さらに楽しくお伊勢参り。伊勢神宮の豆知識10選

先日お会いした方が伊勢神宮へ行くと言っていました。

そこで、お伊勢参り、伊勢神宮の豆知識をご紹介いたします。(いくつご存じですか?)

1.朝5時から参拝することができる

開門時間の早朝5時から参拝可能。夜は、正月以外は参拝できない。閉門時間は季節によって異なり、1月7日以降、4・9月は18時、5~8月は19時、10~12月は17時。

2.鈴や鰐口、狛犬がない

神社によく設置されている鰐口、そして狛犬がない理由は、これらが確立されるよりもはるかに古い、独自の形式を守っているから。

3.おみくじがない

伊勢神宮に参拝すること自体が「大吉」とされる。したがって、神社にある吉凶を占うおみくじがない。そのかわり、おかげ横丁などで、おみくじを購入することができる。

4.神様へのお供え物はすべて自給自足

祭事でお供えする神饌(神様のお食事)に用いる食材や食器(土器)は、すべて神宮でつくられていて、いにしえの自給自足の生活を大切につづけている。

5.しめ縄がない

神聖な場所を示すものとして用いられるのは、しめ縄ではなく「榊(さかき)」。榊は「境になる木」という意味もあり、鳥居や玉垣などにも使われている。(榊は宮域林と呼ばれる神宮の森で育てられている)

6.式年遷宮のご用材として使うヒノキも宮域林で育成

式年遷宮(20年に一度行われる「神様のお引っ越し」)で使用する御用材となるヒノキは、木曽の御杣山(みそまやま)か伐り出されたもの。また、将来の式年遷宮の御用材にするため、宮域林でヒノキの育成をしている。

7.神棚を置く風習は江戸時代のおかげまいりブームによって発展した

江戸時代の中期移行、おかげまいりの流行もあり、伊勢神宮のお神札を家の中で祀るという習慣が生まれたとされる。

8.三種の神器のひとつ「八咫鏡(やたのかがみ)」がある

三種の神器とは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)に授けた鏡・剣・勾玉で、皇室所有の宝物。その1つ八咫鏡は伊勢神宮に祀られているが、実物は見ることはできない。

9.現職の首相と農水相が仕事はじめに参拝する

毎年、混雑する正月三が日を避けた日に、現職の内閣総理大臣や農林水産大臣などの閣僚が参拝する。

10.伊勢神宮で結婚式をあげることはできない

一般的に、結婚式には「神前形式」があるが、伊勢神宮で結婚式を挙げることはできない。しかし、良縁を願ったり、結婚を神様にご報告する参拝者は少なくないという。

 

イギリスの文明史家、アーノルド・トインビー氏は(1889~1975)は、1967年に伊勢神宮を参拝した際、下記のような感想をつづられています。

Here, in this holy place, I feel the underlying unity of all religions.(この聖地において、私はあらゆる宗教の根底に流れる統一性を感得する。)

世界のあらゆる宗教の根底には必ずアニミズム(※)的な信仰が存在し、伊勢神宮にはそれらを統一する可能性さえ見いだされたのではないでしょうか。

※アニミズム・・・雷や火などの自然現象、岩石や樹木など、生物・無生物を問わず、すべてのものに霊魂の存在があって意識や個性があるとすること。

 

 

・参考文献

「るるぶお伊勢まいり」(JTBパブリッシング)

「神道ことはじめ」吉川竜実著(Total health design)

 

日常に根づいている神祀る日本人のこころ(家庭内に鎮座する神社、神棚)

皇祖・天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りし、日本国民の総氏神として崇敬される伊勢の神宮。

神宮では、年間に1500回に及ぶ恒例祭典が斎行されています。

日本の津々浦々に祀られる神社は、その土地の人々によってそれぞれ手厚く祀られてきました。

毎年、ここで祭りが行われ、豊作を祈願し、感謝してきました。長い間、稲の豊作が社会発展の基礎であったからです。

日本人と米との関係は、日本書紀では天孫降臨に際して天照大神(あまてらすおおみかみ)が仰せられた「三大神勅(しんちょく)」の1つ、「斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)の神勅」に象徴されています。「わたしが高天原で食している斎庭の稲穂をわが御子(みこ)に与えよう」との内容で、天照大神から皇孫に授けられた稲穂が日本人の米食の契機となったことが示されています。

民俗芸能の神楽、獅子舞なども祭りのなかで継承されてきました。神社は、その意味で日本人の祈りの原点です。

そして、神祀る日本人のこころは、日常に根付いています。

そのうちの1つが家庭内に鎮座する小さな神社といえる神棚です。

伊勢神宮のお札である神宮大麻を納めるための棚がその起源とされ、室町時代以降、庶民の間で室内に神棚を設けることが定着しました。

神棚には、神社をかたどった宮形を置き、正面中央に神鏡、左右に榊をかざる榊立て、神灯を照らす灯明を置いて前面上方にしめ縄を張ります。しめ縄は聖と俗をわける象徴で、一般に太い方が正面右にくるようにします。そして、宮形の内部にお札を祀ります。

会社の神棚の事例(写真は、牛蒡型しめ縄)
会社の神棚の事例(写真は、牛蒡型しめ縄)

 

 

・参考文献

「皇室」令和6年秋104号(公益財団法人 日本文化興隆財団)

「図解 神道としきたり事典」茂木貞純著(PHP研究所)

伊勢神宮を創建された倭姫命を祀る倭姫宮ご鎮座から100年を過ぎて

昨年2023年は、伊勢神宮を創建された倭姫命(やまとひめのみこと)を祀る倭姫命宮が創建されてから100周年でした。

倭姫宮が別宮としてご鎮座、創建されたのは1923年11月で、新しい宮です。

 

老齢で衰えた豊鋤入姫(とよすきいりひめ)に代わって、第11代垂仁(すいにん)天皇の第4皇女、倭姫命が御杖代(みつえしろ、神や天皇の杖代わりとなって奉仕する者)となり、大和国から伊賀、近江、美濃、尾張を経て、伊勢の国に入ったところで、天照大御神が神託を与えられました。

この神風(かむかぜ)の伊勢の国は、常世の浪の重浪帰(しきなみよ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うまし)し国なり。この国に居(お)らむと思ふ。

倭姫命は、この神託を得て現在の場所、宇治の五十鈴川のほとりに伊勢神宮内宮を創建したといいます。

後に市民らの働きかけで倭姫宮の創建につながったそうです。

 

倭姫が伊勢神宮を建立するまでに、天照大御神のご神体、八咫鏡(やたのかがみ)を順次奉納した場所は元伊勢と呼ばれます。

記紀の神話では、倭姫命はその後、伊勢の斎宮として朝廷の安寧を祈りつづけました。

後に東征に向かう日本武尊(やまとたけるのみこと)は倭姫命の甥にあたり、倭姫命は日本武尊に天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、別名:草薙剣)を与えました。

 

神道の源流をたどると、縄文文化に行きつくといわれます。

縄文文化は、たとえば、四季の移り変わりに則して緻密な狩猟・漁労・採集スケジュールを組み、それに基づいた秩序ある平和な暮らしを営んでいたこと、高度な精神文化を持ち世界観を表現する記念物もつくっていたようです。

しかもその時代がおよそ1万年以上にわたってつづいていたのです。

太古の精神は神話や風土記の形で語り継がれ、後世に残されてきています。

 

 

 

・参考文献

「図解巫女」朱鷺田祐介著(新紀元社)

「現代語古事記」竹田恒泰著(学研)

「神道の源流」吉川竜実著(Total health design)