伊勢神宮を創建された倭姫命を祀る倭姫宮ご鎮座から100年を過ぎて

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昨年2023年は、伊勢神宮を創建された倭姫命(やまとひめのみこと)を祀る倭姫命宮が創建されてから100周年でした。

倭姫宮が別宮としてご鎮座、創建されたのは1923年11月で、新しい宮です。

 

老齢で衰えた豊鋤入姫(とよすきいりひめ)に代わって、第11代垂仁(すいにん)天皇の第4皇女、倭姫命が御杖代(みつえしろ、神や天皇の杖代わりとなって奉仕する者)となり、大和国から伊賀、近江、美濃、尾張を経て、伊勢の国に入ったところで、天照大御神が神託を与えられました。

この神風(かむかぜ)の伊勢の国は、常世の浪の重浪帰(しきなみよ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うまし)し国なり。この国に居(お)らむと思ふ。

倭姫命は、この神託を得て現在の場所、宇治の五十鈴川のほとりに伊勢神宮内宮を創建したといいます。

後に市民らの働きかけで倭姫宮の創建につながったそうです。

 

倭姫が伊勢神宮を建立するまでに、天照大御神のご神体、八咫鏡(やたのかがみ)を順次奉納した場所は元伊勢と呼ばれます。

記紀の神話では、倭姫命はその後、伊勢の斎宮として朝廷の安寧を祈りつづけました。

後に東征に向かう日本武尊(やまとたけるのみこと)は倭姫命の甥にあたり、倭姫命は日本武尊に天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、別名:草薙剣)を与えました。

 

神道の源流をたどると、縄文文化に行きつくといわれます。

縄文文化は、たとえば、四季の移り変わりに則して緻密な狩猟・漁労・採集スケジュールを組み、それに基づいた秩序ある平和な暮らしを営んでいたこと、高度な精神文化を持ち世界観を表現する記念物もつくっていたようです。

しかもその時代がおよそ1万年以上にわたってつづいていたのです。

太古の精神は神話や風土記の形で語り継がれ、後世に残されてきています。

 

 

 

・参考文献

「図解巫女」朱鷺田祐介著(新紀元社)

「現代語古事記」竹田恒泰著(学研)

「神道の源流」吉川竜実著(Total health design)