国産大麻(精麻)・みろく叶結び飾りに、高さ約55センチの特別版

このたび、国産大麻(精麻)・みろく叶結び飾りに、高さ約55センチの特別版が加わりました。

約55センチはお客様からご要望があった高さで、“ひき撫で”ができるサイズとして考慮されたものです。

試作してできあがったものを見ると、房部分が約36センチになっていました。

これは、2年前に誕生した、みろく叶結び飾りの経緯と同じで、意図しないで、36(みろく)という数字が現れました。

紐部分の太さは16ミリで、「今」に必要な力強い叶結び飾りになっていると思います。

ふさわしい方、お役目のある方(必要としている方)に届けば幸いです。

国産大麻(精麻)・みろく叶結び飾り

忌部氏と中臣氏の和合と封印を解く、安房~上総~常陸の祈りの旅

3月、天之御中主(あめのみなかぬし)様を代々お祀りしている巫女の家系とおっしゃる方より、お問合せがありました。

春分の前後に安房~上総~常陸の祈りの旅をする予定で、下記の神社をまわります、と。

千葉神社→洲崎神社→安房神社→天之御中主神社→玉前神社(神洗神社)→白子神社→猿田神社→香取神宮→息栖神社→鹿島神宮

目的は、忌部氏と中臣氏の和合と封印を解くこと。

「ある依り代を包む麻布か、麻紐でもいいので、何かよいものがありますか?」

後日お電話をいただき、麻紐、麻縄を数種ご提案し、麻布は手元にあった生地見本としていただいたものと一緒にお送りさせていただきました。

 

その後どうなったのかと思っていましたら、メールで今回の祈りの旅がうまくいったとご報告をいただきました。

この旅の途中、全国でこの方がまわっているところだけ悪天候だったそうですが、それは浄化のサインだったとのこと。

今回の旅に出た理由、経緯もすこし添えられていました。

 

このような活動をされている方が他にもいらっしゃるのでは?と思い、シェアさせていただきます。

4/5京都の水火天満宮、4/18出雲大神宮にて「みろく涼香舞」を奉納

今年も謡曲仕舞奉納家・一扇様が4月5日(日)の水火天満宮(京都市)の櫻花祭にてみろく涼香舞を奉納されました。

 
 
 
 
 
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前日の雨に清められた清々しい境内には、美しい桜が静かに待っていてくれたそう。

世界平和への祈りを込めてみろく涼香舞「草子洗」を舞われた一扇様は、「真善美」に「愛」を加えた「真善美愛」を大切にされているとのことです。

21世紀は国際化が進んで広い教養が必要になってくる。最近あまり言われなくなりましたが「真善美」の言葉を取り上げます。

これからの社会においては真だけでは不十分であり、善を実践する努力をしなければなりません。ただ何が善であるかを判断する基準は簡単でなく、究極的に何によって判断するかと問われれば、それはその人の持つ美に対する鋭い感覚によると言わざるを得ないのであります。そして美的感覚を磨いている人の判断はまず間違わず、その実践は正しく、また社会に対して善をもたらすことになるでしょう。

したがって、これからますます複雑化し、何が正しいかが明確化しない21世紀社会において、この美的感覚は欠くことのできないものであると思います。そういった意味で、私は「真善美」の中で美が最も高位に位置するものと考えております。(平成11年4月、長尾真・元京都大学総長による入学式式辞より抜粋)

同日、観世流(梅若派)緑幸会主宰の能楽師・井上貴美子氏、井上須美子氏、井上裕美子氏、緑幸会会員による仕舞も奉納されました。

 

