“本物”と思われるものを見たり聴いたりしてきました。

その頃は香川県に住んでいたので例えば金刀比羅宮(表書院、奥書院)、直島家プロジェクト、香川県立ミュージアム(円空展、創建1200年記念「空海誕生の地 善通寺」展、流政之展)、東儀秀樹コンサート、玉藻能公演、猪熊弦一郎現代美術館(各種特別展)、東山魁夷せとうち美術館(開館記念展他)、ジャーパンファンライブ、東京国立博物館(土偶展、阿修羅展)、「神代音絵巻~むすひ~」コンサートなど行きました。

最初はよくわかりませんでしたが、そのうちこれいいなとか、これ好きと思うものが出てきたように思います。そうすると、次コレ行きたいとかなってきて、、

それが何年かぶりにMIHO MUSEUM(滋賀県)を訪れた際、それが同館の20周年記念展(2017年)で、自分が本物と思って見てきたものが古美術とか古代美術といわれるものが多いことに気づいたんです。

僕は「美しいものは自然物に近い」とも思っています。

これは『美術手帖』2019年4月号、特集「100年後の民藝」の月森俊文氏(日本民藝館職員)と青柳龍太氏(現代美術家)の対談での青柳氏の言葉。

この対談で、現代のものより古いものの方がすごいという話が出ています。前から私もそうだと薄々思っていました。

焼き物でも、桃山より室町のほうが美しいし、室町は鎌倉に太刀打ちできない。古い時代のものほど優れている場合が多い。ある時代には醜いものが一切ない場面も見られます。でもそれは言葉では伝わらない。まず「上代の作はすごいなあ」と体験することが大切。(月森氏)

さらに月森氏は、上代の作物が美しい理由のひとつはつくった人間が我々より自然に近いからでしょうと指摘しています。

そうかもしれません。

彼らは風の匂いで天候を察知し、五感を超えた感覚や気配で危機を回避するような力を持っていたと思います。そういう人たちがつくり手だった。つくられたものを見ると、自然が人間を使って生ませた、と言いたいくらいです。(月森氏)

「形の素」赤木明登・内田鋼一・長谷川竹次郎著の3者の対談で赤木氏(輪島塗塗師)はこう語っています。

でも竹次郎さんの言うとおりで、形って連続性があると思います。そのDNAみたいなものがずっと繋がっていて、その流れの中に自分がいるということが重要。その道筋みたいなものが見えてくるのが、古いものを見ている上では大事なんじゃないかと思うのです。

ただ、こうしてぼくらが選んだものを改めて見てみると、生活工芸ではなく、呪術工芸と言えるかもしれないですね。祭祀や呪いのほうに向かっている(笑)。この20年くらい「生活工芸の時代」なんて言われて、鋼一ちゃんとぼくは、その代表格みたいに思われているけどね。おそらく2人ともにその場所にも違和感を抱えてきた。生活工芸と言われているものもそろそろ衰退期に入っているし。新しい何かがもう始まっているんだよ。

近年、民藝や伝統工芸が見直されてきているのも上記の指摘のように本質を求める“原点回帰”の流れで当然のことなのかもしれないです。

人によって美しいと思うものは違う。それはもちろんそうだと思います。今回は美の基準ということで思っていることをまとめてみました。

参考文献:

「竜馬がゆく」司馬遼太郎著(文春文庫)

「美術手帖」2019年4月号(美術出版社)

「形の素」赤木明登・内田鋼一・長谷川竹次郎著(美術出版社)

なぜ神棚をお祀りする?神棚の真の意味

神棚と精麻のしめ縄

伯家神道・十種神宝御法の修行座を何回か受け、数年経って、あるとき神職の方が私に言いました。「神棚を祀った方がいいよ」

神社へ行くと「お伊勢さまと氏神さま・鎮守さまのお神札をおまつりしましょう」(神宮司庁、神社本庁・全国神社総代会編)というお神礼のお祀りのしかたを書いた紙を見たことがあって、その知識を元に、真ん中に天照大御神(お神礼)、右に氏神神社、、ですよね?と聞くと、「そうそう」と。

日本の祭典は在来、神の古来、神の形式を取っていたのはご存じですか?後に仏教が入ってきましたが、その前までは神の形式でした。

家に神棚はありますか?なぜお祀りするんでしょうか?

