神棚の起源の謎

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以前、なぜ神棚をお祀りする?神棚の真の意味という記事を紹介させていただきました。ここでは神棚そのものの起源について紹介させていただきます。

その前に自身の体験話から。(^_-)

私の家には神棚も仏壇も物心ついた時にはありました。特に祖母が毎日夕飯前に仏壇の前で般若心経をあげていたのが記憶に残っています。祖母ができなくなるとその後、母がそれをするようになりました。(お彼岸、お盆などに御霊供膳をお供えなども)

また、家の敷地内に「おつかさん」というのがあり、現在もお祀りされています。住んでいるところ一帯には、このおつかさんが所々にあります。天正の陣(1955年)の際、行き倒れになった武将を祀るものという話を聞きますが定かではありません。後にこのおつかさんが辰巳大神という名があるのがわかりました。

祖父があるとき、おつかさんに無礼をしたことがあったそうです。そうしたら足にミミズ腫れができたと聞いています。それから2001年ごろのことですが、父が夜中トイレに行こうとしたら腰が立たなくなって、母がおつかさんに何かしたのでは?と問うと父は心の中でお詫びすると立てるようになった(父がおつかさんにその日何かした覚えがあった)そうです。

たまたまでしょ?という方がいると思いますが、私はこういうことは実際あるなと思います。以来、掃除などするときは私は必ず‘’お断り”してからしています。

そして古神道(伯家神道)で学び、そのおかげでこれらのことがとっても大切なものだと後でわかりました。神様ごとが四国のお遍路文化や地域の祭り、少なくとも300年続く西条まつりと密接に結びついてることも(それまでは一イベントくらいの認識)。

 

さて、神棚そのものの起源については、古事記に次のように記されているところがあります。

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原において禊祓いをした時、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つくよみのみこと)、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が生まれます。

この時、伊邪那岐命は大変お喜びになり「自分は子をたくさん生んできたが、その果てに三柱の貴い子(三貴子)を得た」と仰せになり、自らが付けていらっしゃった首飾りを天照大御神に賜い「高天原を知らせ(治めろ)」と命ぜられました。この首飾りは、ゆらゆらと揺らすと美しい音が鳴ります。またの名を御倉板挙之神(みくらたなのかみ)といいます。御倉の棚の上に安置する神という意味です。(以上、『現代語古事記』より)

証拠は文献のみでこれまで古い遺構などは見つかっていないようですが、倉の中に棚を設けてその上に安置したことは、神棚の起源が神代に求められるのではないでしょうか。

御倉とは住居とは別棟の清浄を重んじる建物、その内部に棚を設けて神聖な首飾りを安置したこと、その場所自体を神名としたことなどが神棚に通じるように思います。

 

日本の祭典は在来、神の古来、神の形式を取っていました。1300年前、仏教が入ってきましたが、その前までは神の形式であり、本来は祝詞です。

一般的には、祖先祭祀が仏教と僧侶の手に委ねられ仏壇が成立すると、祖先以外の諸神の祭祀が必要になってきて、そこではじめは仏壇の上に板棚を設け、そこに神々の表象として諸神の神札を祀ったのです。

その神棚もしだいに形をととのえ、白木の祠殿(しでん)を奉り、場所も仏壇と離れた場所、たとえば台所や常居などの囲炉裏端や家族が集まる部屋の家長の座の背後に棚を設けて祀られるようになります。

棚は人間の起居する俗なる空間と異なって、清浄な聖なる空間を構成する装置です。

なお、ところによっては出居・座敷に祭壇を設ける例もあります。

私のように家に物心ついたときには神棚と仏壇があった人って現在では少ないんでしょうか?

 

古民家を改修した際、神棚を整え国産精麻のしめ縄を設置したお客様の言葉を紹介します。

無事お祓いしました。宮司さんに来てもらい、立派な神棚で麻しめ縄で良いですねと言われ、紙垂(シデ)をしめ縄に付けるともっと良いですと、紙垂を頂きました。自分でも良く出来たと思い、家の雰囲気が更に引き締まりました。

この方は神棚を整えた際、神社の宮司さんにきていただいた後この感想を送ってくれました。

麻の祭祀特集はコチラ

現代の暮らしにフィットした神棚もありますので、ご検討ください。

 

 

・参考文献

「家庭の祭祀辞典」西牟田崇生編著(国書刊行会)

「現代語古事記」竹田恒泰著(学研)

「イラストでわかりやすい 昔の道具百科」イラスト・中林啓治、文・岩井宏實(河出書房新社)