大和朝廷で神事を担当した氏族、中臣氏と忌部(斎部)氏について

かつて、大和朝廷で神事を担当した氏族が中臣(なかとみ)氏と忌部(いんべ)氏でした。

忌部氏は中臣氏の祖である天児屋命(あめのこやねのみこと)とともに天岩戸の前で奉仕した太玉命(あめのふとだまのみこと)を祖とし、祭祀具をつくりととのえる一族です。

平安時代中期の律令(りつりょう)の運営マニュアル、「延喜式」(神祇)には「践祚(せんそ)の日は中臣が天神の寿詞(よごと)を奏し、忌部が神璽(しんじ)の鏡剣を上げる」とあり、分業体制でした。

しかし、中臣氏と幣帛使(へいはくし)就任をめぐって大同元(806)年8月に「両氏相訴」の論争が生じたことが「日本後紀」に載ります。

このときは「両氏を取って用い、必ず相半し当てる」とされましたが、現実的には中臣氏の勢力は増す一方でした。

 

先日、いくつかの神社を参拝して、忌部氏と中臣氏の和合などをこれからお祈りする予定と代々、巫女の家系というお客様がいらっしゃいましたので、すでにご存じの方にはアレですが、中臣氏と忌部氏についてご紹介させていただきました。

 

 

・参考文献

「呪術と科学の有職故実図鑑」八條忠基著(平凡社)