忌部氏と中臣氏の和合と封印を解く、安房~上総~常陸の祈りの旅

3月、天之御中主(あめのみなかぬし)様を代々お祀りしている巫女の家系とおっしゃる方より、お問合せがありました。

春分の前後に安房~上総~常陸の祈りの旅をする予定で、下記の神社をまわります、と。

千葉神社→洲崎神社→安房神社→天之御中主神社→玉前神社(神洗神社)→白子神社→猿田神社→香取神宮→息栖神社→鹿島神宮

目的は、忌部氏と中臣氏の和合と封印を解くこと。

「ある依り代を包む麻布か、麻紐でもいいので、何かよいものがありますか?」

後日お電話をいただき、麻紐、麻縄を数種ご提案し、麻布は手元にあった生地見本としていただいたものと一緒にお送りさせていただきました。

 

その後どうなったのかと思っていましたら、メールで今回の祈りの旅がうまくいったとご報告をいただきました。

この旅の途中、全国でこの方がまわっているところだけ悪天候だったそうですが、それは浄化のサインだったとのこと。

今回の旅に出た理由、経緯もすこし添えられていました。

 

このような活動をされている方が他にもいらっしゃるのでは?と思い、シェアさせていただきます。

けがれたら浄めればいいという考え方。日本の浄めの儀式、水と塩と麻

日本人の清浄感であり、罪悪感でもあるケガレと浄めについてです。

心身が汚れてしまった、悪いことをしてしまった、と感じるのがケガレという感覚です。逆に心身ともに清浄潔白であると感じるのが浄めです。

多くの日本人は、ケガレはあらゆるところに散らばっていると考えています。

街を歩いていても、どんなケガレを拾ってしまうかもわからない。たまたまケガレを拾って、体にくっついてしまったように感じるのです。

洗ってしまえばまたすぐにきれいになるというのが、日本人のケガレの感覚です。

キリスト教のような罪というものが体の奥深く入っている、という原罪という考え方は日本人にはないです。

ですので、けがれたら浄めればいいというのが、日本人の考え方です。

そのために浄めの儀式、または仕草というものが日本人の生活のいたるところにあります。

浄めのために一番有効なものが、水と塩と麻(精麻)です。

一番手近なのは、水で洗う。そしてもっと強力なのは、塩で浄める。さらにその上が麻で祓う、ひき撫でるという方法です。

麻については、天皇の即位後の践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)で、麻織物・麁服(あらたえ)が調進され、斎行される他、神社において神主さんが大麻(祓串)を用いてお祓いしたり、参拝の際に拝殿前の鈴緒を振って鈴を鳴らしたり、巫女が髪を精麻で結んだりします。

国産精麻でできた祓串(はらえぐし)(写真は高さ約30センチのもの)
国産精麻でできた祓串(はらえぐし)(写真は高さ約30センチのもの)

大相撲では、関取が土俵に上がるときに塩をまきます。浄めのために塩をつかっているのです。

この塩よりやさしいのが水。

茶の湯では手水鉢の水で心身を浄めて、にじり口を通って、茶室に入る許しが得られるのです。

 

 

・参考文献

「楽苑94号」熊倉功夫氏”茶の湯について”(SHUMEI PRESS)

「日本の建国と忌部」林博章著

 

大和朝廷で神事を担当した氏族、中臣氏と忌部(斎部)氏について

かつて、大和朝廷で神事を担当した氏族が中臣(なかとみ)氏と忌部(いんべ)氏でした。

忌部氏は中臣氏の祖である天児屋命(あめのこやねのみこと)とともに天岩戸の前で奉仕した太玉命(あめのふとだまのみこと)を祖とし、祭祀具をつくりととのえる一族です。

平安時代中期の律令(りつりょう)の運営マニュアル、「延喜式」(神祇)には「践祚(せんそ)の日は中臣が天神の寿詞(よごと)を奏し、忌部が神璽(しんじ)の鏡剣を上げる」とあり、分業体制でした。

しかし、中臣氏と幣帛使(へいはくし)就任をめぐって大同元(806)年8月に「両氏相訴」の論争が生じたことが「日本後紀」に載ります。

このときは「両氏を取って用い、必ず相半し当てる」とされましたが、現実的には中臣氏の勢力は増す一方でした。

 

先日、いくつかの神社を参拝して、忌部氏と中臣氏の和合などをこれからお祈りする予定と代々、巫女の家系というお客様がいらっしゃいましたので、すでにご存じの方にはアレですが、中臣氏と忌部氏についてご紹介させていただきました。

