あのとき三木さんからうかがったこと

2019年11月14~15日に予定されている新天皇即位後の大嘗祭(だいじょうさい)に向けて麁服(あらたえ)を調進する阿波忌部直系、三木信夫さん。

私は神社仏閣用麻製品を調製する山川(京都)の山川正彦さん(5代目)らと2015年5月24日に徳島県木屋平の三木家住宅(国の重要文化財)を訪れました。(そのときのことはこちらに書いています)

三木家住宅
入口土間から見たお座敷

そのとき、三木さんからお座敷でうかがった貴重なお話(一部)をご紹介したいと思います。

・麁服の「あら」とは、向こうが透けて見えるという意味がある。

・今上(平成)天皇の大嘗祭に調進した麁服は、群馬県岩島産の種から栽培したもの。(栃木県産の品種、トチギシロも栽培したが繊維が硬かった)

・古語拾遺は、皇室のバイブルになっていると皇室の方が言っている。なぜなら、いろいろことが細かに書かれているから。

三木家住宅
座敷の壁にかかるお額

京都から?と三木さん最初驚かれていましたが、山川さんが麻のしめ縄、鈴緒をつくる職人とわかるといい麻をつくる麻農家さんを紹介くださったり、さらに連絡先を教えてくださったりしました。

三木家住宅前(徳島県木屋平)
東宮山~天行山方面。手前は斎麻畑の跡。

「2004年に4町村合併で『麻植郡』が消滅した。これを後悔する人たちも増えている。兵庫県の篠山市が丹波篠山市への変更を問う住民投票が賛成多数で成立した例もある。麻農業が誇れる文化だと地域住民に浸透していけば、自然と地名を変えようという動きにつながってくるのではないかと期待している」(日本経済新聞記事より、三木さん)

麻の文化や織物の技術を伝承し、再興することが地域活性化につながると思うのは三木さんだけでないと思います。

 

参考文献:

・「古語拾遺」斎部広成撰、西宮一民校注(岩波書店)

・「日本の建国と阿波忌部」林博章著

大嘗祭の麁服(あらたえ)調進準備 三木信夫さん(日本経済新聞)

大嘗祭の麁服調進 徳島・山川町の山崎忌部神社氏子ら、機運盛り上げへ協議会(徳島新聞)

・国指定重要文化財三木家住宅パンフレット(美馬市・美馬市教育委員会)

美術館のミュージアムショップでヘンプの本を見つけ

MIHO MUSEUM

2018年11月、滋賀県信楽にある美術館、MIHO MUSEUMを訪れていたときのこと。

同館レセプション棟のミュージアムショップに本が並んでいたので、どんな本があるのだろう?と見ていると、赤星栄志さんの「ヘンプ読本」が目に飛び込んできました。

食や環境をテーマに取りそろえているようで、他に民藝、手仕事関係や若杉ばあちゃんの本もありました。

考えてみれば、同館は宗教家、岡田茂吉氏(1882~1955)の理想とする悩み苦しみのない世界、「地上天国」実現のために建てられたシンボル。

とりわけ美、自然尊重を重視し、同館の設計は世界的な建築家、イオ・ミン・ペイ氏(1917~2019)で、レストランと喫茶は自然農法で作られた食材のものを提供しています。

MIHO MUSEUM
滋賀・信楽にあるMIHO MUSEUM(2018年11月撮影)

MIHO MUSEUMは有名ではないかもしれませんが、2018年10月にBS11「フランス人がときめいた日本の美術館」で取り上げられたので、ご覧になった方がいらっしゃるのではないでしょうか。

私が訪れたこの日も、放送で語られていた内容を話しながら観賞している人がいました。

その美術館の中にヘンプの本があるのは意外といえば意外、当然といえば当然。〔私は最初ヘンプ(大麻)のことを知ったとき、環境にいいもの、持続可能な社会のための救世主と思ったのですから、きっと思いは同じはず〕

ヘンプ読本
赤星栄志著ヘンプ読本

この本は、最初さぬきいんべのwebページを作成するとき、大いに参考にさせていただきました。(いまも何ヶ所か引用があるでしょ?^^)

10年前、著者の赤星さんが松山市に来られ、「おお麻で地域開発inアジア」という講演をしました。その後、懇親会、二次会。翌日赤星さんが九州へフェリーで渡るということで、主催者と私の3人で八幡浜港まで送ることになりました。

この間に私の運命はヘンプと紐付けられた感じがします。私はその頃、勤めていた会社を退職し進路を考え中でしたから、赤星さんに「ヘンプで何か仕事ないですか?」とたずねました。

