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愛媛県砥部焼の窯元・ひろき窯

~製作の現場をたずねて~

阿部祐工に師事、陶芸30年。砥部焼ひろき窯・多川ひろきさん

砥部焼ひろき窯

四国・愛媛県の中央、焼き物(砥部焼:とべやき)の里として知られる砥部町。

町の中心部から少し車を走らせた団地、砥部焼の窯元、ガラス工房やギャラリーが点在する陶里ヶ丘(とうりがおか)にある「ひろき窯」へ2018(平成30)年4月6日に訪ねました。

ひろき窯の多川ひろきさんは、阿部祐工(祐工窯)に弟子入りし1994(平成6)年に独立、今年陶芸歴30年を迎えます。

母親が松山市内で古い手仕事のお店をしていたのが入門のきっかけとのこと。阿部祐工氏は民藝運動の影響を受けた方でそれを引き継ぎ、精力的に仕事されています。


陶器から磁器製作へ転換、平成28年度日本民藝館展で入選

「砥部で仕事をしているから磁器をやりたい」という思いで、2015年に陶器から磁器づくりへと移行。最初は縁の厚さなど細かな部分のちがいに慣れるのに時間がかかったそうですが、それを克服し平成28年度日本民藝館展で入選するなど今は軌道に載っておられます。

少し作業風景を見させていただきました。鎬(しのぎ)を工具を使って加工していきます(工具は自作したり、購入したりしているそう)。

鎬は陶器づくりをしている時からされていて今や、ひろき窯のトレードマークともいえるものになっています。1つひとつ慣れた手つきで均一に加工されていくのを見ると職人技だと思います。

砥部焼ひろき窯(鎬加工前)
鎬(しのぎ)加工前の器たち。加工したら素焼き工程へ。



砥部焼ひろき窯(鎬加工中)
鎬加工中の多川さん。慣れた手つきです。



《砥部焼を育てた陶芸家たち》
・梅野 武之助さん(1921~1999年)

戦後、砥部焼は大きく変わったと言われている。さまざまな要因はあるが、そのきっかけとなったのは、昭和28年(1953年)5月23日、民芸運動の指導者である柳宗悦が砥部を訪れたことによる。その目的は、工業製品との競争のため荒廃しつつある日本の伝統工芸の現状を視察するためであった。

この時、イギリスの著名な陶芸家バーナード・リーチ(※1)も同行していた。二人が訪れた窯の中に梅野精陶所(梅山窯)があり、以来、砥部が迎えた指導者たちは、社長の梅野武之助さんと大きなかかわりをもちながら、陶工たちを指導していった。

梅野さんは、兄二人が戦死したため昭和21年に家業を継いだ。当時、砥部には窯元が8軒、資本力も技術力もないドン底の時代だった。柳宗悦が訪れた昭和28年には、戦争で途絶えていた貿易が再開され、梅山窯も9室の登り窯でビルマ(現ミャンマー)向けの「伊予ボール」を大量に焼いていた。このころの砥部は、食器の絵付けが型ずりで、絵筆が持てる人、図案が描ける人がほとんどいない産地であった。

柳宗悦の紹介で砥部にきた浜田庄司(昭和30年〔1955年〕、民芸陶器によって国の無形文化財技術保持者「人間国宝」となる)は、砥部焼の振興を図る上で民芸派で図案ができる鈴木繁男を推薦(すいせん)している。さらに砥部焼の発展にとって幸いしたことは、昭和31年、近代陶芸の基礎を築き色絵磁器によって国の無形文化財技術保持者「人間国宝」になった富本憲吉が砥部を訪れたことである。この縁によって澤田犉が梅山窯に入社し、昭和34年には藤本能道を県の嘱託として推薦している。藤本も後に、色絵磁器によって国の無形文化財技術保持者「人間国宝」に認定されるとともに、東京芸術大学の学長となり、文字通り日本の陶芸界の第一人者となっている。

砥部の陶工たちにとって、この上ない幸せは技の伝統や伝承を重視する柳宗悦、浜田庄司の民芸運動の影響を受けながら、一方で富本憲吉、藤本能道の創作を重視する作家の影響を強く受けたことである。

砥部焼を日本の焼き物に育てあげた梅野武之助さんは、「砥部焼中興の祖」と愛媛県史に記述されている。
※1 イギリスの陶芸家(1887~1977年)。柳宗悦、浜田庄司と親交をもち、イギリスに日本風の登り窯を築く。日本の民窯の伝統的な技法を取り入れ独自の個性的な作品を制作。東洋と西洋の異なる文化を、陶磁器を通して結びつけた。
『愛媛の技と匠(平成9年度)』の一部を引用、編集