 

 

・参考文献

「呪術と科学の有職故実図鑑」八條忠基著(平凡社)

神前奉納の体験が可能。オンライン講座で学ぶ、はじめての巫女舞

「巫女舞にチャレンジしたいが、習うところがない」、「初心者だが、神社で巫女舞を奉納したい」

そういった方々に向け、「やまとおとめ」(伊藤久乃主宰、東京都)が巫女舞オンライン講座をこのほど開始しました。※リンク先より、公式LINEに登録いただくと詳細が届きます。

主宰の伊藤久乃先生は、40代で巫女舞と出会い現在歴10年。東京都内はじめ、全国各地の神社で奉納、助勤、海外でも披露されています。

全国からお問合せをいただくなか、遠方では稽古に通ったり、座学やきめ細やかなサポートをしたりは対面では容易ではないことから、数年かけてやり方やカリキュラムを準備し、この講座が生まれた由。

オンラインですので自宅で習うことができます。

巫女舞の演目は豊栄舞で、初回の体験奉納(2025年8月24日)は、神社様と相談して奉納の場を準備しており、軽井沢に鎮座する熊野皇大神社を予定。

さらに伊藤先生は、国産大麻(精麻)五色緒のついた鉾先鈴をお持ちで、巫女舞だけでなく麻への理解もあります。

なお、ただいま10名様限定でモニター特別価格にて受講生を募集していらっしゃいます。(すでに定員に達していた場合、申し訳ございません)

未成年の方は保護者同伴であれば、受講、奉納が可能です。

伊勢神宮を創建された倭姫命を祀る倭姫宮ご鎮座から100年を過ぎて

昨年2023年は、伊勢神宮を創建された倭姫命(やまとひめのみこと)を祀る倭姫命宮が創建されてから100周年でした。

倭姫宮が別宮としてご鎮座、創建されたのは1923年11月で、新しい宮です。

 

老齢で衰えた豊鋤入姫(とよすきいりひめ)に代わって、第11代垂仁(すいにん)天皇の第4皇女、倭姫命が御杖代(みつえしろ、神や天皇の杖代わりとなって奉仕する者)となり、大和国から伊賀、近江、美濃、尾張を経て、伊勢の国に入ったところで、天照大御神が神託を与えられました。

この神風(かむかぜ)の伊勢の国は、常世の浪の重浪帰(しきなみよ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うまし)し国なり。この国に居(お)らむと思ふ。

倭姫命は、この神託を得て現在の場所、宇治の五十鈴川のほとりに伊勢神宮内宮を創建したといいます。

後に市民らの働きかけで倭姫宮の創建につながったそうです。

 

倭姫が伊勢神宮を建立するまでに、天照大御神のご神体、八咫鏡(やたのかがみ)を順次奉納した場所は元伊勢と呼ばれます。

記紀の神話では、倭姫命はその後、伊勢の斎宮として朝廷の安寧を祈りつづけました。

後に東征に向かう日本武尊(やまとたけるのみこと)は倭姫命の甥にあたり、倭姫命は日本武尊に天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、別名:草薙剣)を与えました。

 

神道の源流をたどると、縄文文化に行きつくといわれます。

縄文文化は、たとえば、四季の移り変わりに則して緻密な狩猟・漁労・採集スケジュールを組み、それに基づいた秩序ある平和な暮らしを営んでいたこと、高度な精神文化を持ち世界観を表現する記念物もつくっていたようです。

しかもその時代がおよそ1万年以上にわたってつづいていたのです。

太古の精神は神話や風土記の形で語り継がれ、後世に残されてきています。

 

 

 

・参考文献

「図解巫女」朱鷺田祐介著(新紀元社)

「現代語古事記」竹田恒泰著(学研)

「神道の源流」吉川竜実著(Total health design)

 

奄美大島の伝統行事「平瀬マンカイ」にみる巫女、ノロ

9月9日、海の神々に豊作を祈願する奄美大島の伝統行事「平瀬マンカイ」がおこなわれた由。

先日の塚原卜伝のドラマのときと同様、テレビをつけニュースを見ていると、ノロ(祝女)という巫女が登場したため、つい見入ってしまいました。ちなみに、ふだんテレビはほとんど見ないです。

「平瀬マンカイ」は、同島・龍郷町(たつごうちょう)の秋名地区に450年以上前から伝わる伝統行事(国の重要無形民俗文化財)だそうです。

ノロとは、沖縄や奄美にいる公的な女性祭祀者で、神々の依り代となる憑依巫女です。※ユタとのちがいは、ユタは一般の人に助言する在野のシャーマン、ノロは公的な神事や祭事を司ります。