4月18日(土)には、出雲大神宮(京都府亀岡市)で鎮花祭(はなしずめのまつり)が斎行され、そこでも「みろく涼香舞」を奉納されるそうです。

鎮花祭は、疫病と干ばつを鎮め病気平癒と雨乞いの神事で、平安時代より千年余り続いているそうです。

けがれたら浄めればいいという考え方。日本の浄めの儀式、水と塩と麻

日本人の清浄感であり、罪悪感でもあるケガレと浄めについてです。

心身が汚れてしまった、悪いことをしてしまった、と感じるのがケガレという感覚です。逆に心身ともに清浄潔白であると感じるのが浄めです。

多くの日本人は、ケガレはあらゆるところに散らばっていると考えています。

街を歩いていても、どんなケガレを拾ってしまうかもわからない。たまたまケガレを拾って、体にくっついてしまったように感じるのです。

洗ってしまえばまたすぐにきれいになるというのが、日本人のケガレの感覚です。

キリスト教のような罪というものが体の奥深く入っている、という原罪という考え方は日本人にはないです。

ですので、けがれたら浄めればいいというのが、日本人の考え方です。

そのために浄めの儀式、または仕草というものが日本人の生活のいたるところにあります。

浄めのために一番有効なものが、水と塩と麻(精麻)です。

一番手近なのは、水で洗う。そしてもっと強力なのは、塩で浄める。さらにその上が麻で祓う、ひき撫でるという方法です。

麻については、天皇の即位後の践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)で、麻織物・麁服(あらたえ)が調進され、斎行される他、神社において神主さんが大麻(祓串)を用いてお祓いしたり、参拝の際に拝殿前の鈴緒を振って鈴を鳴らしたり、巫女が髪を精麻で結んだりします。

国産精麻でできた祓串(はらえぐし)(写真は高さ約30センチのもの)
国産精麻でできた祓串(はらえぐし)(写真は高さ約30センチのもの)

大相撲では、関取が土俵に上がるときに塩をまきます。浄めのために塩をつかっているのです。

この塩よりやさしいのが水。

茶の湯では手水鉢の水で心身を浄めて、にじり口を通って、茶室に入る許しが得られるのです。

 

 

・参考文献

「楽苑94号」熊倉功夫氏”茶の湯について”(SHUMEI PRESS)

「日本の建国と忌部」林博章著

 

もっとも身近な神様のいますところとしての「神棚」との向き合い方

神棚は、宮形の前の左右にサカキや灯明具を立て、正面には神鏡を据え、その前にお供物をしておまつりします。

なぜ、神前にサカキをお供えするのかというと、サカキは神様と人との境目にある木の意味だからです。一般には「栄える木」を意味しています。

神棚の前に神鏡を安置するのは、神前で拝むおのれの心をそこへ映すことにより、自分の心をかえりみるためです。

神棚の宮形には、「一社造り」と「三社造り」があります。この御殿のなかにお神札をおさめるのですが、三社造りの場合は、中央を最上位とし、次が向かって右、その次が向かって左という順序です。

通常、「天照皇大神宮」という神宮大麻を中央に、向かって右に氏神様、次に信仰のある神社のお神札を左に奉安することになっています。

お灯明は、灯明皿かロウソク立てをつかいます。

神棚の前面には、しめ縄を掛けます。しめ縄は、元の太い方を神棚に向かって右に、末の細い方を左になるように掛けます。

毎朝のお供えは、洗米・水・塩で、欠かさないでほしいと思います。

神棚のまつり方の例(写真はお客様提供)
神棚のまつり方の例(写真はお客様提供)

 

単身用のマンションやアパートなどでなかなか神棚を設ける場所がない場合は、平らな場所の上をきれいに片付け、その上にお神札を立てて、その前に折敷、あるいは盆を置き、米と塩と水を供えるのはいかがでしょうか。

なぜ、家のなかに神棚を設けるのでしょう?それは、その家庭の繁栄と、そこで生活する人々の平和と健康を祈るとともに、神様に感謝を捧げる場所を設けるためです。神様に対する畏敬の気持ちを自分なりに表現できればいいです。

 

 

・参考文献

「厄除け厄祓い大辞典」三橋健著(青春出版社)

「家庭の祭祀事典」西牟田崇生著(国書刊行会)

大和朝廷で神事を担当した氏族、中臣氏と忌部(斎部)氏について

かつて、大和朝廷で神事を担当した氏族が中臣(なかとみ)氏と忌部(いんべ)氏でした。

忌部氏は中臣氏の祖である天児屋命(あめのこやねのみこと)とともに天岩戸の前で奉仕した太玉命(あめのふとだまのみこと)を祖とし、祭祀具をつくりととのえる一族です。

平安時代中期の律令(りつりょう)の運営マニュアル、「延喜式」(神祇)には「践祚(せんそ)の日は中臣が天神の寿詞(よごと)を奏し、忌部が神璽(しんじ)の鏡剣を上げる」とあり、分業体制でした。

しかし、中臣氏と幣帛使(へいはくし)就任をめぐって大同元(806)年8月に「両氏相訴」の論争が生じたことが「日本後紀」に載ります。

このときは「両氏を取って用い、必ず相半し当てる」とされましたが、現実的には中臣氏の勢力は増す一方でした。

 

先日、いくつかの神社を参拝して、忌部氏と中臣氏の和合などをこれからお祈りする予定と代々、巫女の家系というお客様がいらっしゃいましたので、すでにご存じの方にはアレですが、中臣氏と忌部氏についてご紹介させていただきました。

 

 

・参考文献

「呪術と科学の有職故実図鑑」八條忠基著(平凡社)