砥部焼ひろき窯(作品仮置き場)
棚には釉薬をかけて焼き上がったもの、釉薬をかける前のものが並ぶ。


砥部焼ひろき窯(作業中の多川さん)
作業中(全景)。



平成28年度日本民藝館展では審査委員から器と鎬のバランスや鎬の美しさを評価され、2作品(白磁鎬手切立鉢、片鎬手六寸皿)が入選しています。白磁に鎬というのは定番のようでなかなか難しいそうです。


絵付けせず形だけで勝負、磁器づくり転換後の今後の展望


砥部焼といえば絵付けされたものが一般的です。多川さんは絵付けの勉強もしたことがあるとか。しかし、器に絵付けするうちに「これでいいんだろうか?」と違和感を感じ、それからは形だけにこだわるようになっていったとも話されていました。

今後の展望についてうかがうと、皿の径を変えたり、新しい試みをしたいと意欲的に語られていたのが印象に残っています。(愛媛民芸館で2018年7月7日~29日まで展示即売会が予定)

多川ひろきさん(ひろき窯)の作品
作品の一例。


砥部焼の器は地元なので普通に家にあったり使ったりしていましたが、手作業でできているの目の当たりにし、また作り手の想いがこもっているのを感じ、大切にしたいと思いました。砥部焼は歴史を伝える国の伝統産業として約100軒の窯元があり多くの人々に親しまれています。多川さんは使いやすい日常の器づくりをめざしているそうです。どんな料理もきれいに映える素敵な器なのではないでしょうか。


(文責・加藤義行)



ひろき窯
〒791-2133愛媛県伊予郡砥部町五本松885-6
TEL:089-962-7623



ひろき窯さんの作品はこちら♪


高知県在住の染織作家、宮崎朝子さん

~製作の現場をたずねて~

手織り約30年、高知県在住の染織作家、宮崎朝子さん

矢井賀から見た海。

四国・高知県の中西部、海沿いの静かな集落、中土佐町矢井賀。

人口200人あまりが暮らしている海と山に囲まれた地区ですが、そこで染織作家、宮崎朝子さんは仕事をされています。

東京在住時、馬場きみ氏(「経と緯の会」主宰)に師事、1986年に手織りをはじめて約30年になる宮崎さん。

素敵な自然な風合いの作品を次々と制作されている宮崎さんの創造の場、「天の川工房」へ2015(平成27)年6月5日にお邪魔させていただきました。


自然に寄り添う暮らし、染色に用いる植物は近場で調達

宮崎さんは、ここ矢井賀に移住して15年以上。古民家風の家を自宅兼工房としています。

自然豊かな印象の矢井賀地区ですが、染色に用いる植物はほとんど近場で調達しているそう。また現在、藍(タデアイ)や日本茜などは家のすぐ近くの畑で栽培しておられます。

かまど。
植物染料を煮出すのに使用するカマド。



台所には昔ながらのカマドがあり、以前からあったものを復活させ植物染料を煮出すために使用しているそうです。カマドは、おき火ができるため弱火で長い時間、抽出でき、たいへん重宝しているとのことでした。(天の川工房の布は、糸の状態で染める“先染め”の糸で織ります)

《天の川工房の草木染め》
天の川工房では環境・安全性を配慮したモノ作りをしています。
媒染剤(色止め・発色用)・助剤等に劇薬は一切使用していません。

・アルミ媒染/酢酸アルミ(ミョウバンより糸を傷めない)
・鉄媒染/おはぐろ液(古釘をお酢で煮た自家製鉄液)
・銅媒染/銅片を酢酸につけた自家製銅液
その他、植物により酢・灰汁使用。

工程1《染液作り》
     (1)植物をハサミ等で細かく切って鍋に入れる。
     (2)水を入れて火にかける。
     (3)沸騰まで時間をかけ(1時間くらい)、沸騰後も40分以上煮出す。
     (4)ざるで漉してバケツまたは他の鍋に染液を移す。
     (5)ざるに残った植物を鍋に戻し、水を入れて再び火にかける。
     (6)この作業を繰り返し、最低3回は染液を取る。
     (7)3回分を一緒にして冷ます。
 《染め》(1)あらかじめ水に浸しておいた糸または布を軽く脱水し、染液に入れる。
     (2)時々混ぜながら1時間くらいかけて沸騰させ、そのまま一晩置く。
 《媒染》(1)媒染剤をぬるま湯で溶かし、染めたものを軽く絞って浸す。(20分)
     (2)水でよくすすいで脱水する。
 《染め》(1)さきほどの染液に戻して沸騰させ、一晩置く。
     (2)ゆすいで干す(日なたで短時間で乾かす)。

