日本を訪れる外国人観光客は、和食がユネスコ無形文化遺産に登録された2013年に1000万人を越え年々増加、2018年には3000万人を突破しました〔日本政府観光局(JNTO)調べ〕。
2020年には東京オリンピックが予定されており、さらに増加することが予想されます。
外国人観光客が増えると、私たち日本独自のものとは何?と考えますね。私が感じる日本と西洋のちがいをご紹介したいと思います。
・多神教⇔一神教
日本は多神教、八百万(やおよろず)の神で、水の中には水の神、木の中には木の神がいるというように、ありとあらゆる自然物に神様がいると考えます。例えば、神社のご神木にしめ縄が巻かれているのはご存じですね。
それに対してキリスト教は一神教です。
・なるようになっていく、なるべくして、なる(かむながら)⇔ナニナニすべき
日本は、「かむながら」の精神で、(神の御心のままに)なるようになっていく、なるべくして、なるという考え方です。
一方、西洋は非常に目的志向が強い、ナニナニすべきと、思想や理念に頼り相手を説得していこうという啓蒙主義的な考え方です。
・きれいきたない(伊邪那岐命のミソギ)⇔善悪(アダムとイブ)
日本人はきれい、きたないを大切にします。古事記において伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は黄泉の国から帰ってケガレを洗い流すためにミソギをします。それから、人をののしるとき「きたねーゾ」と言う人もいます(笑)。
西洋は前述のごとく、~すべき、~してはいけないと善悪を大切にします。
・型(作法、祭り、伝統行事など)⇔論理(ナニナニすべき)
日本は「型」を大切にし、型で伝承されます。芸道でもそうでしょう?その型の中に大切なものがすべて詰まっているように思います。
そういう目で見ると、地域の祭りや伝統行事は、型が伝承され子々孫々まで伝わっていきます。300年続いている地元の西条まつりを以前にも増して大切にしたいと思うようになりました。
対して、西洋は論理(ナニナニすべき)で伝達されます。
・水平的(動作、作法)⇔垂直的
弓道(弐段)の体験もありますのでわかるのですが、日本の作法は水平的ですよね。流れるような感じで動いていきます。対して、西洋の格闘技、ボクシングなどは動きが激しく、また上下(垂直的)のフットワークで相手に対しようとします。他にも例がありそうです。
・はらう(引き算)⇔付加・盛る(足し算)
はらうと言えば、やはりまず思い浮かぶのは神社の「お祓い」でしょう。
伯家神道も祓いを大切にします。体験者はうなずきますね。^^
他にも日本人にとって香りは、西洋の香水のように人をひきつける機能よりも、邪気をはらう方が目的です(これは別のところで紹介させていただこうと思います)。
・言霊(母音、子音+母音)⇔言葉
日本には言霊という思想があります。私は祝詞の中でも身曾岐祓を唱えるととても気持ちよく感じます。またはじめて聞いたとき子守歌のようだと思いました。
なんとなれば日本語はすべて母音が伴っているからなんですね。それから何気なく使っている日本語だけでなく、日本語の古語、大和言葉にも興味を持つようになりました。
対して英語は、議論、討論、そういうのに非常にいいですが、気持ちを伝えるとかニュアンスを伝えるのは不向きとされます。
・自然順応・尊重⇔自然克服
日本は自然を大切にします。
神というものは植物、花、いろいろなものの中にあまねく存在しているというのが日本人の自然観、目の前にあるひとつ1つが神、命とすればなおさらです。
私たちの食生活というのは実は神様と私たちの出会いなんです。
西洋は自然はものですから都合のいいように破壊していきます。
・和(全体、一元)⇔分離(個)
日本人が和を大切にするというのはご存じのとおりです。すべて同じ命ですしすべてがつながっているんですから。
障子や欄間は空間を完全には遮断してません。1つの空間としてみているんですね。
私は、20歳過ぎても西洋がすばらしく日本はダメと考えてきました。「ここがヘンだよ日本人」というTV番組もありました。日本の音楽よりも洋楽をよく聞いていたし、目の前のものは「もの」でした。
ところが、知人のすすめで伯家神道・十種神宝御法の修行座を受け、学ぶうちに日本の文化はすばらしいと思うようになりました。高校時代、弓道をした体験(弐段)と相まって日本を見直しました。
自分が気づいたことを伝えたい、古神道で重要視されている祓いといえば、おお麻(ヘンプ)だと思い、今日のさぬきいんべがあります。
再び、日本的なものが注目されている時代。2012年は古事記編纂1300年の節目でした。
来る2020年は東京オリンピックの年だけでなく、日本書紀が完成してから1300年の節目です。
参考文献:
「みそぎ」(伯家神道)
「ヘンプ読本」赤星栄志著(築地書館)