夕方の満潮に合わせてはじまり、まず、白装束を着たノロ5人とその補佐をする男女7人がそれぞれ海岸の岩の上に立ち、「マンカイ」と呼ばれる動き(両手を水平に広げて手のひらを返す)をしながら唄をかけ合い、海の神々を呼び寄せ、そして太鼓の音と唄のテンポが速くなるとノロは岩の上で海に向かって正座し、手を合わせて豊作と地域の繁栄を祈願。

最後は、浜で住民たちが輪になって「八月踊り」を踊ったということです。

地元、秋名アラセツ行事保存会の窪田圭喜会長いわく、「20代の人たちがけっこう入ってきて、われわれがいつ引退しても引き継いでいけることに安心しております」と語っていました。

高齢化、担い手不足ということはどこにでもある課題だと思いますが、若い方の注目が集まっているのは明るいことだと思います。〔来年2025年は9月24日(水)がアラセツ祭日。アラセツ(新節)は火の神を祀り、火事がないように祈願するそう〕

なお、見たところ、平瀬マンカイでは精麻は活用されていないようです。

 

 

・参考文献

「図解巫女」朱鷺田祐介著(新紀元社)

 

 

戦国最強の剣豪・塚原卜伝のドラマにみる巫女(物忌)の姿

9月1日朝、テレビをつけると、「物忌(巫女)采子」の字幕と精麻を頭に巻いた幼い子どもの姿が目に飛び込んできました。

精麻が映るあまりのタイミングのよさに引き込まれ、最後まで見てしまいました。

これは堺雅人さん主演の時代劇(原作・津本陽)の再放送で、塚原卜伝(ぼくでん)とは、戦国時代、鹿島(いまの茨城県鹿嶋市)に生まれ、17歳で武者修行の旅に出て、生涯数多の真剣勝負や合戦にのぞんで一度も負傷しなかったという伝説的な剣豪だとか。

ドラマのなかで、堺雅人さん演じる塚原新右衛門は巫女(物忌)から2度ほど、神託を伝えられていました。

物忌は古代より神託を伝える巫女として鹿島大神宮で最も重んじられてきた神職、このドラマは舞台となる鹿島神宮や室町時代の風俗、文化などを忠実に再現しようとしているようで、描かれていた巫女のシーンも精麻とともに日本の原風景と思われます。

9月1日放送の第7話「卜伝見参」は最終回で、9月8日(日) 午前6:52 までこちらで見逃し配信中です。

興味がある方はご覧ください。

ちなみに、冒頭の「物忌(巫女)采子」とは、先の巫女の没後、数年を経て物忌を継いだ少女です。

巫女(みこ)と発音するか、巫女(ふじょ)と読むか?

巫女・神子=神に仕えて神楽・祈祷を行い、または神意をうかがって神託を告げる者、と辞書にはあります。

巫女と書いて、たいてい「みこ」と発音する人が大半と思いますが、「ふじょ」と読むこともできます。

「巫(ふ)」という字には、「神に仕え、神の意を人々に伝えるシャーマン」の意味があります。

現代の神社の巫女は、神意を降ろし、人に伝えることはしませんが、古代の巫女は、その責任に応じて国家や共同体におけるシャーマンの役割を担っていたようです。

 

さて、現代の神社における巫女についてですが、上は宮司から下は巫女・出仕まで地位があります。

神社の長である宮司は、同時に神道祭祀をおこなうことのできる神職であり、祭祀補助者である巫女や出仕に補助されて、祭祀をおこないますが、同時に神社の代表者としても行動します。一般企業の社長にあたり、大きな神社では副社長にあたる権宮司を置く場合もあります。

宮司を補佐する神職は禰宜(ねぎ)と呼ばれ、位の低い間は権禰宜といい、一般職員です。

神職の上下関係は3種類あり、上記の宮司や禰宜は神社内の立場(職称、職階)で、この他に神職としての階位が5段階(浄階・明階・正階・権正階・直階)、神社本庁全体の中での身分が5段階(4級~特級)あります。

なお、神職の上下関係はまず職階で決まり、宮司は禰宜よりも格上として扱われます。いずれにせよ、巫女は神社では下の身分となります。

清浄、祓い清めという点で、日本の精神文化を支える巫女と、おお麻は関係が深いと思い書いてみました。

 

 

・参考文献

「巫女体質」松井久子著(SeleneBooks)