工程2 (1)乾かして2~3日おいてから1の工程を繰り返す。
     (2)気に入った色になるまで(特に濃い色)繰り返す。

使っている植物のほとんどは、身の回りに自生しているものや畑で栽培したもの。カマドでゆっくり煮出した植物のエキスから生まれた自然の深い色合いが特長です。


作業中の宮崎朝子さん。
織機で作業をする宮崎朝子さん。


織機にセットされた縦糸
織機にセットされた縦糸。



次に、織機をつかって布を織る作業を見せていただきます。ちょうどヘンプの布を織られているところでした。

使っている織機はいわゆる高機といわれるもので、足で踏み木を動かし、綜絖(縦糸をつっている部分)を上下させ杼道(横糸を通す空間)を開かせていきます。

織られた布
織機で織られたヘンプ布。横糸がランダムなのが天の川工房風。


筬(おさ)(※)を打つトントンという音と杼(ひ)が縦糸の上を滑るカラリという音が軽快に繰り返され、だんだんとヘンプの布が織られていきます。

杼(ひ)、シャトル
横糸を巻きつけて、開口した縦糸の間を通して横糸を入れる役目をする「杼(シャトル)」


筬(おさ)=櫛の目が並んだようになっており、この目に縦糸を通すことによって、縦糸の密度と織り幅を一定に保ち、横糸を打ち込むようになっている。


機械織りにはできない、手織りならではの良さを追求


以前より宮崎さんの織る布は、こだわりのつまった、きれいな色彩や風合いが特長と感じていました。

お聞きすると、宮崎さんは機械織りにはできない手織りにしかできないものを追求しており、左右非対称にしたり、ワンパターンではない色使いをしてみたり、いろいろ工夫をされているそうです。

宮崎朝子さん(天の川工房)の作品
最近の作品の一例。


手織りの布の良さは、風合いはじめ、使い込んでいくと次第に味が出てくることなどがありますが、たとえ破けたとしても直すなどして、「(寿命まで)最後までつかってほしい」と宮崎さんはおっしゃいます。

草木染め、手織りによる布づくりから縫製まですべての工程を1人でおこない、つくった布に愛着をもっているゆえの言葉と思います。



布づくりの楽しさを手軽に体験できる、手織りキットを開発

現在、手織りの教室もしている宮崎さん。近年、布づくりの楽しさを体験してほしいと、腰機をつかったワークショップをしたりしてきました。

そして、もっと手軽にできないかと、手織りキットの試作を2014年より重ね、子ども(小学校高学年以上を推奨)でも織ることのできるオリジナル手織りキットをこのほど開発。

板に直接、縦糸をかけるのでセットも簡単だそうです。織ることのできる布は、ベルトやバッグの紐のほか、幅いっぱいに織ればコースターやテーブルセンターなどで、マフラーなど幅があるものを織ることのできる少し大きいタイプの手織りキットもあります。

試作を重ね開発したオリジナル手織りキット
天の川工房オリジナルの手織り(板織り)キット。



織機や道具をそろえないとできないため、ちょっとハードルの高い手織りですが、この手織りキットなら手軽に織りが体験できると、これを使ったワークショップ開催をと意気込んでおられます。

また、布がつくられる仕組みもわかり、手仕事に対する興味も高まるのではないかと宮崎さん。

思えば、宮崎さんが織られた布と出会ったのは2007年のこと。

今回お話を種々聞かせていただいて、変わらない部分と変化した部分、布に対する愛着、こだわりをひしひし感じました。


(文責・加藤義行)



天の川工房
〒789-1303高知県高岡郡中土佐町矢井賀甲410番地

TEL:0889-59-0233

http://amanogawa.ocnk.net/


宮崎朝子さんの作品はこちら♪


徳島・木屋平の三木家住宅、資料館

~製作の現場をたずねて~

静かな山里にある徳島県最古の民家、三木家住宅

今上天皇の大嘗祭の折に「斎麻畑」となった三木家住宅・資料館前。

徳島県木屋平の静かな山里。三木山の頂上に近い標高552mに建てられた三木家住宅は、江戸時代の初期に建築されたと推定される徳島県で一番古い民家です(昭和51年2月3日、国指定重要文化財)。