そうすると即座に、「インターンシップ」との返答。

そして八幡浜港に向かう途中、愛媛・小田の道の駅で麻の実をつかった郷土料理「いずみや」が販売されているのを見つけたのもこの時ですし、八幡浜港からの帰りに、ここまで来たのだからと、オガラをつかう八幡浜の五反田柱まつり保存会会長に連絡を取って会い、地元の祭りなので地元でできたものを使ってというような話をしました。文字通り、麻ざんまいだったわけです。その後、私はその頃住んでいた高松市へ帰り、創業の準備にかかることに。

しごとプラザ高松に行って起業について相談すると、「創業塾」というのが近々あり、また相談した担当者がどこかで見たと思っていたら、なんとその数年前に起業セミナーで名刺交換したことがある方でした。シンクロニシティですね。

その流れに乗り創業塾、インターンシップを経て、2010年1月に創業。半年で一旦休業(1年ぐらい)、地元愛媛県へ移転して今に至っています。2019年で10年目です。

そんなことですので、MIHO MUSEUMで「ヘンプ読本」と出会ったのは何かお知らせと思うのです。(つぎ訪れたときはヘンプ読本が2冊になっていました!)

国産大麻(精麻)しめ縄に牛蒡型が仲間入り!しめ縄はなぜ左綯いなのか

このたび、国産大麻(精麻)・しめ縄に牛蒡(ごぼう)型が仲間入りしました。

従来の取扱いは中央部が太くなった「大根型」、縄を丸めたわかざり(神居 和かざり)だけでした。牛蒡型は一方がだんだん細くなる形状です。

しめ縄の種類

しめ縄の種類
種類 形状・用途
大根型 中央部が太くなったしめ縄。両端が細くなっている。
牛蒡型 しめ縄の一方が細くなってだんだん太くなっている。
わかざり 綯った縄を丸めたもの。水回りや勝手口に飾ることが多いが、汎用性が高いため屋内外のさまざまな場所に用いる。

 

国産大麻(精麻)・しめ縄【大根型】
大根型

国産大麻(精麻)・しめ縄【牛蒡型】

牛蒡型

国産大麻(精麻)・しめ縄【神居 和かざり】
わかざり

どれも国産精麻を材料に、神社仏閣用の麻製品を調製する京都の職人が綯った美しいしめ縄。明治19年創業の老舗、株式会社山川の製品です。

しめ縄の起源

日本におけるしめ縄の古語は「尻久米縄(しりくめなわ)」で、天照大御神が岩屋から出てきたさいに、布刀玉命(ふとだまのみこと)が入口に尻久米縄を張って、天照大御神が再び岩屋に戻ることのないようにしたと『古事記』の神話にみられます。

しめ縄は精麻、稲わら、マコモなど天然素材から作られます。

しめ縄を七五三縄と表記するのは、七五三という言葉が昔から縁起のよい数字とされていたからです。また、しめ縄のことを、ほかに一五三、棒縄、〆縄、締縄、標縄などとも表記します。

しめ縄はなぜ左綯いか

縄を綯(な)う方法には「右綯い」と「左綯い」があります。※繊維をより合わせることを綯うといいます。

昔は一般に、普段の生活で使用する日用品の縄は右綯い、神事に用いるしめ縄は左綯いとされました。しめ縄は神聖なものであるため、日常に使う縄とは区別する意図があったようです。

もともと日本では「左=聖、右=俗」とする考え方があります。伯家神道では右手を神様の手(左手)でしっかり握りおさえて印を組むこと(唯一の印といいます)や、神道祭式において祭祀を行う祭場(斎場)の上位下位が神座を最上位に正中・左(神座から見て)・右の順となること、拍手の作法は両手を合わせた後、右手をやや左手より引いて手を拍つことなど。

国産大麻(精麻)・しめ縄【牛蒡型】紙垂付き
牛蒡型(紙垂付き)
国産大麻(精麻)・しめ縄【鼓胴型】紙垂付き
鼓胴型(紙垂付き)

わがくには神のすゑなり神まつる昔のてぶりわするなよゆめ(明治天皇御製)

また精霊を迎える盆踊りが左回りであること、死者の着物を左前にすることはご存じと思います。能楽にも「左右」という型があり、まず左を祓って、次に右を祓うようです。

飾り方について

一般的に牛蒡型や大根型を飾るときは神棚に向かって右側にモト(太い方)がくるように取り付けます。

それは神様から見たときに向かって左にモトがくるようにするためです。

 

 

参考文献:

「神道祭式の基礎作法」沼部春友著(みそぎ文化会)
「決定版 知れば知るほど面白い!神道の本」三橋健著(西東社)
「しめ飾り」森須磨子著(工作舎)