日本人の清浄感であり、罪悪感でもあるケガレと浄めについてです。
心身が汚れてしまった、悪いことをしてしまった、と感じるのがケガレという感覚です。逆に心身ともに清浄潔白であると感じるのが浄めです。
多くの日本人は、ケガレはあらゆるところに散らばっていると考えています。
街を歩いていても、どんなケガレを拾ってしまうかもわからない。たまたまケガレを拾って、体にくっついてしまったように感じるのです。
洗ってしまえばまたすぐにきれいになるというのが、日本人のケガレの感覚です。
キリスト教のような罪というものが体の奥深く入っている、という原罪という考え方は日本人にはないです。
ですので、けがれたら浄めればいいというのが、日本人の考え方です。
そのために浄めの儀式、または仕草というものが日本人の生活のいたるところにあります。
浄めのために一番有効なものが、水と塩と麻です。
一番手近なのは、水で洗う。そしてもっと強力なのは、塩で浄める。さらにその上が麻で祓う、ひき撫でるという方法です。
麻については、天皇の即位後の践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)で、麻織物・麁服(あらたえ)が調進され、斎行される他、神社において神主さんが大麻(祓串)を用いてお祓いしたり、巫女が髪を麻で結んだりします。
大相撲では、関取が土俵に上がるときに塩をまきます。浄めのために塩をつかっているのです。
この塩よりやさしいのが水。
茶の湯では手水鉢の水で心身を浄めて、にじり口を通って、茶室に入る許しが得られるのです。
・参考文献
「楽苑94号」熊倉功夫氏”茶の湯について”(SHUMEI PRESS)
「日本の建国と忌部」林博章著