あわれ あなおもしろ あなたのし あなさやけ おけ
平安時代の歴史書、「古語拾遺(こごしゅうい)」によると、天照大神が御身をお隠しになった天の岩戸から再び世に出てこられたとき、闇に再び御光をいただいてお喜びになった神々が謡い舞った歓喜の情を表した場面の言葉です。
これが「面白い」という言葉のルーツともいわれています。
「おもしろ」は天照大神の出現で明るくなり、互いの「面」が「明白(しろ)」くなったことを言っています。
元内掌典の髙谷朝子氏は生前、この言葉が大好きだったそうです。
一方、室町時代に能を大成した世阿弥(ぜあみ)は、森澤勇司さん〔能楽師 小鼓方、国の重要無形文化財「能楽」保持者(総合指定)、いわゆる人間国宝〕の著書、「超訳 世阿弥」によれば「面白い」の言葉のルーツについて上記の神話に触れた上で次のように語っています。
遊学(ゆうがく=猿楽能)の「面白」とは無心の境地のことである。無心というのは心を通り越した感動を言う。無心に面白いという心はただ「うれしい」ということだろう。無意識にニヤっとしてしまうようなことなのだ。『拾玉得花』
言葉はちがいますが、意味は同じことを言っているのではないでしょうか。
また、「面白い」という言葉がなかった時代、「面白い」はどう表現していたのでしょうかという問いに対し、
「面白い」「花」「妙なる」は、すべて同じ意味である。ただ、これには上、中、下の区別がある。「妙なる」というのは言葉で言い表せないもの、これを感動と認識するのが「花」、言語化したものが「面白い」である。『拾玉得花』
「面白い」の言葉の定義について世阿弥は、かみ砕いて説明をしてくれている感じがします。
世阿弥の哲学を土台に600年間、途切れることなく上演されている能楽。能楽の物語は9割が目に見えない世界を描いているそうです。
・参考文献
「超訳 世阿弥」森澤勇司編訳(ディスカヴァー・トゥエンティワン)