三木家住宅(国指定重要文化財)
茅葺き寄棟造りの大規模な民家。


三木家は、阿波忌部氏の直系で、歴代の践祚大嘗祭(天皇即位の儀式)に、御衣御殿人 (みぞみあらかんど)として、麁服(※)を調進して朝廷と深い繋がりを持っていました。

現在、第28代当主である三木信夫(以下、三木)さんが家を守っておられます。

今回、天皇即位の大嘗祭に献上した麁服作成に使用した一連の資料を展示している、住宅の横にある資料館と、住宅を見学させていただきました。


(※)麁服(あらたえ)・・・麻の繊維で織られた織物のこと。



天皇即位の大嘗祭に献上された麁服に関しての貴重な展示

まず、資料館を見せていただきます。

三木家には、鎌倉時代から室町時代にかけての古文書「三木家文書」(徳島県指定有形文化財)が伝えられています。

これは、践祚大嘗祭のときに使用される麁服の調進関係の文書や、細川氏など支配層からの感状類など45通からなる古文書で、当時の様子を知ることができる貴重な資料です。

麁服調進は、南北朝の動乱にいたり、以降中断していましたが、古例により大正天皇の大嘗祭に復活し、昭和、平成の大嘗祭に麁服を調進しています。

三木家資料館の展示資料
館内には、写真や道具類が展示されている。


資料館に入ってパッと目に入ってくるのは、紡女の白い格衣と緋(深紅色)の袴。館内には、古文書、その様子を伝える写真、木でつくられた麻蒸し桶や麻舟、織機などの貴重な資料が展示されています。

三木家資料館の展示写真
「麁服織り初め式」の様子を伝える写真。


なお、この資料館は、地元の有志の方々の協力により運営されています。


築350年以上、保存状態が良好。主人しか入れない部屋も。


次に、住宅の方を三木さんにご案内していただきました。

間取りは全国でも例のない整型八間取りで、当初は台所土間と床上の8室でしたが現在、西側より2つ目の前面の部屋は土間に改装されているそうです。

建築されたのは江戸時代の初期ということですから、350年以上もの間、風雪に耐えてきたということになります。

三木家住宅の座敷
土間からみた座敷。


靴を脱いで座敷にあがらせていただき進んでいくと、一番奥にお客様をお迎えする“サキオモテ”の部屋(応接間)があります。

三木さんは、子供の頃この部屋には兄弟の中でも三木さんしか入れてくれなかったと仰っていました。家の北東隅には、テングノマ(別名イラズノマ)という主人しか入れない部屋もあるそうです。

三木家住宅(国指定重要文化財)のパンフレット
三木家住宅のことを伝えるパンフレット(三木さんからいただいた) 
壁に掛かる額。
壁に掛かる額。


今回、三木家住宅は「保存状態がよい大規模な民家で、中世山岳武士の系譜を引く家の遺構としてきわめて価値が高い」というのを十分うかがい知ることができたと思います。

三木さん、お忙しい中、お時間を割いていただきありがとうございました。


山崎忌部神社の石碑
麁服が織られたことを記念する石碑(山崎忌部神社)。


山崎忌部神社
山川町の山崎忌部神社。


この日は三木家住宅のあと、山崎忌部神社(吉野川市山川町)、大麻比古神社(鳴門市大麻町)にお参りさせていただき、帰路につきました。



(文責・加藤義行)



三木家住宅・資料館
徳島県美馬市木屋平字貢143

資料館の開館日:不定(土・日・祭日開館が基本ですが、お休みの場合があります)。※冬季休業(12月~3月)
営業時間:10:00~16:00
お問い合わせ先:美馬市教育委員会 文化・スポーツ課
TEL:0883-52-8011



京都の株式会社山川

~製作の現場をたずねて~

日本の伝統が息づく京都。創業120年の老舗、株式会社山川

京都・株式会社山川の作業風景

明治19年の創業。神社やお寺の麻製品を手がけている株式会社山川は、JR京都駅から北北東約3.5km、二条通と麩屋町通りの交差点を西へ少し行ったところにあります。

2015(平成27)年4月23日に、お願いして特別に作業場を見せていただきました。

撚房(製作中)
製作中の鰐口紐、鈴緒の房。1本1本縄によっているため一般的な「切房」より長持ちするそう。


ちょうどお寺の鰐口紐(わにぐちひも、※1)の製作がされていて、器具を使って麻縄を撚り合わせていく作業中です。

使われている精麻は、貴重な国産品(※2)。赤、緑に染めたものもあり、3本(3色)の麻縄が器具を用いて見る見るうちに撚り合わされ1本の鰐口紐になりました。

その後、ハサミを使って鰐口紐の表面をきれいにしていきます。

※1 鰐口はお寺の堂前に吊される金属製の音具。参拝者が紐を振って打ち鳴らすことで神仏に来意を伝えるとされている。
※2 戦前、日本で約1万ヘクタール栽培されていた大麻は減少し、現在では5ヘクタール未満になっている。2014(平成26)年に都道府県知事の許可を受けた栽培者は33人。高齢化や新たな許可が進まないことから生産者は急激に減少している。



