御用材を伐り出す木曽の御杣山。「木曽」の語源は麻が関係している?

皇祖・天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする伊勢神宮では、20年に一度、御社殿と御装束神宝をあらたにして大御神にお遷(うつ)りいただく、「神宮式年遷宮」が斎行されています。

第63回神宮式年遷宮では、大御神を新宮(にいみや)にお遷しする「遷御」を令和15年に控え、令和7年春よりその諸祭が開始されています。

神宮式年遷宮で、皇大神宮(内宮)・豊受大神宮(外宮)のほか、別宮など計65棟が立て替えられます。

必要となるヒノキの御用材は、総材積約8500立方メートル、本数にして約1万3000本にのぼります。

このヒノキを伐り出す御杣山(みそまやま)は、持統天皇4(690)年の第1回遷宮から鎌倉中期に至る約600年間は、ほぼ宮域内で選定されていました。

その後、宮域内で良材が得られなくなると、御杣山は他所に求められるようになり、江戸時代半ば以降はおおむね木曽地方に移り、現在に至っています。

遷宮の御用材となるヒノキは「御神木」として丁重に扱われます。

天皇陛下の御治定(ごじじょう、お定めいただくこと)により、第63回の遷宮の御杣山も、前回と同じく木曽谷国有林(長野県木曽郡上松町)および裏木曽国有林(岐阜県中津川市)に定められました。


ところで木曽は、続日本紀をはじめとする歴史的な書物上は「岐蘇」「危村」「吉祖」「木曽」などと書きあらわされています。

この語源については、以下の3つの説があります。


1.「き」は生糸・生酒などの「き」で、純粋なものをあらわす。「そ」は麻苧(精麻)をあらわし、麻を植えて、それで布を織ったため。
2.着麻(きそ)または着衣(きそ)による。この地の人がいつも麻の衣を着ていたことによる。
3.急流で川床が小石で一面に敷きつめられた美しい流れをアイヌ語でキソと呼ぶことによる。

“きそ”という言霊から何を感じるでしょうか?「日本は言霊幸わう国」です。

木曽の語源に麻が関係している可能性について、ご紹介させていただきました。

 

 

・参考文献

「皇室」令和7年春106号(公益財団法人 日本文化興隆財団)

神社参拝の際に鳴らす鈴の意味とは

多くの神社には、拝殿の中央、ちょうど賽銭箱の真上あたりに、銅や真ちゅう製の大きな鈴〔本坪鈴(ほんつぼすず)、鈴上部の太鼓の胴の形をした部分を“坪環”というため、本坪鈴というようです〕が吊られており、この鈴に添えて麻縄や、紅白・五色の布などを垂らして、参拝者はこれを振り動かして鈴を鳴らし、お参りをします。

神聖なる鈴を鳴らす縄であるため、古来神聖な植物とされる麻でもともと作られてきました。(鈴緒といいます)神社によっては神仏習合の影響により、鈴の代わりに鰐口(わにぐち)が設けられている場合もあります。

社頭に設けられた鈴は、その清々しい音色で参拝者を敬虔な気持ちにするとともに参拝者を祓い清め、神霊の発動を願うものと考えられています。(鈴緒の「緒」の文字には「魂をつなぐもの」という意味合いがあります)

国産大麻(精麻)でできた鈴緒(保護網付き)
国産大麻(精麻)でできた鈴緒(保護網付き)

また、巫女が神楽舞を舞う際に用いる神楽鈴も、社頭の鈴と同様の意味によるものです。古くは巫女が神楽を舞うことにより神がかりして人々に神の意志を伝えており、このために必要なものとされていました。

このほか、お守りなどの授与品に鈴が用いられるのは、魔よけや厄よけ開運のためともいわれています。

古事記や日本書紀には記されていない神祇祭祀に関わる古伝承も載せられている「古語拾遺(こごしゅうい)」という平安時代の書物には、天の岩屋にお隠れになられた天照大御神の心をひくために、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が鈴をつけた矛を持って舞ったことが記され、宮中では天皇陛下が天照大御神をご親拝なされる際に、女性で祭祀をつかさどる内掌典(ないしょうてん)が御鈴を鳴らして奉仕することがあるように、神事における鈴振りは今日まで重要な意味を持ってきています。

 

 

・参考文献

「神道いろは」神社本庁教学研究所監修(神社新報社)

「明治19年創業 神社仏閣用麻製品調整 株式会社山川パンフレット」