 

その島に天降りまして、天の御柱を見立て八尋殿を見立てたまひき。

古事記の国生みにおいて、伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)の二神は、おのころ島の真ん中にまず「天の御柱を見立て」ます。

この御柱が暮らしの始まりの場の中心になります。この場の一番象徴的なのは神社、つまり鎮守の森です。

そして、神社の建築様式が家の建て方の思想的な基本。神社ではまず柱を象徴的に奉ります。これが伊勢神宮のご本殿の床下中央にある心の御柱です。また、いにしえの出雲大社は9本の柱で大きな社が立っています。一回り太い木を3本合わせて真ん中に心の御柱を立てる。心の御柱が中心となり、学者の推測では48メートルの高さが可能になるように工夫しました。

 

家の大黒柱という思想もそこにあります。大黒柱とは日本建築の中央部にあって家を支えている柱のこと。最近の家では見なくなっていますが他の柱より太いです。

写真は我が家の大黒柱です。

古民家の大黒柱
古民家の大黒柱

そこには先祖の魂(みたま)が宿ります。春夏秋冬、時間軸が人間として家として文化がつながっていく。自分が死んでも子どもがそれを永遠に受け継いでいきます。その根源は魂(みたま)です。魂(みたま)が働いていく。

暮らしの中で目に見えないいのちの根源の力、これを日本人は魂(みたま)と呼びます。いのちを大切にするということ、まず魂(みたま)を大切にすること。これが形ある世界では柱として表現されているのです。

人間として自分にとって大切なものはやはり、いのちではないでしょうか?

 

このように、暮らしのはじまりに柱を立て、この柱の立つ場が神社の姿になったのが、家にある神棚です。

神棚の真の意味は、天の御柱から出発をした天地自然の中に、自分が人間として健全に生きていくんだ、この天地自然のいのちの御柱から離れて生きていけないんだという目印、目標なのです。

おお麻(ヘンプ)と神棚のある生活
会社の神棚と精麻のしめ縄

 

おお麻(ヘンプ)と神棚のある生活
家庭の神棚と精麻のついた幣

 

改装した古民家の神棚と精麻のしめ縄
改装した古民家の神棚と精麻のしめ縄

その場にあったやり方でお祀りしませんか?(現代の暮らしにフィットした神棚もあります)

 

身を修め家を斉(ととの)えんと思う者は、まず、天照太神の徳を尊び、朝夕拝し奉るべし。(中略)朝夕怠りなく修め勤むるときには、必ず家斉い、身修まるべし。(『神道唯一問答書』)

 

 

参考文献

「みそぎ第十四号」(伯家神道)

「日本人の忘れもの1」中西進著(ウェッジ文庫)

古神道的な視点からみた日本と西洋の文化のちがい

日本を訪れる外国人観光客は、和食がユネスコ無形文化遺産に登録された2013年に1000万人を越え年々増加、2018年には3000万人を突破しました〔日本政府観光局(JNTO)調べ〕。

2020年には東京オリンピックが予定されており、さらに増加することが予想されます。

外国人観光客が増えると、私たち日本独自のものとは何?と考えますね。私が感じる日本と西洋のちがいをご紹介したいと思います。

・多神教⇔一神教

日本は多神教、八百万(やおよろず)の神で、水の中には水の神、木の中には木の神がいるというように、ありとあらゆる自然物に神様がいると考えます。例えば、神社のご神木にしめ縄が巻かれているのはご存じですね。

小千命お手植えの楠(樹齢2600年、大山祇神社)
小千命お手植えの楠(樹齢2600年、大山祇神社)

それに対してキリスト教は一神教です。

 

・なるようになっていく、なるべくして、なる(かむながら)⇔ナニナニすべき

日本は、「かむながら」の精神で、(神の御心のままに)なるようになっていく、なるべくして、なるという考え方です。

一方、西洋は非常に目的志向が強い、ナニナニすべきと、思想や理念に頼り相手を説得していこうという啓蒙主義的な考え方です。

 

・きれいきたない(伊邪那岐命のミソギ)⇔善悪(アダムとイブ)

日本人はきれい、きたないを大切にします。古事記において伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は黄泉の国から帰ってケガレを洗い流すためにミソギをします。それから、人をののしるとき「きたねーゾ」と言う人もいます(笑)。