大麻(祓串)の役割に代表される「祓い」とは何をどうすることか

禊ぎと祓いはその働きが似ていることから密接な関係をもち、「禊ぎ祓い」や「祓い禊ぎ」というように、両者は複合語としてつかわれてきました。

「古事記」で伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が禊ぎをするために「御身をすすぎたまう」とあるのが禊ぎにあたります。

「祓い」とは本来は「祓え」で、古語では「祓へ」、「祓い」は古語では「祓ひ」です。

現在では「祓い」と「祓え」は同じ意味でつかわれています。

厳密には両者は異なり、「祓い」は「罪、けがれ、災いを自力で祓い清めること」で、一方の「祓え」は「罪、けがれ、災いを祓えの神様に祈り、神様が祓え清めてくださる」という意味です。

 

神社へ行くと、神主さんが大麻(祓串)を振って私たちの罪・けがれ・災いを祓え清めてくださいます。

大麻(おおぬさ)とは、神社でお祓いを受けるとき、神主さんが私たちの罪・けがれ・災いを祓え清めてくれる、それにつかう道具(祭具)の1つです。形は、サカキの枝、あるいは白木の棒の先に紙垂ないし精麻(麻苧)をつけたものです。

神社の拝殿のなかには祓戸(祓所、祓殿)が設けられていて、そこにお祓いの神様がまつられています。

お祓いの神様とはどのような神様か?

これは「祓戸四柱の大神」といい、「大祓詞(おおはらえことば)」にみえる瀬織津比売(せおりつひめ)・速開都比売(はやあきつひめ)・息吹戸主(いぶきどぬし)・速佐須良比売(はやさすらひめ)の四柱の神様のことです。

これらを「祓戸四柱」「祓戸四柱大神」「祓戸大神」などともいいます。これらの神様が私たちの罪・けがれ・災いを祓い清めてくださいます。

 

 

・参考文献

「厄除け厄祓い大辞典」三橋健著(青春出版社)

「現代語古事記」竹田恒泰著(学研)

 

国産大麻(精麻)しめ縄のご予約特典、草木染め叶結びアクセサリー。5色が勢ぞろい

2021年より、国産大麻(精麻)しめ縄のご予約特典としてプレゼントしております草木染め叶結びアクセサリー。

それぞれの高さは約10センチ。当初は藍染め版と茜染め版からはじまり、22年に黄色(ざくろ染め)版、そして昨年、緑色(藍+ざくろ染め)版と紫色(藍+茜染め)版が加わりました。

国産大麻(精麻)草木染め叶結びアクセサリー各5色
国産大麻(精麻)草木染め叶結びアクセサリー各5色

これらの染めは、神道、つまり神事や祭礼でつかわれる色を藍染め、草木染めで実現。本体は、きなりとそれぞれの染めと組合せ、叶結びを施してリボン風に仕上げております。

なお、この草木染め叶結びアクセサリーは、しめ縄や鈴緒など神社仏閣用の麻製品を調製する京都・山川製で、国産精麻のしめ縄をご予約いただいた方へプレゼントしているもの(非売品)です。

今年も、しめ縄を昨年ご予約いただいた方へ送付中です。(年明け後に前年のご予約分の特典をお送りしております。まだ届いていない方はもうしばらくお待ちください)

なぜ、神社の境内はいつも整備され、きれいに掃き清められているか

神社(仏閣)へ行くと、境内はいつも整備され、落ち葉もきれいに掃き清められています。

このことは、奈良時代に規定があって以来のようです。

平安時代に編纂された法令集、「類聚三代格」に残る宝亀8(777)年3月の太政官符「督課諸祝掃修神社事」で、神社はいつも掃除をし、破損したら修繕せよと規定されています。

この後、命令がなし崩しになってしまわないように何回か同じような命令が出ており、弘仁3(812)年5月には風水害や火災のときは朝廷に報告せよ。それ以外で社殿の損傷を放置するなどしたら位階剥奪、無位の白丁なら杖打百回の刑に処す、と厳しいお達しがあったようです。

かつては、全国の神と神社を朝廷の管理下に置く目的で、「従五位下に叙する」など神に位階を授けることがおこなわれました。(神階は諸司諸国が申請して天皇が定める)

 

ただ、日本の麻の文化を含めた清潔にする、あるいは、きれいきたないという精神の根本は、こちらで書いた伊耶那岐命(いざなぎのみこと)の禊祓の起源にあると思います。

これからも神社もお寺もきれいであってほしいです。

 

・参考文献

「呪術と科学の有職故実図鑑」八條忠基著(平凡社)