状態により、品質が異なる原材料の精麻を選ぶ厳しい目。

原材料となる精麻は、大麻草の茎の表皮部分を乾燥させたものです。

原材料となる精麻(野州麻)。
原材料となる国産の精麻。赤や緑、その他の色に自社で染めるという。


大麻草の刈り取りから精製までには多くの工程を経ますが、強度・色・つや・丈の長さ・表面の質などにより、「極上」「上」「並」に大きく分けられるそうです。

当然、それによって価格も異なります。見せていただくと、質のいいものは、“透明感”があるのがわかりました。

また、代表取締役の山川正彦(以下、山川)さんは、国産の精麻と海外産の精麻の品質を比較すると、どうしても国産の精麻に軍配が上がるとも仰います。

厳しい目で精麻を見る。当たり前のことですが、いい原材料なくして、いい製品はできないのです。

さらに、神社などからの要望で白い色の精麻を求められるお話もうかがいました。精麻を人為的に硫黄くん蒸して白くしたものを慣例的に用いているそう(何事も清浄を好み、色においても質素を尊ぶ風潮があって白色が用いられることが多いのだと思われます)。

そのままの状態の極上の精麻を見せていただきましたが、黄金色で美しい。白くするとどうしても繊維の強度が落ちるらしく、素材を生かすという点からそのままの精麻で製品づくりしていった方がいいと私的には思いました。

精麻。写真上が並質、下が上質。
上が並質、下が上質の精麻。違いわかりますか?



慣れた手さばき。見えない部分も大切に。これぞ職人の技。


京都にはこういった仕事に関わっている職人が数多くいます。

例えば、神社の鈴緒に使う本坪鈴は京都の伝統技術を受け継ぐ錺(かざり)金具師の手仕事によるもの、桐枠(鈴緒や鰐口紐の持ち手の木の部分)なども京都の木工技術を駆使して木工職人が手掛けたものを使用しています。(「京都神祇工芸協同組合」が組織されているそう)

ひとつの製品にも、多くの職人の技術が込められているのです。

桐枠を見せていただくと、どれも美しく、「メイドイン京都」といった感じを受けます。

桐枠。京都の職人による手仕事品。
桐枠。これも京都の職人による手仕事品。文字はまた別の職人による。


なお、桐枠に文字を彫る職人などは今、京都に2人しかいないそうです。

次に、麻縄を手で撚っていく1つひとつの作業を見ると、慣れた手さばきで、淡々と作業されている印象。

また、見えない部分も丁寧に施工されていて、これぞ京都の職人というのを感じました。

麻縄を撚っていく作業風景。
慣れた手つきで、麻縄を撚っていく。まさに職人技。



製品への思い。大量生産とは明らかに異なる手仕事の品。


午後から、製品が納められている京都市内の神社仏閣を案内していただきました。

ある神社の鈴緒は、長く使っている関係で自重により長さが伸びて、房の部分が下に置いてあるお賽銭箱に当たっていました。

神社に納めた鈴緒の例。
製作された神社の鈴緒。下部がお賽銭箱にあたって傷んでいた。
 上賀茂神社(賀茂別雷神社)
 京都には3000以上の神社仏閣があるようです。写真は上賀茂神社。


山川さんは、手がけた鈴緒を自分の子どものように見られ、「時々、メンテナンスしてほしい」と仰っていました。

また、「丈夫な縄を作るために、しっかり撚りの入る麻芯にこだわっている」そう。

こうした関係の製品は、見た目が同じものを機械で大量生産することもできるかもしれません。

しかし、こだわりを持って職人が1つひとつ丹念に手仕事されているからこそ、形は同じでも「違いがある」というのを今回感じさせていただきました。

(文責・加藤義行)



株式会社 山川
〒604-0951 京都市中京区二条通麩屋町西
Tel:075-231-1027
Fax:075-221-8178
http://asa-yamakawa.com/



山川の手仕事の品はこちら☆

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