西洋は前述のごとく、~すべき、~してはいけないと善悪を大切にします。

 

・型(作法、祭り、伝統行事など)⇔論理(ナニナニすべき)

日本は「型」を大切にし、型で伝承されます。芸道でもそうでしょう?その型の中に大切なものがすべて詰まっているように思います。

そういう目で見ると、地域の祭りや伝統行事は、型が伝承され子々孫々まで伝わっていきます。300年続いている地元の西条まつりを以前にも増して大切にしたいと思うようになりました。

京都・祇園祭の大船鉾(2014年、150年ぶりに復活)
京都・祇園祭の大船鉾(2014年、150年ぶりに復活)

対して、西洋は論理(ナニナニすべき)で伝達されます。

 

・水平的(動作、作法)⇔垂直的

弓道(弐段)の体験もありますのでわかるのですが、日本の作法は水平的ですよね。流れるような感じで動いていきます。対して、西洋の格闘技、ボクシングなどは動きが激しく、また上下(垂直的)のフットワークで相手に対しようとします。他にも例がありそうです。

 

・はらう(引き算)⇔付加・盛る(足し算)

はらうと言えば、やはりまず思い浮かぶのは神社の「お祓い」でしょう。

お祓いにつかう祓串(国産精麻がついたもの)
お祓いにつかう祓串(国産精麻がついたもの)

伯家神道も祓いを大切にします。体験者はうなずきますね。^^

他にも日本人にとって香りは、西洋の香水のように人をひきつける機能よりも、邪気をはらう方が目的です(これは別のところで紹介させていただこうと思います)。

 

・言霊(母音、子音+母音)⇔言葉

日本には言霊という思想があります。私は祝詞の中でも身曾岐祓を唱えるととても気持ちよく感じます。またはじめて聞いたとき子守歌のようだと思いました。

なんとなれば日本語はすべて母音が伴っているからなんですね。それから何気なく使っている日本語だけでなく、日本語の古語、大和言葉にも興味を持つようになりました。

対して英語は、議論、討論、そういうのに非常にいいですが、気持ちを伝えるとかニュアンスを伝えるのは不向きとされます。

 

・自然順応・尊重⇔自然克服

日本は自然を大切にします。

神というものは植物、花、いろいろなものの中にあまねく存在しているというのが日本人の自然観、目の前にあるひとつ1つが神、命とすればなおさらです。

私たちの食生活というのは実は神様と私たちの出会いなんです。

西洋は自然はものですから都合のいいように破壊していきます。

 

・和(全体、一元)⇔分離(個)

日本人が和を大切にするというのはご存じのとおりです。すべて同じ命ですしすべてがつながっているんですから。

障子や欄間は空間を完全には遮断してません。1つの空間としてみているんですね。

 

 

私は、20歳過ぎても西洋がすばらしく日本はダメと考えてきました。「ここがヘンだよ日本人」というTV番組もありました。日本の音楽よりも洋楽をよく聞いていたし、目の前のものは「もの」でした。

ところが、知人のすすめで伯家神道・十種神宝御法の修行座を受け、学ぶうちに日本の文化はすばらしいと思うようになりました。高校時代、弓道をした体験(弐段)と相まって日本を見直しました。

自分が気づいたことを伝えたい、古神道で重要視されている祓いといえば、おお麻(ヘンプ)だと思い、今日のさぬきいんべがあります。

再び、日本的なものが注目されている時代。2012年は古事記編纂1300年の節目でした。

来る2020年は東京オリンピックの年だけでなく、日本書紀が完成してから1300年の節目です。

 

 

参考文献:

「みそぎ」(伯家神道)

「ヘンプ読本」赤星栄志著(築地書館)

3.11後、身近に聞いた話から

2011年3月11日、私は介護施設で介護の仕事をしていました(こちらで書いている「考えていた期間」)。

施設内のテレビに映る津波とレポーターの声に「えっ何?」というような感じで見ていました。そして、知っている東北地方に住んでいる人たちは大丈夫かなと。

震災当時、福島県に住んでいた人が以前勤めていた会社の後輩にあたり、毎年年賀状を出すだけはしていました。

翌年1月の後半くらいだったと思います、遅れて年賀状のお礼が届いたんです。

無事だったんだと読んでいくと、地元の香川に地震直後に子どもと一緒に避難、旦那さんは仕事でいわき市にいるとのこと。

さらに福島県の自宅は無事だった、、これには伏線があり、私が前に地質関係の仕事をしていたとき、家を建てるときは地盤の固いところにという話をしたようです(どんな感じで伝えたかはあまり覚えていないです)。