神話・黄泉比良坂の戦い、桃の実の“モモ”とは?禊祓の起源について

古事記には、伊耶那岐命(いざなぎのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)の二柱の神による国土創生の「国生み神話」が描かれており、その中で日本で最初に生み出された島が淡路島とされています。

 

遠くはるかな昔、男の神と女の神がいらした。
男の神を伊耶那岐尊、女の神を伊耶那美尊といった。

そのころ大地は、かたまったばかりであったから、ふたりの神は、たくさんの神々を生み、国づくりをすすめていた。

ところが火の神をお生みになった時、伊耶那美尊(妻神)は、おおやけどをしてお亡くなりになる。

伊耶那岐尊(夫の神)は大変お嘆きになった。泣いて泣いてなきつくした時、伊耶那岐尊は立ち上がった。
「こうしてはいられない。妻の行った黄泉(よみ)の国へ行き、妻を連れ戻すのだ。」

そして、暗い地の底にある死の国、黄泉の国へ降りて行った。

黄泉の国の御殿の扉にたどりつくと、締め切った扉を開けて妻神が出てきた。
夫の神は、二人でつくった国は、まだ完成していないから、もう一度帰ってきて欲しいと頼まれたが、妻神は、すでに黄泉の国のかまで炊いたものを食べたので帰れない。
しかしせっかく来てくださったのだから、黄泉神にかけあってみます。その間、決して私をみないで下さい。と言って奥へと戻っていった。

伊耶那岐尊は長いこと待っていたが、妻神はなかなか出てこない。我慢ができなくなって、御殿の中に入り、櫛(くし)の歯の一本に火を灯し中を見た。
するとそこには、体中に蛆(うじ)がはいまわり、雷神(いかづちがみ)が巣くっているかわり果てた妻神が横たわっていた。

伊耶那岐尊はびっくりしたのと、怖かったので、叫び声をあげて逃げ出した。
それに気付いた妻神は、よくも私に恥をかかせたと、黄泉醜女(よもつしこめ)たちに命じて夫の後を追わせた。

伊耶那岐尊は、夢中で逃げ続けたが、醜女たちはすぐに迫ってきた。
そこで髪に刺してあった黒い髪飾りを取って投げられた。
それはたちまち、ブドウの木に変わった。
醜女たちがブドウを食べている間に逃げる。

また迫る。
今度は櫛を放る。
タケノコが生えてくる。
醜女がそれを食べる間に逃げ続ける。

そのあり様を見た妻神は、歯をかみならし、雷神に黄泉の軍勢千五百をつけ、伊耶那岐尊を追わせた。
伊耶那岐尊は腰にさしておいでになった十握(とつか)の剣をぬき、後手に振りながら、黄泉の国と現界との境の黄泉比良坂を駆け上がった。

やっと黄泉比良坂の坂本、黄泉の国の出口にたどりついた時、あわや追いつかれそうになったので、そこにあった桃の木から、桃の実三個を取って彼らに投げつけた。
黄泉の国の者たちは桃の実を怖れて逃げ帰った。

桃の実の不思議な働きによって、戦いは、伊耶那岐尊の勝利におわった。

伊耶那岐尊はほっとして桃の実をなでさすり、桃の実に向かって「お前は、私を助けたようにこの現世にいる多くの人々が辛い境遇に落ちて、苦しみ悩んでいる時に助けてやれよ。」とおっしゃって意富加牟豆命(おほかむずみのみこと)【大神の実】の神名をお与えになった。

 

伊耶那岐尊は、けがれた黄泉の国に行ってきたので、禊(みそぎ)をしてケガレを祓おうと思し召して、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊祓(みそぎはらい)をされたのです。(そこで生まれた底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神の三柱の神が海神三神、底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命の三柱の神が住吉三神です)

これが祝詞に生かされ「言霊の幸わう国」として、神事に欠かすことができない大切な儀礼として用いられております。つまり、禊祓の起源です。

「黄泉比良坂の戦い」は、神軍と邪神軍、正邪の戦いです。そして、勝利への大役を果たしたのは桃の実でした。

桃(もも)というのは日本語であり、漢字の音読みではモモではなくトウです。

日本語のモモには、桃のほかにもうひとつのモモがあります。

「ひふみよいむなやここのとお、ももちよろづ」という数え方があります。この「もも」、百をモモと言います。「ち」は千、「よろづ」は万です。

 

 

・参考文献

「AWAJI ISLAND guide book」(一般社団法人 淡路島観光協会)

「現代語古事記」竹田恒泰著(学研)

「呪術と科学の有職故実図鑑」八條忠基著(平凡社)

「みそぎ 第18号」(伯家神道)