伯家神道の五魂について

伯家神道の五魂についてこちらにまとめていました。

もう少し書いてみます。

五魂とは、荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・奇魂(くしみたま)・幸魂(さきみたま)・精神魂(くわしみたま)です。

荒魂 —– 生成・再生の「みたま」。生命エネルギーの本源。

和魂 —– すべての生命は全一のつながりをなしてある。縁を生きる生命の本質—柔和・精熟した「自然体」をなす「みたま」。

奇魂 —– 「祈り」のみたま、顕幽を一如にむすび、不可能を可能にし、奇跡を起こし真理をあらわす「みたま」。

幸魂 —– 「愛」のみたま、与えて与えて与えつくす「みたま」。幸せを生む「みたま」。

精神魂 —– 「統合」のみたま、四魂を旋律的に統合して人格をなす。

そして、五魂を鎮めるのが六種の拍手です。

十種神宝御法では拍手をさずけていただきます。(拍手によってどういう神様を迎えるかが異なります)

 

 

見えるものと見えないものをつなぐ

令和2本目。見えないもの、、霊の話をしようとしているのではありません。

伯家神道・十種神宝御法の修行座には食べること、食事も含まれています。

どうやって食べるか。

・食前感謝のことば

たなつもの(食物)百々(もも)の木草も天照らす日の太神(おおかみ)の恵み得てこそ

・食後感謝のことば

天地(あめつち)の神の恵みを見に受けて満ちたる生命(いのち)うけひ励まん

天地の恩、社会の恩、親・先祖の恩。いただく時このことを思いながらご飯をまず三口かみしめるのです。教わってすごくいいことだと思い、それからこの「三口かみしめる」のを毎食事時にしています。このおかげで一粒の米、一滴の汁まで尊いと思えるようになりました。

天地の恩は、天体の運行、太陽、月、雨、風、雪、花、山、川、草、木、大地、海など自然の営み、神々に対する恩。自然の恵みがなければ、ということです。

社会の恩は、あまたの人々の働きに対する恩。米にしても農作業した人、運んだ人、売った人など自分の口に入るまでにさまざまな人の働きがあるわけです。

親・先祖の恩は、自分という存在には親がいて、親にはまたその親がいて、その親にはまた親がいてという命の連鎖に対する恩です。10代さかのぼると、、

食事の前にいただきます、終わったら、ごちそうさまと言う人がいます。

(前略)もう1つ、日本が世界から尊ばれているのは神道が国家精神の背景にあるということです。日本には「八百万の神」という言葉がありますね。山や川にも神さまが宿るという考え方はとても神聖で神秘的です。日本人は世界で一番自然に近い民族だと私は思います。
食べ物に関してもそうですね。「もったいない」「いただきます」の心は、食べ物の命に対する敬いの気持ちです。食堂などで見ていても、日本人の多くは1人で食事をするときでもいただきますと言います。中には胸の前で両手を合わせる人もいます。そして食べ終わると「ごちそうさま」と言う。
日本以外の民族ではそういうことはありません。店員に「サンキュー、グラッチェ」を言う人はいますが、敬虔なクリスチャンでなければ黙って食事を始めて黙って終えていきます。(後略)(「地方再生のレシピ」マンリオ・カデロさんの言葉より)

3.11の震災の後、「絆」という言葉がしきりに言われました。絆は目には見えません。

それと同じように天地の恩、社会の恩、親・先祖の恩は目には見えません。感じるものです。

日本人は昔から目に見えるものはもちろん、目に見えないものを大事にして生きてきたんだろうと思います。

すべてつながっています。

本当に見えないものの話は機会ありましたらまた。(^_-)

 

 

・参考文献

「地方再生のレシピ」奥田政行著(共同通信社)

伯家神道について少し

こちらに伯家神道のことを書いています。正直、実際のところ字面で伝えられないことの方が多いです。

しかしここでは言葉にしないと伝わらないので書いてみます。

 伯家神道・十種神宝御法とは

宮中祭祀を司ってきた神祇伯に連綿と受け継がれ、今に継承された「みそぎ行法」のことと上記リンク先で書いてます。難しいことはわかりません。

私は知人の神職の紹介で、古神道の奥義を広く一般に相伝するための修行座をおこなっている神社の直門として縁をいただきました。

みそぎとはきれいになること。きれいにならないと道が開けていかないというとおわかりになるでしょうか?

行が進むと八種から「拍手」を授かります。それはどういう神様を迎えるかということ。つまり八種には八種の拍手、七種には七種の拍手、、があるということです。

十種神宝御法の許状
十種神宝御法の許状(八種)

何を置いても体験されるのが一番わかりが早いと思います。

命を大切にしているのが古神道

古神道とは古い神道ではなく本来のという意味ですが、私がもっとも感銘を受けたのは、命を大切にしていることです。

この世のすべては生命。そう日本人は認識しました。日本人にとって「物」は存在しません。古代においては「もの」という言葉は鬼を意味するものであったそうです。

目の前のものはすべて命。そうとすれば例えば、日本の文化が自然を大切にしているのもわかりますし、もったいない、いただきます、ありがとうといった普段私たちがよく使う言葉がより心に響きます。

息のみそぎ、大声の祓い等とともに行じることでそういうことがわかってくるのがすごいと思います。

そして、すべての命は同じ、すべての命はつながっているんですね。

古神道は日本の文化の源流

もともと先祖供養は神道ですし、ヨガのもとになったのも古神道にあります。祓いはもちろん、拍手、祓祝詞、作法、古事記などを学ぶにつれ、古神道は日本の文化の源流だと思うようになりました。

祭式作法の書籍
祭式作法の講習会に参加した際いただいた本

さぬきいんべ創業当初、おお麻(ヘンプ)文化の復興をテーマにしていましたが、それを追いかけていると知らず知らずのうちに機織り、草木染め、自然布、糸魚川ヒスイの勾玉、いわゆる手仕事、民藝などが不思議に身の回りに集まってることに気づいたのが2~3年ぐらいたってからです。

スピリチュアルなどで、「ゼロ」の状態になると必要なものが向こうからやってくるというのはそういうことと思います。

文字通り「さぬきいんべ」として

日本には言霊という考え方があり、「言葉には現実の出来事を引き起こす力がある」とされてきました。

日本の古代史の舞台で活躍したとされる忌部氏とは、「穢れを忌み嫌い、神聖な仕事に従事する集団」との意味があるそうです。人のご縁から、これしかないと名付けた「さぬきいんべ」は、類は友を呼ぶ、名は体を表すという感じで、本当に名前の通りそんな風になってき現在に至っております。

さぬきいんべでは、特に神具、アクセサリー類は清浄であることが重要と考え、上記の伯家神道の修行座で教わった潔斎の方法(火打ち石を使う)で、潔斎してお客様にお届けしております。

また、ある月次祭でお供えされる伊勢エビ、アワビ、鯛をしばる麻紐を毎月つくったり、お供え物をきれいにならべたり神事に関する準備もしております。

 

 

参考文献:

「日本の建国と阿波忌部」林博章著

「みそぎ第十号」(伯家神道)