この時はこのことが良いことか悪いことなのかわかりませんでした。

昨年そういえばと再びこのお礼のことを思い出し、住んでいたところの当時の地震の震度を調べてみると、震度6弱。

震度6弱というと、、、

3.11の翌年、当時福島県に住んでいた人から届いた年賀状
3.11の翌年、震災当時福島県に住んでいた人から届いた年賀状

このお礼をいただいた年の6月、私は、さぬきいんべの活動を再開しました。

振りかえるとやっぱりあの震災をきっかけに共生と循環の方向に大きくシフトしたと思います。

日本の文化、伝統、手仕事、職人、民藝、麻のこともそうです、年を追うごとにメディアで見る機会が増えていませんか。

また、日本を訪れる外国人観光客は、和食がユネスコ無形文化遺産に登録された2013年に1000万人を越え年々増加、2018年には3000万人を突破しました〔日本政府観光局(JNTO)調べ〕。

あの東日本大震災からちょうど8年。あのときからガラッとさまざまなことが変わってきたと思うのです。

あのとき三木さんからうかがったこと

2019年11月14~15日に予定されている新天皇即位後の大嘗祭(だいじょうさい)に向けて麁服(あらたえ)を調進する阿波忌部直系、三木信夫さん。

私は神社仏閣用麻製品を調製する山川(京都)の山川正彦さん(5代目)らと2015年5月24日に徳島県木屋平の三木家住宅(国の重要文化財)を訪れました。(そのときのことはこちらに書いています)

三木家住宅
入口土間から見たお座敷

そのとき、三木さんからお座敷でうかがった貴重なお話(一部)をご紹介したいと思います。

・麁服の「あら」とは、向こうが透けて見えるという意味がある。

・今上(平成)天皇の大嘗祭に調進した麁服は、群馬県岩島産の種から栽培したもの。(栃木県産の品種、トチギシロも栽培したが繊維が硬かった)

・古語拾遺は、皇室のバイブルになっていると皇室の方が言っている。なぜなら、いろいろことが細かに書かれているから。

三木家住宅
座敷の壁にかかるお額

京都から?と三木さん最初驚かれていましたが、山川さんが麻のしめ縄、鈴緒をつくる職人とわかるといい麻をつくる麻農家さんを紹介くださったり、さらに連絡先を教えてくださったりしました。

三木家住宅前(徳島県木屋平)
東宮山~天行山方面。手前は斎麻畑の跡。

「2004年に4町村合併で『麻植郡』が消滅した。これを後悔する人たちも増えている。兵庫県の篠山市が丹波篠山市への変更を問う住民投票が賛成多数で成立した例もある。麻農業が誇れる文化だと地域住民に浸透していけば、自然と地名を変えようという動きにつながってくるのではないかと期待している」(日本経済新聞記事より、三木さん)

麻の文化や織物の技術を伝承し、再興することが地域活性化につながると思うのは三木さんだけでないと思います。

 

参考文献:

・「古語拾遺」斎部広成撰、西宮一民校注(岩波書店)

・「日本の建国と阿波忌部」林博章著

大嘗祭の麁服(あらたえ)調進準備 三木信夫さん(日本経済新聞)

大嘗祭の麁服調進 徳島・山川町の山崎忌部神社氏子ら、機運盛り上げへ協議会(徳島新聞)

・国指定重要文化財三木家住宅パンフレット(美馬市・美馬市教育委員会)

さぬきいんべ、今までの失敗を振りかえる

これまでたくさん「失敗」してきました。そんなときは「もうダメだ」と思うんですね。その度ごとに落ち込みました。

・一番落ち込んだのが1年目。創業準備段階から注文をいただいてヨシと思ったものの一から始める難しさをとことん味わい、さらに「この商品を売りたい!」と創業のきっかけとなったヘンプ衣料の開発元の会社経営者らが逮捕。閉店を決意した。(→その後、故郷の西条市へUターン。改めて考え、やり切れてないことがあるように思ったのと偶然が重なりその1年後に活動再開、現在に至る)