「図解巫女」朱鷺田祐介著(新紀元社)

さぬきいんべ通信「鋭い感受性を持った「巫女体質」、松井久子先生のご著書を読んで」2021年10月21日付

さぬきいんべ通信「巫女が舞や祭祀の際、手に持つ「採り物」とは。神楽鈴や鉾先鈴、檜扇など」2023年4月3日付

 

 

 

神社参拝の際に鳴らす鈴の意味とは

多くの神社には、拝殿の中央、ちょうど賽銭箱の真上あたりに、銅や真ちゅう製の大きな鈴〔本坪鈴(ほんつぼすず)、鈴上部の太鼓の胴の形をした部分を“坪環”というため、本坪鈴というようです〕が吊られており、この鈴に添えて麻縄や、紅白・五色の布などを垂らして、参拝者はこれを振り動かして鈴を鳴らし、お参りをします。

神聖なる鈴を鳴らす縄であるため、古来神聖な植物とされる麻でもともと作られてきました。(鈴緒といいます)神社によっては神仏習合の影響により、鈴の代わりに鰐口(わにぐち)が設けられている場合もあります。

社頭に設けられた鈴は、その清々しい音色で参拝者を敬虔な気持ちにするとともに参拝者を祓い清め、神霊の発動を願うものと考えられています。(鈴緒の「鈴」の文字は、神に祈りを捧げる姿からつくられた「令」と「金」が組み合わされてできており、「緒」の文字には「魂をつなぐもの」という意味合いがあります)

国産大麻(精麻)でできた鈴緒(保護網付き)
国産大麻(精麻)でできた鈴緒(保護網付き)

また、巫女が神楽舞を舞う際に用いる神楽鈴も、社頭の鈴と同様の意味によるものです。古くは巫女が神楽を舞うことにより神がかりして人々に神の意志を伝えており、このために必要なものとされていました。

このほか、お守りなどの授与品に鈴が用いられるのは、魔よけや厄よけ開運のためともいわれています。

古事記や日本書紀には記されていない神祇祭祀に関わる古伝承も載せられている「古語拾遺(こごしゅうい)」という平安時代の書物には、天の岩屋にお隠れになられた天照大御神の心をひくために、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が鈴をつけた矛を持って舞ったことが記され、宮中では天皇陛下が天照大御神をご親拝なされる際に、女性で祭祀をつかさどる内掌典(ないしょうてん)が御鈴を鳴らして奉仕することがあるように、神事における鈴振りは今日まで重要な意味を持ってきています。

 

 

・参考文献

「神道いろは」神社本庁教学研究所監修(神社新報社)

「明治19年創業 神社仏閣用麻製品調整 株式会社山川パンフレット」

国産大麻(精麻)飾り紐付きの釵子。日本の未来を担う女子神職のために

釵子(さいし)は女子神職用の正装・礼装時の髪飾りですが、国産大麻(精麻)の飾り紐が誕生したのは2021年。

こちらにご紹介したとおりの展開で、前天冠の草木染め国産精麻の五色房ができた後、たまたま釵子の国産精麻の飾り紐もできたのです。

はじめて使われた方のご感想は、下記でした。

釵子へ取り付けてみましたが、 取付しやすく、
白い齋服と非常に調和が取れており、より、神聖さ清浄さを感じます。
個人的には、白い紐よりも麻の方が好きです。

私は、頭と髪に麻を巻きますので、バランスもいいと思っております。

夏越の大祓でまずつかわれた由。

麻縄職人が撚ったきなりの細い精麻の紐を組みひも職人が絹の日陰糸と同じようにあげまき結び、蜷(にな)結びで仕上げております。

国産大麻(精麻)飾り紐付きの釵子
国産大麻(精麻)飾り紐付きの釵子
釵子の国産精麻飾り紐の下部
釵子の国産精麻飾り紐の下部

帯締めや羽織紐、アクセサリーなどとして知られる京くみひもの歴史は平安遷都までさかのぼり、貴族文化のなかで衣冠束帯の付属品として発達。京くみひもはこの公家組みひもの流れを祖とします。

日本の未来を担う女子神職につかっていただければ幸いです。(すでに釵子をお持ちの方へ飾り紐のみのご依頼もお請けいたします。取付用の精麻を無償でお付けさせていただきます)

 

この釵子について考えていると、いただいた某ペットボトルのお茶に印刷されている俳句が目に飛び込んでまいりました。

巫女着替へ 我に戻りて 夏帽子

山口県下関市の大賀弘子さんの俳句だそうです。