古文献に見られるアサ(おお麻)、神聖なる植物と布=アサの側面

絹とともに日本人の生活を支えたアサは、神聖なものとされてきました。

神様の衣類「神衣(かんみそ)」は、絹でつくる「和妙(にぎたえ)衣」と麻布でつくる「荒妙(あらたえ)衣」の2種類を必ずセットにすると平安時代の法典、「延喜式(えんぎしき)」(神祇式)にあります。

天皇即位後の「大嘗祭(だいじょうさい)」でも三河国(愛知県)の絹織物、繪服(にぎたえ)と阿波国(徳島県)の麻織物、麁服(あらたえ)が用いられ、この伝統は今日まで受け継がれています。

また、サカキに神に供える「白和幣(しらにぎて)」は絹、「青和幣(あおにぎて)」は麻布で、これは「古事記」、「日本書紀」の天岩戸の場面に登場します。

6月と12月の「大祓」など、神事で用いられる「大幣(おおぬさ)」は本来、アサの繊維を束にした大麻です。

 

「魏志倭人伝」には、「倭人はカラムシとアサの栽培と養蚕を行い、布や縑(かとり、固織りの絹地)を作る」と記されています。

室町時代の末期に綿(ワタ)が再び伝来するまで、庶民の衣類のほとんどはアサで作られていました。

特に奈良時代以降は、ただ「布」と言えば、麻布のことを意味しました。麻布は絹とは異なり手軽に水洗い洗濯できることも、庶民の衣服の素材として大切な特性だったと思われます。

貴族の日常着となった狩衣(かりぎぬ)は、元来は鷹狩り用のカジュアルな衣服で麻布だったため、「布衣(ほい)」とも呼ばれていたそうで、のちに無文の狩衣を絹製でも布衣と呼ぶようになりました。

自然を愛し尊んで生きてきた日本人が関わってきた植物の1つがアサではないでしょうか?

 

 

・参考文献

「有職植物図鑑」八條忠基著(平凡社)

「日本の建国と阿波忌部」林博章著

「現代語古事記」竹田恒泰著(学研)

平安時代の「延喜式」に見られる食材の1つ、麻の実から見えること

おお麻は有用植物で、茎は繊維製品、製紙材料になり、また麻の実はたんぱく質が豊富、脂肪酸などの含有バランスもよい健康食品として知られます。さらに油も抽出できます。

平安時代中期に編纂された「延喜式(えんぎしき)」は、実際に朝廷を運営するための施行細則、マニュアルの1つです。(延喜式はほぼ完全な形で残っているため、古代の研究で重要視されているそう)

たとえば延喜式(民部)では、「年料別貢進物」として、相模国(いまの神奈川県)から6斗、下総国(いまの千葉県北部と茨城県南西部、東京都東部)から7斗、常陸国〔いまの茨城県(南西部をのぞく)〕から7斗、下野国(現在の栃木県、群馬県一部)から3斗の麻子(麻の実)が貢納されています。

※1斗は、量の単位で10升(約18L)のこと。

「延喜式」(主計)では阿波国(いまの徳島県)からも中男作物(17歳から20歳の男子をつかって貢納する作物)として麻子が納められています。

平安時代にはこれらの地域が、おお麻の生産地として知られていたということです。

ちなみに、この時代は現代とちがい、ほとんど味付けの調理はしなかったようです。それだけに素材のおいしさが最も重要でした。

日本では、単に生きるために食べるのではなく、四季折々の自然からの賜物である豊富な食材をおいしくちょうだいすることこそが、神への感謝につながると考えていたのではないでしょうか?

 

 

・参考文献

「有職食文化図鑑」八條忠基著(平凡社)

「延喜式」虎尾俊哉著(集英社)

「野州の麻と民俗」柏村祐司・篠崎茂雄共著(随想舎)