・それまで世になかったヘンプのショーツの販売にこぎつけ、販売開始後すぐお客様から糸がほつれたとクレーム、回収。製作者が服飾の専門学校を出た方だったので信用していた。テストが足りなかった。

・オリジナルのヘンプの服を作りたいと、試作、販売段階まで行き、デザインもいい、売れると思った矢先、製作者が撤退し頓挫。

・ご縁いただいたのと熱意で、国産の手績み大麻糸と手挽き絹糸の手織物を販売。見受ける価値の割に1年余りで1つしか売れなかった。

・創業のきっかけとなったヘンプ衣料(経済産業省ものづくり大賞受賞の織り職人がつくっていた)がやっぱり魅力的だったので、仕入れ再開。2年余りして開発元の会社役員が2度目の逮捕。さすがに2度目はないと思っていた。〔→その時は即取引停止。販売するものがほぼ無くなりましたが、ほどなくしてこのことは何も知らないはずの玉造りしている青舟さんが京都の麻縄職人、山川正彦さん(五代目)を紹介してくださり道が開ける〕

ヘンプ布ナプキン(現在は製造中止)
ヘンプ布ナプキン(現在は製造中止)
ヘンプルームウェアー(現在は製造中止)
ヘンプルームウェアー(現在は製造中止)

 

 

 

 

 

 

 

他人の失敗談、おもしろいでしょう?(まだ他にもあります)

いま言えるのは、継続は力ということです。

すべてつながっている、麻と火と神

こちらで伯家神道について書きました。いろいろなことが神様を大切にしているのは想像できると思います。

修行座の最初に「潔斎」の作法を教わりますが、まず火の神様の名を唱えるのです(その後、火打ち石を用いて潔斎、ちゃんと作法があります。特に神具・アクセサリー類は清浄であることが重要と考え、潔斎してからお客様へお届けしています)。

潔斎に用いる鎌と火打ち石
潔斎に用いる鎌と火打ち石(携帯用袋とともに)

火の神様は古事記では「神生み」条で火之夜芸速男神(ひのやぎはやおのかみ)、または火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)として登場します。

遠くはるかな昔、男の神と女の神がいらした。男の神を伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、女の神を伊邪那美命(いざなみのみこと)といった。そのころ大地は、かたまったばかりであったから、ふたりの神は、たくさんの神々を生み、国づくりをすすめていた。

ところが火の神をお生みになった時、伊邪那美命(妻神)はおおやけどをしてお亡くなりになる。

愛媛民芸館には囲炉裏(いろり)があります。実際使っているのを見ました。茶道経験者いわく茶道では炭手前というのがあるそうで、バーベキュー用の炭と違いバチバチ燃えるのではなく、品のある燃え方をしていました。(私はお相伴にあずかれませんでしたが、1月に上に網をしいて来られていた方に切り餅を焼いてふるまったそう)

炭火
いろりの炭火(愛媛民芸館)

ところで最近、家から「火」が無くなっています。そうです。オール電化にともなうIH調理器の普及です。

そういえば火のつけ方(消し方)を知らない子どもがいるという話を聞いたことありました。

私の家では台所に荒神さん(カマドの神)を祀っていました。昔の人は火を大切にしていたんですね。

愛媛民芸館へ行くと、昔の人が何を大切にしていたかがわかります。

さぬきいんべはモノだけでなく神様を、大麻(ヘンプ)だけではなく他のものも大切にしたいと思います。なぜならすべてつながっているのですから。

 

 

参考文献:

「現代語古事記」竹田恒泰著(学研)

「日本人の忘れもの1」中西進著(ウェッジ文庫)

国産精麻・神居(かむい)和かざり(TM)誕生ストーリー

どこにもない、オリジナルの製品が作りたい。

2014年の9月、ちょうどそうするしかないなと考えていた時、神社仏閣用の麻製品を調製する株式会社山川5代目、山川正彦さんを玉造りをしている青舟さんから紹介いただきました。

鳥取県で開催されていた麻関連のイベントで山川さんに出会った青舟さんが後日手紙を書いて私を紹介してくださったんです。山川さんから電話をいただきお話したのがご縁のはじまり。ここに至るまでに本当に苦難の連続でした。いつかお伝えできる時がくるかもしれません。

