京都に夏を告げる祭り「祇園祭」
【突き出した飾りが神の依代となる、祇園祭の山鉾】☆イベントレポート★
7月から始まる1ヶ月の祭り。山鉾巡行は17日と24日。
京都の夏の風物詩、祇園祭。
祇園祭は、平安時代、貞観11(869)年に疫病退散のために行われた「祇園御霊会」が起源とされる八坂神社(京都市東山区)の祭礼です。〔八坂神社は、西日本を中心に2600社あまりある祇園系神社の総本社で、主祭神は素戔嗚尊(牛頭天王)〕
7月から始まる1ヶ月間の祭りのうち、ハイライトと言われるのが山鉾巡行ですが、平成26(2014)年に、17日の前祭と後祭(24日)の分離巡行が復活しました。
前祭には23基、後祭には10基、計33基の山鉾が各町自慢の懸装品でかざり、前祭は、長刀鉾を先頭に中京区四条烏丸から新町御池へ、後祭は、橋弁慶山を先頭に前祭とは逆コースを進みます。
さて、山鉾には、山と鉾があります。
鉾は、疫病神を鉾に集めて祓い清める役目をする。写真は、函谷鉾(写真提供=株式会社山川)。 |
山は、常緑樹である松を神の依代に見立て、自然の山を象徴する。写真は、鈴鹿山。 |
鉾は、そこに疫病神を集める役目をし、山は依代でそこに神様が降りて、清める役目をします〔山鉾の一部に大麻(精麻)が使用されています〕。その後、祇園の神を乗せた神輿が渡御・還御していく。
そのために、山鉾の巡行を行って疫病神を退散させるという意味があるようです。
大船鉾の巡行は平成26(2014)年、150年ぶりに復活。 |
祇園祭の主役は、あくまでも神輿。山鉾の巡行は「先祓い」
祇園祭で「コンチキチン」の祇園囃子(ばやし)を奏でながら進む山鉾は、京都らしい風流さを感じます。
「私達の山鉾町が祇園御霊会に山鉾風流を加えるようになって650年の時は経ている。それはまさに動く美術館と云われるのにふさわしく美しい造り物には違いないけれど、祇園会の主役はあくまでも神輿である。」〔公益財団法人 祇園祭山鉾連合会理事長 吉田孝次郎さん、「祇園祭 田島征彦 型染めの世界」田島征彦著(清流会)より〕
山鉾の巡行は、東御座(櫛稲田姫命)、中御座(素戔嗚尊)、西御座(八柱御子神)の三基の神輿を渡御・還御するための「先祓い」なんですね。
還幸祭で神輿は御旅所から氏子地域を巡って、八坂神社へと向かう。 |
牛頭天王は、長旅に出た途中で日が暮れてしまった。一夜の宿を所望した。大金持ちの巨旦(こたん)には断られるが、貧しい蘇民(そみん)には快諾された。 後年、牛頭天王が眷属を連れて巨旦一族を疫病で滅ぼそうとしたとき、蘇民が「巨旦の家には私の娘がいるので、助けて欲しい」と願いでる。牛頭天王は、「蘇民将来(そみんしょうらい)の子孫と記した札と茅の輪を腰に下げておけば疫病から免れる」と告げて去っていった。そのため蘇民の娘は難を免れたという。 この伝承に基づき、祇園社などで配られるお札には「蘇民将来子孫之門」と書かれ、疫病退散のご利益があるとされている。神事として行われる茅の輪くぐり(夏越の祓えにて、茅で作った輪をくぐることで身のケガレを祓い清めて、無病息災を願う)も、この故事に由来する。 |
『決定版 知れば知るほど面白い!神道の本』三橋健著(西東社)P.185より引用、一部編集
原点をたどれば、祇園信仰の本質は疫病退散への願い。山鉾が方向転換する「辻回し」で、車方が竹ささらに車輪を乗せて、音頭とりの「ヨーイ ヨーイ ヨイトセ ヨイトセ」という感じの掛け声で曳き子が足を踏ん張り、綱を引く様子も見どころの1つです。
今回見たのは後祭。たった1日でしたが、1000年以上も都大路に伝えられてきた、きらびやかな祭りの一端を感じることができました。
(文責・加藤義行)
参考文献:
「函谷鉾(財団法人設立三十周年記念)」財団法人函谷鉾保存会編
「京都府の歴史」朝尾直弘他著(山川出版社)
「祇園祭 田島征彦 型染めの世界」田島征彦著(清流会)
『決定版 知れば知るほど面白い!神道の本』三橋健著(西東社)