古事記には、伊耶那岐命(いざなぎのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)の二柱の神による国土創生の「国生み神話」が描かれており、その中で日本で最初に生み出された島が淡路島とされています。
遠くはるかな昔、男の神と女の神がいらした。
男の神を伊耶那岐尊、女の神を伊耶那美尊といった。そのころ大地は、かたまったばかりであったから、ふたりの神は、たくさんの神々を生み、国づくりをすすめていた。
ところが火の神をお生みになった時、伊耶那美尊(妻神)は、おおやけどをしてお亡くなりになる。
伊耶那岐尊(夫の神)は大変お嘆きになった。泣いて泣いてなきつくした時、伊耶那岐尊は立ち上がった。
「こうしてはいられない。妻の行った黄泉(よみ)の国へ行き、妻を連れ戻すのだ。」そして、暗い地の底にある死の国、黄泉の国へ降りて行った。
黄泉の国の御殿の扉にたどりつくと、締め切った扉を開けて妻神が出てきた。
夫の神は、二人でつくった国は、まだ完成していないから、もう一度帰ってきて欲しいと頼まれたが、妻神は、すでに黄泉の国のかまで炊いたものを食べたので帰れない。
しかしせっかく来てくださったのだから、黄泉神にかけあってみます。その間、決して私をみないで下さい。と言って奥へと戻っていった。
伊耶那岐尊は長いこと待っていたが、妻神はなかなか出てこない。我慢ができなくなって、御殿の中に入り、櫛(くし)の歯の一本に火を灯し中を見た。
するとそこには、体中に蛆(うじ)がはいまわり、雷神(いかづちがみ)が巣くっているかわり果てた妻神が横たわっていた。伊耶那岐尊はびっくりしたのと、怖かったので、叫び声をあげて逃げ出した。
それに気付いた妻神は、よくも私に恥をかかせたと、黄泉醜女(よもつしこめ)たちに命じて夫の後を追わせた。伊耶那岐尊は、夢中で逃げ続けたが、醜女たちはすぐに迫ってきた。
そこで髪に刺してあった黒い髪飾りを取って投げられた。
それはたちまち、ブドウの木に変わった。
醜女たちがブドウを食べている間に逃げる。また迫る。
今度は櫛を放る。
タケノコが生えてくる。
醜女がそれを食べる間に逃げ続ける。そのあり様を見た妻神は、歯をかみならし、雷神に黄泉の軍勢千五百をつけ、伊耶那岐尊を追わせた。
伊耶那岐尊は腰にさしておいでになった十握(とつか)の剣をぬき、後手に振りながら、黄泉の国と現界との境の黄泉比良坂を駆け上がった。やっと黄泉比良坂の坂本、黄泉の国の出口にたどりついた時、あわや追いつかれそうになったので、そこにあった桃の木から、桃の実三個を取って彼らに投げつけた。
黄泉の国の者たちは桃の実を怖れて逃げ帰った。桃の実の不思議な働きによって、戦いは、伊耶那岐尊の勝利におわった。
伊耶那岐尊はほっとして桃の実をなでさすり、桃の実に向かって「お前は、私を助けたようにこの現世にいる多くの人々が辛い境遇に落ちて、苦しみ悩んでいる時に助けてやれよ。」とおっしゃって意富加牟豆命(おほかむずみのみこと)【大神の実】の神名をお与えになった。
伊耶那岐尊は、けがれた黄泉の国に行ってきたので、禊(みそぎ)をしてケガレを祓おうと思し召して、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊祓(みそぎはらい)をされたのです。
これが祝詞に生かされ「言霊の幸わう国」として、神事に欠かすことができない大切な儀礼として用いられております。つまり、禊祓の起源です。
「黄泉比良坂の戦い」は、神軍と邪神軍、正邪の戦いです。そして、勝利への大役を果たしたのは桃の実でした。
桃(もも)というのは日本語であり、漢字の音読みではモモではなくトウです。
日本語のモモには、桃のほかにもうひとつのモモがあります。
「ひふみよいむなやここのとお、ももちよろづ」という数え方があります。この「もも」、百をモモと言います。「ち」は千、「よろづ」は万です。
・参考文献
「AWAJI ISLAND guide book」(一般社団法人 淡路島観光協会)
「現代語古事記」竹田恒泰著(学研)
「みそぎ 第18号」(伯家神道)