様々な話をする中で、同社が製作したミニ鈴緒を翌年はじめから販売させていただくお約束をしました。(後日試作品が送られてきました)

そして2015年。

さぬきいんべでは年頭からミニ鈴緒につづき、叶結びアクセサリーを相次いで販売し、好評を得ていました。

電話で山川さんと話をしている中で、しめ縄の話になり、「丸くしたらいいのではないか」とのご提案。その後、試作品が送られてきました。

国産大麻(精麻)・しめ縄【神居 和かざり】
国産大麻(精麻)・しめ縄「神居 和かざり」

それが神居(かむい)和かざり(TM)(写真は1号モデル)。麻(ヘンプ)を現代風に伝えたいと思っていましたので思いにピッタリでした。

あとで知ったのは、伝統的な大根型しめ縄をリース型にしたものとのこと。

山川さんから「名前をつけたらいいと思う」と言われ、それならとお客様から名前を公募、その中から選ばせていただいたのがお客様の1人が「神様が宿る輪飾り」という想いを込め名付けられた神居 和かざりです(2015年6月に命名)。

この名前を山川さんも気に入っていただけて「使っていいですか?」と問われ「どうぞ、いいですよ」とお答えしたため、その後納品書や請求書でも「和かざり」と書いてこられます。

 

一般に「輪飾り」は、飾る場所が限定されていなくてしめ縄、しめ飾りの中ではもっとも汎用性が高いといわれています。

水回り(台所、風呂、トイレなど)や勝手口、車、自転車、農機具、倉庫、窓、洗濯機、物干し竿、子どものおもちゃなど、輪飾りは日々の働きに感謝のしるしという役割がありそうです。

輪飾りを見つけたら、そこの住人がふだん何をよく使っているか、何を大切にしているのかがわかるのではないでしょうか。

 

神居 和かざりは国産精麻でできた日本ではじめての輪飾り製品です(さぬきいんべ調べ)。

その後、山川の工房を訪れ山川さん含む職人からご意見を聞きながら、神社でよく見かける色、巫女の緋袴にヒントを得た朱色版を加えました。その際にたまたま藍染めに関しての問い合わせを山川さんからいただきましたので後で日本の伝統色である藍染め版を加えて現在に至っています(朱色版と藍染め版は全体のバランスを見て“前垂れ”を無しに)。また、素材をバージョンアップし、後にさらに茜染め版とざくろ染め版を加えました。

私は生成り版をずっと仕事部屋の入口開き戸(外側)に飾らせていただいております。朱色版を玄関の開き戸に飾るお客様がいらっしゃり今風だなぁと思います。

さらに、神居和かざりに紙垂付きが登場しました。上から精麻で結びつけた「タイプA」と下部に挟み込んだ「タイプB」です。

これからも神居和かざりをよろしくお願い申し上げます。

※2015年末以降、他社から精麻の輪飾りが登場しています。最初の1つは神居 和かざりと酷似していたので山川さんにお尋ねすると「ぜんぜんちがう。途中で麻芯が無くなっています。ただ価格(仕切り)はそんなに変わらない。(他社向けは)細くなっている分使っている麻の量は変わらないので。」ということでした(麻芯は外からは見えません)。

私は麻に着目するばかりでなく、職人になりたい!という人が増えていく世の中を作りたい。生家が職人の家系、職人の息子だからでしょう。2015年春に亡くなった父の声が聞こえるようです。

 

 

参考文献:

「しめかざり」森須磨子著(工作舎)

きっとタオルが人を選んでる、へんぷのこころ

他のタオルと違い、多くの手間をかけているといわれる宇野タオルさんの健康波動タオルの1つ、へんぷのこころ

人にやさしい、役に立つタオルをお届けしたい、また地球環境の改善にも貢献したいとの願いで、綿糸の段階から30日間熟成させている安全な国産綿糸を使い、波動水を作るための各種設備や作業、限りなく薬品をカットするための時間や手間をかけています。

昨今の加工代、物流費、人件費など値上がりはご存じの通り。

それにも関わらず、販売価格は据え置き。

使った人であれば、わかるその良さ。

【健康波動タオル】へんぷのこころタオル
へんぷのこころタオル(おしぼり・フェイス・バスタオルの3種類)

