私たちは日々の生活の中で気づかぬところで運命や健康をむしばみ、諸々の災厄をも招いていきます。
人々が知らず知らずのうちに犯し、積み重ねた罪けがれの一切をはらい清めていただく大祓(おおはらい)という神事が1年に2回、6月と12月に夏越し・年越しを恒例として昔から執り行われてきました。
さて、日本には季節の変化があって、その変わり目に元気を失うと人々は考えてきました。変化に合わせて元気を自然からいただき、1年を無病息災に過ごすには、気が弱まるときに邪気をはらい、気を充実させなければなりません。
1月7日の人日、3月3日の上巳、5月5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽の五節句の行事は、中国から渡来したものです。日本ではそれが七草がゆになり、桃の節句になり、菖蒲になり、菊の祝いになったりします。
しかし、節句には季節の変わり目にわざわざ厄払いをして元気を取り戻すという、決してめでたいばかりの日ではなくその背景に厄払いの意識があるようです。
3月3日の節句は、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、けがれをわが身になり変わって背負ってくれる人形(ひとがた)を作り、けがれといっしょに川に流してしまおうというのが雛人形のはじまりだそうです(いわゆる流し雛)。江戸時代から立派な段飾りの雛人形が生まれ女の子の祭りになりました。
また、日本人にとっての香りの文化は、西洋の香水のように人をひきつける香りばかりでなく、香りに災いをはらう役割を担わせています。
桃の節句には草餅を食べますね。草餅のヨモギの強烈な香りに邪気をはらう力があります。同じく、端午の節句には菖蒲の香り(菖蒲湯)、重陽の節句には菊の香り(着せ綿、菊酒)、〔冬至は五節句ではありませんが柚の香り(柚子湯)も同じ原理〕、節分にはイワシのにおいと、香りでもって邪気をはらうのです。
日本の神話の中に菓子の起源が語られています。
第十一代垂仁天皇の命により田道間守(たじまのもり)は常世国へ不老不死の薬を求めて旅立ちます。やがて非時香菓(ときじくのかくのみ)を得て帰りますが、すでに天皇は崩御されていました。
田道間守は非時香菓を植え、嘆きのあまり御陵(みささぎ)の前で命を絶ちました。植えた実はやがて成長し橘(たちばな)になったといいます。この橘の実が菓子の起源とされます。
田道間守の神話は和菓子の性格をよく示しています。1つは和菓子は単なる甘みではなく、不老不死の願いの表現であること、第2は和菓子の原型が果物(水菓子)であること。
元禄時代に砂糖が次第に普及し、このころから甘党、辛党の区別が生まれますが、それ以前は自然の中で手に入る甘みといえば果物がポピュラーだったようです。いずれにせよ、昔の人はやっぱり不老長寿というか、いのちを大切にしていたことがわかります。
京都など氷室(ひむろ)の節句でいただく白いういろうを三角に切って小豆あんを載せた和菓子、「水無月」もその小豆の赤い色や三角の形に魔よけの意味があるそうです。
一方、夏越祓は、夏の夕べ、人形(ひとがた)で心身をぬぐい清め、茅の輪をくぐって知らず知らずのうちに犯した罪けがれをはらって無病息災を願う神事です。
神社の境内に露店が出てそれが楽しみだった子どものとき。人形(ひとがた)を神社前の川に流していた記憶があります。考えずにやっていたことが大事な日本の文化だったんですね。
「はらい」を日常の中に取り入れてみませんか。おお麻(ヘンプ)は神社のおはらいの道具に使われているのと、「神道ははらいである」「はらいは大切」と教わっているので書いてみました。
参考文献:
「楽苑72、73号」(SHUMEI PRESS)
「現代語古事記」竹田恒泰著(学研)