「これはいい」とヘンプカープロジェクトの際、ヘンプカーに載せて販売されていたことがあるそう。

・お洗濯をしているタオルの中から、わざわざ「健康波動タオル」を抜き取り、主人や子供が喜んで使っています。

・神経がぴりぴりするような時、タオルを頭に敷いたり、顔にかけると、神経が安らぎ、よく眠れました。

・洗っているうちに硬くなってしまうタオルが多いけれども、このタオルはいつまでも柔らかく使いやすいです。

・コーヒー・紅茶・水・酢の物など、タオルの上に置くと味がまろやかになり、美味しくなります。外食の時には、いつも持っていきます。

宇野タオルさんの直営店レインボーハンズへ行って宇野さん夫妻とお話し、きっとタオルが人を選ぶんだと思いました。(人間を基準に表現すれば“引き寄せられる”)

健康波動タオルが生まれて今年で24年になるそうです。

宇野タオルさんの思いがつまった、へんぷのこころタオルを今後ともよろしくお願いいたします。<(_ _)>

Facebookでの情報発信もされています。

宇野タオル(レインボーハンズ)Facebookページ

 

おしぼりサイズ、神棚のお掃除にいかがでしょう?

やっぱり気になる四国に大麻山が3つあること

善通寺・大麻山へ向かう登山道より丸亀平野を望む

-四国には3つ大麻山がある。

20年以上前のこと。私は香川県民でした。当時勤めていた会社の人から香川・善通寺市の大麻山(おおさやま、標高616.3m)山頂に「GW頃見ごろになる桜(ボタンザクラ)がある」と聞き、それを見ようと大麻山に登りました。

この頃はまったく意識していませんでした。

その後十数年して、その標高約405mにある野田院古墳へ行くとはつゆ知らず。

国道32号線から見た琴平山~大麻山方面
国道32号線から見た琴平山~大麻山方面の夕景

山の名は、この周辺が古代に麻の生産地であったことに由来しています。(善通寺市デジタルミュージアム 大麻山より)

この大麻山の東麓に忌部氏の祖神、天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀った大麻神社が鎮座しています。

その後、神社含む古神道に関心を持ち始めた2005年に徳島・大麻比古神社の背部に形造られる大麻山へ(標高538m)登りました。頂上には奥宮・峯神社が鎮座しています。2008年頃、大麻比古神社へ立ち寄った際もう1回登ったと思います。

古くはこの大麻山は船舶航行の目印とされ、頂上に猿田彦大神が祀られていました。後に大麻比古神社に合祀されましたが、その信仰は今も息づいています。

2014年、金刀比羅宮ならびに奥社・巖魂神社にお参りしたその足で、善通寺・大麻山の龍王社へ。ある方から「最近、龍王社あたりが明るくなっている」と聞いたのでした。周辺には「上代噴気孔遺址 龍王池」の石碑があります。

善通寺・大麻山に鎮座する龍王社
善通寺・大麻山に鎮座する龍王社

 

善通寺・大麻山へ向かう登山道より丸亀平野を望む
善通寺・大麻山へ向かう登山道より丸亀平野を望む

そのすぐ後、小豆島の磐座を紅雲亭一葉さんのご案内で巡った際に、地区名の由来となっている大石「黒岩さん」のある黒岩地区から大麻山(太麻山、標高427.2m)を遙拝しました。小豆島の大麻山の山容は鷲が羽を広げたように見えませんか?

小豆島黒岩地区より見た大麻山
小豆島黒岩地区より見た大麻山(太麻山)

紅雲亭さんによると、小豆島の大麻山は応神天皇が麻布を振ったとの伝承があるとのことでした。

四国の3つの大麻山。地図上で線を引いて“トライアングル”と表現している方もいますね。

四国は始国(しこく)。そう聞いたのが確か2006年でした。日本神話の「国生み」において、四国は淡路島に次いで2番目に伊予二名島(いよのふたなじま)として生まれました。

神世とはふるきむかしの事ならず今を神世としる人ぞかみ(井上正鐵)

 

その通りそうなっている気がしてなりません。

 

 

参考文献:

「週間日本の神社No.67忌部神社・大麻比古神社」(デアゴスティーニ)

「阿波一宮大麻比古神社御由緒畧記」パンフレット